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2002/03/11 産経新聞朝刊
【正論】政治評論家 屋山太郎 自分が立派だと思う“家風”作れ
 
◆競争回避が教育的配慮か
 子供達が詰め込み教育でスポイルされているから、今度はゆとり教育で、教科を易しくするという。信じられないことだが、円周率は「3」で良いのだそうだ。幼少の頃、初めて円周率を習った時、何十ケタまで暗記してみたりしたが、何より不思議だったのは、どこまで行っても割り切れない数字が存在するということだった。円周率を「3」にしてしまえば、その不思議さを子供達は味わうことができまい。
 今、運動会をやるとかけっこで、ゴールの手前一メートルぐらいに白い線が引いてあり、そこで全員いったん止まって、手をつないでゴールに入るのだという。人に一等やら二等をつけるのは良くないことだからだという。競争を故意に避けさせることが、教育的配慮になると、日教組の先生方は考えているらしい。それを理想としてソ連や中国を礼賛してきたが、日教組の“手本”はいまどうなっているのか。
 私は昔からそういう理想の教育的配慮があるなどとは信じなかった。だから子供が五歳と七歳の時、ジュネーブに転勤となった時、私が最初にとりかかったのは七歳の息子に毎晩ボクシングや喧嘩のやり方を教えることだった。「やられたら必ずやり返せ。そうしないと一生、負け犬になるぞ」。真剣な練習の結果、息子は相当の猛者(もさ)になった。「妹がいじめられたらそいつを殴るのもおまえの役だぞ」
 
◆「中立主義」は邪と闘う精神
 転校して半月ほど経(た)った頃、息子は先生の手紙を持って帰ってきた。
 「きょうお宅の息子さんは二回喧嘩をした。理由がわからないので、事情を聞いて明日、報告して下さい」というのである。
 事情を聞いてみると、柵にもたれていたところ、後ろから羽交い締めにされ、前から一人が腹を殴ったという。息子が前面の敵を思い切り蹴飛ばしたところで、後ろの敵は逃げて行ったが、しっかり顔を覚えていたという。昼休みに見つけ出して「コテンパンに殴ってやった」と息子は得意そうに言う。「要するに二回喧嘩をしたが、原因は一つなのですね」と若い女教師は納得した。
 私は頭を下げて「ご面倒をかけて済みませんでした」と謝った。ところが教師は毅然(きぜん)として「息子さんは正しいことをしたのです。誉めてやって下さい」というのである。
 その後、スイスに四年駐在し、つくづく考えたのだが、「中立主義」というのはどことでも仲良くするために、八方我慢しながらペコペコ付き合うというのとは訳が違うのだ。正邪を峻別して邪とは徹底的に闘うという精神があってこそ、周囲の国から尊敬され、舐(な)められないで済むのだ。
 こういう強靭な精神を二十二、三歳の若い女性教師が持っていて、その精神に従って自信を持って生徒の事件をさばく態度に感嘆した。
 
◆「操行」に厳しいスイスの学校
 スイスの学校は各クラス(各級十七人)ごとに二週に一度「連絡帳」というのを家族に持ち帰らせる。これには「学業」と「操行(そうこう)」という二種類の評価があって、最高点は六。普通は三か四である。「操行」はとくに厳しくて、授業を受ける態度が悪いと教師が「君には二をつけるぞ」といったとたん、子供は即座に静かになるという。
 息子の友達にダビッドといういたずら少年がいて彼はたまに「操行」で二をつけられる。ダビッドは家に帰ると父親にボコンボコンに殴られる。その時、父親は「学業が悪いのはお前が頭が悪いから仕方がない。しかし操行が悪いのはお前が悪いからだ」というそうだ。
 こういうことが何回も続くと父母は学校に呼び出され、若い教師に説教を食う。髪の薄くなったような父親が娘のような教師に叱られている図は哀れだが、「しつけは親の仕事。そのレベルを評価し、監督するのは教師の仕事」なのである。
 東京に転校してきて、最初の父母会に行ったら豆腐屋のオヤジさんが、「先生に全部委(まか)せたから殴っても殺しても構わねぇから」などとタンカを切っている。一見潔いようだが、本当に殺されたら大騒ぎするに決まっている。私はスイスの話をして、「しつけはあくまでも家庭の仕事。しつけの仕方が各家庭で少しずつ違うから“家風”の違いも出てくるのではないですか。お互い、自分が立派だと思う家風を作りましょうよ」といったら、皆納得してくれた。帰る時、教師は拝むようにして、礼をいった。教師は悩んでいるのだ。(ややま たろう)
◇屋山太郎(ややま たろう)
1932年生まれ。
東北大学卒業。
評論家、元時事通信解説委員。


 
 
 
 
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