1995/10/03 読売新聞朝刊
[戦後教育は変わるのか](1)三浦朱門氏に聞く 伸びやかさ欠く現状(連載)
六三制に象徴される戦後教育は、高い進学率を誇る一方で、いま、いじめ・不登校などの病理に苦しんでいる。政治の争いが教室に持ち込まれた歴史も、記憶に生々しい。文部省、日教組の和解を機に、過去から未来への道筋を識者に語ってもらった。
◆「主観」の尊重大切 「落後」する権利も
――日教組と文部省との「歴史的和解」の背景には何があったのでしょうか。
三浦氏 日教組にとっては、社会主義体制の崩壊が大きいでしょうね。「教師は労働者」という論法では、教育を受ける子どもはコンピューターの部品のチップみたいな存在になってしまう。日の丸、君が代の問題を含め、いつかは破たんする路線だったといえるでしょう。
一方、文部省も「日教組的なもの」に対峙(たいじ)しているうちに、歪(ゆが)んだ硬い姿勢を持つようになってしまった。学習指導要領をあまりにも厳密に決めるなど、全国画一的な手法を進めていった。そのために窮屈で身動きが取れない教育になってしまいました。
今回の「和解」は、双方がうすうすと感じていたそれぞれのマイナス部分を改めようということではないか。お互い、はにかみながら握手したのでしょうが、まず両者がしなければならないのは、文部省や日教組の教育を受けさせられた人々への謝罪ではないかという思いもありますね。
――戦後教育の功罪についてはさまざまな論議があるようですが。
三浦氏 戦後の教育というのは、表向きは「自由でのびのび」といった言葉を掲げてきましたが、生徒の髪の毛の長さまでこと細かに規制する校則に象徴されるように、実態の方はかなり窮屈な面があります。私の経験からいうと、むしろ戦前の学校にはある種の伸びやかさがありましたよ。旧制の中学、高校では、こうしなければならないという「形」にはうるさかったが、実際の運用面では相当柔軟で弾力的な部分がありました。「落後」することにも比較的寛容でしたね。
ところが、戦後教育にはそうした伸びやかさが欠落している。生徒には「落後の権利」があってもいいのに、落後することは許されず、みんな一緒に「上がっていくこと」をひたすら求められる。それと、誇り、良心といったものを持たせる教育が十分にできなかった。
――人づくりの面では今後どのようなスタンスに立つべきでしょうか。
三浦氏 日本の学歴社会が頭打ちの状態に陥っていることに多くの人がまだ気がついていないようです。偏差値が高い人というのは、ある体制の中でうまく適応できる人間に過ぎない。偏差値の高いことが実は大したことではない、まず、この点をみんなが悟るべきです。
欧米の進んだ文明を移入しようという局面では、自動車製造法、医療技術などをマスターするためのテクニック、能力が重要だった。そういう意味では、学歴社会に一定の肯定しうる側面はあった。だが、欧米に対するキャッチアップが一応完了した段階では、単なる文明移入のための能力を越えた独創力が求められてくるのです。
独創性というのは、疑うこと、迷うことから生まれるものです。物理や化学の原理にしても、それほど明らかなものではない。一つの帰納的な理論であって実際には必ずしも理論通りにはならないということを教えるような教育が大切になってくるのではないでしょうか。理科の実験の意味も本来そこにある。
――画一的なアプローチの弊害などが指摘されている日本の教育を変革するためには、どのような方策が必要だと思いますか。
三浦氏 教育の場では、客観的、普遍的なものを求めていくわけですが、客観的、普遍的なるものが最初からあるわけではありません。客観的であるためにはまず主観的にならなければならないし、普遍的であるためにはまず特殊になる必要がある。
ところが、日本の今の教育体系では主観的で特殊であることが評価されず、認められない。小学校一年生から、みんな同じになれという。教師の期待する「正しい答え」を覚えさせることが教育の目的ではないはずです。子どもたちに問題意識を持たせ、彼ら、彼女たちの主観性を重んじるような姿勢で教育にのぞむことが何よりも大切でしょう。
現実問題として、非常に強い個性を持っているために現行の教育体制からはじき出されてしまう子どもたちがいるようです。こうした子どもたちを引き受けて、潜在的な力を引き出せるような教育の場づくりにもっと力を入れていくべきだと思いますね。(聞き手・中村 明)
◇三浦 朱門(みうら しゅもん)
1926年生まれ。
東京大学卒業。
作家、元文化庁長官。
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