1997年10月号 正論
拝啓 広島県教育委員会殿 第1弾 反日教育の“元凶”を破壊せよ 歴史教科書研究家●上杉千年(うえすぎ ちとし)
平成七年(一九九五)は、戦後五十周年であった。そして、平成九年(一九九七)は、戦後教育体制発足五十周年である。それは、昭和二十二年(一九四七)三月三十一日に教育基本法と学校教育法とが公布された。また、日教組(日本教職員組合)が同年六月八日に結成されたからである。
この五十年間は、日教組が『教師の倫理綱領』に従って闘争に次ぐ闘争によって教育界を支配してきた歴史でもあった。ところが、『日教組 教育新聞』の平成九年六月二十四日号をみると、「日教組50周年記念」「第83回定期大会」特集号であって、その一面には次の如き記事がある。
それは、六月六日の五十周年式典に続く祝賀レセプションには、小杉隆文部大臣が出席し祝意を評したと大きく紹介している。また、六月九日から十一日にかけての第八十三回定期大会にも小杉文部大臣の「メッセージ」があったとして、その「全文」を掲載している。まさに、文部省と日教組の二人三脚時代に入ったといえる。
しかし、教育界の実態は、中央も地方も日教組の五十年間実施してきた偏向教育が広く深く浸透しているのである。
その恐るべき実態の一端が『産経新聞』(平成九年五月七日付・関西版)により報じられている。それは、宮城県教組傘下の「みやぎ教育文化研究センター」(仙台市青葉区柏木一―二―四五 教育会館内)の「近現代史プロジェクト」チーム(小・中学校教諭等十四人)が作成した『小学校 近現代史授業プラン(試案)学習資料』(一九九六年五月一日作成)である。
この「小6・日本の歴史/近現代史30時間の授業プラン」(B4判八十三頁)をみると、「日中戦争」の項目は、百人斬り競争・三光作戦・南京大虐殺・七三一部隊・万人坑に関する記述・写真の羅列である。
この授業の成果を『産経新聞』記事でみると、歩兵第九連隊(京都)の第三大隊の大隊副官野田毅少尉と歩兵砲小隊長向井敏明少尉の『百人斬り競争!』という浅海一男記者等による「作り話」報道(『東京日日新聞』現『毎日新聞』)の授業に対して、〈おーい野田さん、向井さん バカヤロー 人で遊ぶんじゃねー人間のクズめ! 日本のはじ!〉(平成八年十一月七日。A子ちゃん)という感想文を書いていて、担任教師は三重丸の評価をしている。
そして、「戦後の日本の出発」の項目では、これまでの戦時中等の学習の成果として子どもたちの発言として、〈十分出てくると予想される内容〉として示してある事項とは、次の如きものである。
二度と戦争をおこさないためには
●大日本帝国憲法を変える
●天皇中心から国民一人一人を中心にした政治にする
●天皇をなくす
●天皇をたたえない
●政治家や指導者を変える
この予想される子どもの発言どおりに、〈私は今日勉強してみて、日本の天皇は悪い。自分さえよければいいという考えの人なんだと思いました。〉(平成八年十一月二十一日。B子ちゃん)という感想文を書いている。
以上のように、教員組合の意図する「天皇制反対学習」等の教育効果は十分にあがっている。これこそ、“自由教科書”の日教組版・左翼版である。
この『産経新聞』報道に刺激されて、こうした反日教育・反天皇教育が実施されているところがないかを調査してみることにした。
最初に、以前より悪評を耳にしていた広島県の教育界に着目して調べていくうちに、県教委――地教委――校長のラインと日教組傘下の県教組――地区教組――分会(学校)のラインが完全にドッキングして、想像を絶する左翼偏向教育が公教育として実施されていることが判明した。この偏向教育の実態を一青年教師の勇気ある行動に焦点を絞って紹介しよう。
全校あげての「反天皇制学習」を批判
広島県福山市立城北中学校の第三学年の学年職員会が、平成九年二月六日に「人権学習指導案」について話し合った。
それは、「第一時限」(一回目)はビデオ『消えた日の丸』を観賞。「第二時限」(二回目)は金 秀光(キムスガン)さんの講演。「第三時限」(三回目)は「生き方を考える」というテーマのもと、「天皇制」から「元号」についての問題点を学習する。そして、卒業証書に西暦のみの表記を希望する生徒の増加を期待する学習を実施するというものであった。
そして、「3年保議者の皆様へ」(一九九七年二月十五日)と、「福山市立城北中学校 学校長・第3学年教職員一同」よりとして、『元号・西暦・卒業式について』という依頼状が示された。
その文中には、〈現在、福山市の公立中学校の卒業証書では、本人の生年月日と卒業年月日が西暦と元号で併記されています。しかし、民主的な社会の実現を願う人々の運動の中から、西暦だけの卒業証書を希望するとき配慮されるようになってきました。〉そこで、〈西暦のみの卒業証書を希望される方は、2月18日(火)までに担任の方にご連絡ください。〉というものである。
すなわち、二月六日の学年会の中心的な目的は、この卒業証書に「西暦」のみを希望する生徒を増加させるためのものであった。
この『指導案』をめぐって、クラス担任の一人として、佐藤泰典教諭は、ビデオ『消えた日の丸』のあまりに一方的な「日の丸・君が代」攻撃の内容であることを理由として、学年会としての一斉観賞に対して反対を表明した。これには、幾人かの教師も同調した。その結果、こうしたビデオを観賞させる前に荒れている城北中学校の現状を生徒自身に考えさせることとして、「生き方を考える」という基本的な生活・学習の態度について話し合いをするという現実論に学年会の方針がまとまった。
かくして、修正された『3年 人権学習指導案』は、次の如きものであった。
1、教材
・・・学年集会(2月12日の1校時に学年集会で生活指導的な話し合い。)
・・・金 秀光さんの講演(60分)(2月15日の1〜2校時)
・・・生き方を考える(反天皇制学習)(2月15日の3校時に各クラスでクラス担任が実施する。その詳細な指導案が(1)導入・(2)展開・(3)まとめとして示されている。)
〈( )内は、上杉が注記したもの〉
2、教材設定の理由
・・・入学願書に記されている元号や1年時の平和学習で学んだ日の丸、そして、天皇制についても考え、天皇制の問題点や卒業式での日の丸や卒業証書の元号のことについても学習を深めて、行動化につなげていく機会としたい。
3、指導計画
◆3時限目 2月15日(土) 3校時
「生き方を考える」
このHRでの指導案をみると、「(1)導入」では、〈金 秀光さんの講演の話と重ね合わせながら、簡単に日本の侵略の歴史をおさえていく。〉としている。
そして、その「(2)展開」では、戦前の天皇・戦後の天皇制・元号について等の項目を設定し、その不当性を極論して「反天皇制教育」の実をあげる。
最後の「(3)まとめ」では、〈西暦のみの卒業証書がほしいと希望する〉生徒の増加を促進するようにまとめるというものである。
その「(2)展開」で指導する内容は、次の如し。
○戦前の天皇制について知っていること、おかしいと思っていることを発表。
日本の侵略戦争で「日の丸」の果たした役割と、戦前、学校教育が利用され、儀式を通じて天皇を尊ぶ思想が植えつけられたこと。そして、今、また過去と同じわだちを踏もうとしていることをおさえていく。「過去に目を閉ざす者は、結局、現在をも見ることができない」(ワイツゼッカー元ドイツ大統領)
○戦後の天皇について、知っていること思っていることを発表。
・・・日本国憲法では天皇中心ではなく、国民中心の国に生まれ変わったが、現実はどうか。(不合理や矛盾が多い)
※一九八八―一九八九年の昭和天皇死亡の時の話をする。
※皇太子の婚約から結婚式の異常なまでの警備態勢や報道を思い出させる。
※国民の莫大な税金を使ったり、天皇誕生日を祝日にしている。
※元号の強制。
※天皇、皇族という身分が今も残されている。
・・・(略)・・・
○元号について。
願書や卒業証書にも記載されている(西暦、併記の卒業証書の資料を配る)。願書でも元号は強制されないということを学習した。
※天皇の時代をあらわす元号を強制させることは、憲法の国民主権の原則に反する。
※元号は天皇制を国民の中に定着させるためのものであり、身分制社会を固定化するものとして成立し継承されてきている。
※私たちの住む社会の中にも元号や日の丸を見ると、つらく悲しい思いをする人たちがたくさんいる。
これが、「生き方を考える(反天皇制学習)」の授業内容である。すなわち、福山市立城北中学校の“期待される公教育”である。
しかし、佐藤泰典教諭のHRでの指導は、「日の丸・君が代・元号」についての問題提起は賛否両論を紹介するもので、その判断は生徒に任せるという方針であった。
そして、授業の進行が全体として賛成論に移ってきた頃に副担任が入ってきて、「日の丸・君が代・元号」の賛美・肯定の授業であると決めつけ、佐藤教諭に何ら確認しないまま教員組合等にメモ等にして報告した。
その中に、佐藤教諭が生徒に参考資料として配布した『世界の中の日の丸・君が代』(国旗国歌普及会発行のチラシ)と『「日の丸」の由来は?「君が代」の由来は?』(発行者不明のチラシ)のコピーがあったことが組合等を刺激したようだ。
さらに、佐藤教諭は、二月十八日(火)の第六校時のLHRの時間にビデオ『世界の中の日の丸・君が代』(国旗国歌普及会刊)をみせた。このことも組合等の知るところとなり、城北中学校全体の大問題に拡大していった。
佐藤教諭がLHRでこのビデオを生徒に観賞させた根拠は、二月六日の学年会において、徹底した反「日の丸・君が代」をテーマとしたビデオ『消えた日の丸』を学級担任の裁量でみせてもよいと決定した。
そこで、佐藤教諭は、反「日の丸・君が代」のビデオをみせてもよいのなら、賛成の立場のものをみせてもよいことになるという主旨の発言をした。この学年会で合意されたことを踏まえての行動であった。すなわち、佐藤教諭の独走行為ではなかった。
この二月六日の学年会での佐藤発言は、三月十三日の学年職員会で佐藤教諭批判が実施された折に某教師が証言していることでも明白である。
このように、佐藤教諭の発言・行動には、教育公務員として、また、第三学年所属教師として問題は存在しなかった。しかるに、三月二十五日に福山市立加茂中学校に転任命令が内示された。佐藤教諭は、城北中学校での不当な批判・糾弾と闘いたいと思ったが、やむなく承諾した。
ところが、加茂中学校に転勤すると連日のように福山市教育委員会に出頭を命ぜられ、事情聴取と糾弾を受けた。そして、四月七日(月)の始業式より四月十七日(木)まで授業停止処分を受けた。停止処分解除の理由は、保護者より社会科の授業が他教科の授業に変更され続けていることに対する不安から、抗議があったことによると推測される。
以上の如く、日教組傘下の教員組合と教師とが、佐藤教諭の授業が「日の丸・君が代・元号」を肯定するものであって、「天皇」を敬愛する方向に生徒を誘導する反動的教育であると一方的に決めつけて糾弾する。この左翼偏向の運動に対して、学校長や市教育委員会までが同調して、人事権まで濫用して佐藤教諭を攻撃している。
大体、佐藤教諭の授業は、学年会の方針に従い「日の丸・君が代」等に対する批判論も紹介した上で、肯定論をも紹介したものである。学習指導要領は、「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌として指導するものとしている。さらに、『小学校編』の「社会」の「第六学年」には、〈天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること〉と明示しているではないか。佐藤教諭の授業は憲法に則し、学習指導要領に準拠しているもので称賛されるべきものである。
日教組の反「日の丸・君が代」闘争に迎合した広島県教委の『確認書』
広島県教育界での「日の丸・君が代」に対する異常な反応は、広島県教組福山地区支部刊行の『〈学習資料〉「日の丸・君が代」の強制とどう闘うか』(平成六年二月八日付)にその詳細な理由が紹介してある。
それによると、平成元年三月十五日告示の第四回学習指導要領が「特別活動」のところで、〈入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。〉(小中高校共に同文)とした。
この指導要領の影響は、〈福山地区支部では、八九年には「君が代」なし、「日の丸」掲揚率が二二%程度だったものが、九一年には、暴力的強制の前に「君が代」は一校が斉唱させられ、一四%がメロディーで曲を流し、「日の丸」は四五%の分会で一方的に実施されるという最悪の事態となりました〉
ここに、広島県教組は、県教育委員会に対して激烈な抗議を展開したとみえて、「日の丸・君が代」に対する『見解』を平成四年(一九九二)二月二十八日に菅川健二教育長が示された。それは、〈君が代については歌詞が主権在民という憲法になじまないという見解もあり、〉また、〈日の丸は、天皇制の補強や侵略、植民地支配に援用されたこと、これからもそのあやまちを繰り返すおそれを、日の丸のもつ問題として二一世紀の国際社会に生きる児童生徒たちに教育内容としてもりこまなくてはならない。〉この〈教育内容については、校長を含む全教職員が創造するものであり、何人も介入してはならない〉、〈以上の基本認識にたって、各地教委、県立学校の校長にも対応する。〉というものである。
さらに、菅川健二県教育長は、この『見解』に従って、『見解』が意図する「日の丸・君が代」に対する認識と教育現場での対応を箇条書きにして示す『文理解釈』なるものを出した。この県教委の『文理解釈』をもとに、福山地区教組支部は、地元の県教育事務所よりも『確認書』をとっている。
では、この県教委の示した『文理解釈』と称するものの内容を紹介しよう。
その「1」項目では、学習指導要領の「日の丸・君が代」の扱いの趣旨を示す。但、国旗・国歌という表記は全く存在しない。
次の「2」項目では、「君が代」についての見解と対応が示されている。
それは、〈「君が代」の歌詞については、(1)日本国憲法に基本原理として規定されている主権在民になじまないという見解や、(2)身分差別につながるおそれもあり、(3)国民の十分なコンセンサスが得られていない現状にある。〉
〈したがって、「君が代」の実施については、(1)・(2)の論議をふかめて、広くコンセンサスを得ることが大切であり、以上のような現状をふまえて対応すべきである。〉としている。
すなわち、「君が代」斉唱の実施には、校内のコンセンサスが必要である。従って、教員組合が不同意であれば実施しなくてもよいとしたものである。
さらに、「3」項目では、「日の丸」についての見解と対応が示されている。
それは、〈(1)かつて「日の丸」が天皇制の補強や侵略、植民地支配に援用されたこと。(2)これからも、そのあやまちをくりかえすおそれがあることをもりこみ、今後は、その過ちをくりかえさないようにという指導が必要であること。〉としている。
ここに、「日の丸」は、天皇制賛美と侵略や植民地支配に利用され推進してきた元凶として徹底的に教育する必要性が明確にされ、この「日の丸」教育を内容として指導しない限り、「日の丸」の掲揚は出来ないとしたものである。
以上の基本認識に立脚して、県教委は、各地教委・県立学校長が対応するよう指導することをも約束しているのである。
従って、佐藤教諭のように「日の丸・君が代」の賛否両論を紹介する教育は、この県教委―地教委―学校長が教員組合と合意した『見解』『文理解釈』と称する『確認書』に違反するものとして、組合―学校長―市教委が一体化して公然と糾弾する所以である。
大体、広島県教育委員会は、教育内容について、職員団体としての教員組合に対して『確認書』を提示すること自体が時代錯誤である。
また、憲法の「第一章」に明記されている「天皇」に対して、「反天皇制学習」と公文書に堂々と表記したり、学習指導要領の「特別活動」に示す「国旗・国歌」を一方的に攻撃の対象とする教育が、県教委の「日の丸・君が代」に関する『確認書』に準拠して、市教委の指導のもとに徹底的に実施されている現状は、まさに、異常である。
直ちに、県教委は、この非常識な『確認書』を破棄して、広島県民に謝罪すべきである。
こうした公教育を極端に逸脱した教育を市教育委員会のもと学校長と日教組系教師とが一体化して実施することは、必ず、重大な弊害が発生すること必至である。
その第一は、子どもの保護者の中にこうした教育に対する批判者が生ずる。そうすれば、その父母の言動は子どもに影響を与え、教師への不信感を増大させていく。その結果は、荒れる中学校の出現となる。
第二には、今日の教育界には大きな二つの教員組合が存在する。その勢力は、平成八年十月一日現在で、日教組(日本教職員組合)が三七〇、三一四人。三三・〇%であり、日本共産党系の全教(全日本教職員組合)が一〇七、六四八人。九・六%である。従って、教育委員会や学校長の組合への対応には慎重さが求められている。現に、城北中学校でも全教職員五十数人中に日教組系約三十人、全教系数人とのことである。この比率が接近してきたときに学校長はどう対処するのであろうか。
この広島県教育界の憂うべき現状を打開する道は、県民の決起と文部省や政権党の自由民主党の努力に期待したい。もし、文部省や自由民主党が対策を講じることなく放置しておくとすれば、彼等に教育を論ずる資格はない。
そして、緊急の課題は、有形無形の圧力により風前の灯火と化している佐藤泰典教諭の身分と身辺とをいかにして保全するかにある。これ程に、広島県教育界は異常であることを訴えたい。
〈文理解釈〉
広島県教育委員会が「日の丸・君が代」について、平成四年二月二十八日に示した『見解』についての具体的な解釈文。
1. 「日の丸」「君が代」の実施については、学習指導要領が存在しているので、行政(学校)は、これを遵守しなければならない立場にある。
「日の丸」「君が代」については、ともに学習指導要領に則って掲揚、斉唄(ママ)することが原則である。
2. しかし、「君が代」の歌詞については、(1)日本国憲法に基本原理として規定されている主権在民になじまないという見解や、(2)身分差別につながるおそれもあり、(3)国民の十分なコンセンサスが得られていない現状にある。
したがって、「君が代」の実施については、(1)・(2)の論議をふかめて、広くコンセンサスを得ることが大切であり、以上のような現状をふまえて対応すべきである。
3. 「日の丸」についての指導にかかわる認識について明確にした。
(1)「日の丸」について、児童生徒に指導するにあたっては、21世紀の国際社会に生きる児童生徒への指導という観点に立つこと。
(2)教育内容とする場合、(1)かつて「日の丸」が天皇制の補強や侵略、植民地支配に援用されたこと。(2)これからも、そのあやまちをくりかえすおそれがあることをもりこみ、今後は、その過ちをくりかえさないようにという指導が必要であること。
(3)したがって、「日の丸」の掲揚にあたっては、上記の教育内容をつくりあげることが原則である。
4. 「日の丸」「君が代」についての教育内容は、各学校が主体的に創造するものであり、何人も、それに介入してはならないという基本認識を明確にした。
5. 「日の丸」「君が代」にかかわる県教委の、地教委や校長に対するこれまでの指導には、教育内容としてのとりくみが不十分であり、実施・不実施の結果にとらわれすぎたということを反省した。
6. 今後は、上記1〜5を基本認識として、各地教委、県立学校長に対応することを明確にした。
◇上杉 千年(うえすぎ ちとし)
1927年生まれ。
国学院大学史学科卒業。
岐阜県立斐太高校、同高山高校の社会科教諭を務め現在、歴史教科書研究家。
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