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1997/06/19 毎日新聞夕刊
[この人と]元日教組委員長・槙枝元文さん/4止 「聖職者」やはり誤り
 
▼政治的対立の中で、子供を置き去りにしてきたという忸怩(じくじ)たる思いはありませんか。
−−あった。ストの時は学校現場まで争いがいくからね。日教組と文部省の対立が県教組と県教委に、学校内の校長と教員にという構図ができる。こういう中で教育はうまく運営できるものではない。だから文部省に話し合いを何度か提言した。日教組が文部省の言ったことに賛成したこともある。マスコミも悪いよ。賛成なんかおもしろくないから書かない。反対するものだけ書くのだから。
 
▼戦中に2年間、戦後に4年間教壇に。少年航空兵に推薦した教え子が戦死し、母親に泣かれたそうですね。
−−教え子への愛情は、教師をやってみないと分からないものだ。だから私にしても復員して帰って、戦地に送り出した教え子がどうなったか、一番先に役場に行って調べた。少年航空兵に送った子は戦死の公報が入っていた。墓参りをした。私の人生で、教師の重みというのか、それまではただ教育愛ということで思っておったわけだけど、その時は自分の教えに対する責任をひしひしと感じた。当時はそういう経験を持った教師ばかり。1951年の「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンも、皆が「そうだ」と理屈抜きに決まった。それがやはり平和教育とか民主教育につながっていく。万国共通のものだと思うんだね。
 
▼74年の「4・11全日スト」の後で内部から出てきた「教師聖職論」について、率直な感想を。
−−聖職論は誤りという思いを持っている。聖職とは神に仕える人でしょ。戦前は神イコール天皇だったからね。特定の存在に忠誠を誓うのはやめるべきだ。「聖職論は邪道だ」と言って、ぶったたいたんだ。ストライキへの反発が利用された。日本だとストは邪悪なことでしょ。権利だなんて、口でこそ言うけど、その意識はない。僕自身も昔はそうだった。使用者があまりにも邪険なことをやったら労働者が抵抗する権利があるということを、国民的教養として子供のころから教えることが必要だと思う。
 
▼ところで現在の仕事はいかがですか。
−−総評議長をやめるころ、中国から「先進工業国の技術を学びたいし、中国への企業進出もやってもらいたいので、その専門窓口を作ってほしい」と強い要請があった。当時の労働4団体と経済4団体が労使合作でやることになった。福祉団体も加わり、政府も全面協力することになった。日本語教員の派遣や研修生の受け入れをしている。
 中国から学ぶべきことはある。社会主義というイデオロギーを持ちながらも、どうしたら生産性が上がるかを現実の問題として資本主義の国の進んだ点に学ぼうという姿勢を持っている。これでないといかんね。(おわり)
<聞き手・城島徹、写真・西村剛>
◇槙枝元文(まきえだ もとふみ)
1921年生まれ。
岡山青年師範学校卒業。
日教組書記長、日教組委員長、総評議長を経て、現在、日中技能者交流センター理事長。


 
 
 
 
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