1997年9月号 正論
中学社会科教師が解説する反日教科書解剖学入門 「敵」を知らずに教科書を語るなかれ 大阪府枚方市立桜丘中学校教諭●長谷川 潤(はせがわ じゅん)
昨今、反日偏向教科書の問題点が巷間に論じられる様になり、同慶の至りではあるが、ならば具体的にどこが問題なのかと言うと、近現代史に視点が偏重する等、共通認識や全体的視点が欠如している様にも見受けられる。むろん、そこに流れる「反日・自虐・売国・逆差別・倒錯」の論理は、心ある日本人ならば誰しも直観し得よう。
だが、具体的事例となれば、指摘しにくいのも事実である。何故ならば、ほとんどの国民が現行の教科書を通読したことはなく――だからこそ反日偏向を許したのだが――、現実に見聞できるものは、中学校の場合その採択区で使用されている一社に限られ、それも学齢期の子や孫がある家庭に限定される。
むろん、書店を通せば購入可能であるが、無償配布制の下では、それにはおよそ一か月の時間とそれ相応の経済的負担を伴う。あえてその煩しさを求める者は、ごく少数の研究者以外に存在しなかったのは当然であった。その情況は、現在も変わっていない。
「敵」を知らねば、それを論ずることは出来ない。故に、ここで中学校歴史教科書七社に関し、全体的な問題点と各社個別的なそれとを指摘して、諸兄の参考とさせていただきたい。
現行教科書の三大特色
教科書、特に歴史教科書を生徒側からみれば、「暗い」「つまらない」「分からない」の三点に要約される。唯物史観を基盤に階級闘争を歴史の必然と捉え、各時代ごとに支配者の弾圧、圧政と、それに対する被支配階級の苦しい生活と闘争が繰り返し記述される。暗い所以である。
また、すでに社会主義国が「北朝鮮」「キューバ」の二か国に減り、国内でも一億中産階級化した現状で、唯物史観的、社会主義的用語、論理、発想等が身近な生活感覚から遊離しているために、教科書の表現は「分からない」のである。
更には、社会、経済史中心の叙述は、個人を黙殺し、叙事詩的内容を割愛する。元来、歴史とはその一行ごとに無数の物語が背景に存在し、物語の連続であるが故に面白いのである。ところが、現実の教科書は、物語や主人公の活躍を生き生きと描こうとしない。「つまらない」はずである。以下その特色について具体的に明らかにしていこう。
なお、教科書会社名は、次の略号で表す。「東書」(東京書籍)、「大書」(大阪書籍)、「教出」(教育出版)、「日書」(日本書籍)、「清水」(清水書院)、「帝国」(帝国書院)、「日文」(日本文教出版)。
「G・コミ」反日史観
教科書、特に歴史教科書の偏向振りは目に余るものがある。
戦前の国定『国史』教科書は、独立国のそれとして、当然、自国、自民族を肯定する立場から記述されていた。他の諸国も、外国の支配下、影響下にある場合を除き、教科書を自国中心に作成するのが常識、自明の理である。
例えば、ソ連支配下のモンゴルでは、「レーニン」が英雄として強要されたが、ソ連軍撤退以後社会主義が崩壊すると、たちまちロシア人の嫌悪する「チンギス・ハーン」が民族の英雄として復活している。彼は世界史上最大の征服(侵略)者であったが、ソ連の支配下を除き、常にモンゴルの民族的英雄であり続けた。フランス人にとってのナポレオン――彼自身はコルシカ人であったが――、ローマ人にとってのカエサル、等々、いかなる国家、民族でも自国、自民族の英雄を「侵略者」として否定することはない。唯一「戦後日本」社会を除いて。
ところが、いわゆる「戦後日本」では、占領軍の巧妙な「ムチとアメ」政策によって、一定の方向に思想洗脳され、昭和二十七年の形式的独立後も精神文化的呪縛は解かれることなく、年と共にその傾向は固定、強化され、「反日・自虐」意識の拡大再生産が続いている。
例えば、豊臣秀吉の『朝鮮征伐』は、今や「朝鮮侵略」と歴史を四百年も溯って断罪されている。「東書」「大書」で約二頁、「教出」では三分の二頁、「清水」では二分の一頁が、各々秀吉の野蛮な「侵略」と朝鮮民族の雄々しい抵抗を描いている。「日書」も「秀吉と朝鮮侵略」と題して一頁を割き、「帝国」に至っては一方的な韓国教科書を引用してまで、二頁に亘る反日記述を記載している。
ひとり「日文」のみが「秀吉の外交」と題して四分の一頁程度に留め、「文禄、慶長の役」と客観的記述に徹しているのが評価される。「日文」以外の六社は、「侵略」という政治宣伝用語を用いることで、特定の歴史観、より率直に言えば「反日史観」を純真な中学生に強要しているのである。
この悪しき傾向は、大戦後、当時の国際法上違法にわが国を長期間不法占領し、同じく国際法に違反してわが国の政治体制変更を強要した「GHQ(連合国軍総司令部)」による日本民族の精神文化的絶滅政策とも称すべき諸々の占領政策に帰因する。「墨塗り教科書」と「国史教育の禁止」に始まる占領教育政策は、やがて策定された「社会科」の一部として、過去のわが国のすべてを否定し、民族的紐帯や自尊心を消去させるための「日本史」「世界史」を設定した。
そして、それを教える教員は、当時九割を超える加入率を誇った「日教組」の構成員達であった。彼等の頭脳を支配していた思想、歴史観は、大正十一年「コミンテルン日本支部(後の日本共産党)」結成以来、一部インテリゲンチャ層に蔓延していた「階級闘争」を歴史的必然と見る「唯物史観」であり、政治的には「天皇制打倒」すなわち日本の国体破壊を主張する「コミンテルン史観」と表現すべきものであった。
彼等は、戦争直後、米国占領軍を「解放軍」と歓待したが、その後始まった米ソ対立の下で「反米、反資本主義」に急転換する。だが、決して「反日」を捨てた訳ではなく、その時々で「反米」と「反日」の比重を使い分け、冷戦下に「反日教」とも称すべき信仰に基づく日本否定観念を育成、固定させるのに成功した。
その結果、GHQの施いた路線は、日教組反日教育と結合し、「反日」と言う何にも換え難い価値観の下で、日本社会に新たな自己否定論理を定着させるに至った。
あえて大阪的省略法を採るならば、GHQとコミンテルンが「反日」と言う共通項の下に構築した「G・コミ史観」とでも略称しておこう。
韓国語を強制される日本国中学生
昭和五十七年のいわゆる「教科書騒動」に際して、時の官房長官が国内外の反日攻勢に押されて発表した「宮沢談話」でのいわゆる「近隣諸国条項」は、わが国教科書の改悪を目論む勢力によって最大限に悪用されて来た。「近隣諸国」への「配慮」なる文言から、中国・韓国・北朝鮮等に関する記述は、事実上検定の対象外となったのである。
例えば、「大書」の「日中戦争」では、「南京では占領後に20万人といわれる民衆を虐殺し」と本文で記しているが、脚注では「中国では30万人をこえると主張しています」と「近隣諸国条項」を利用し、日本軍性悪説を確信している教員達が、祖国日本をより悪者視して教育する様に編集している。教科書は、より反日度を加えるほど、より多く採択される――売れる――のであるから、最大限二十万人しか居なかった南京で、三十万人が殺されても矛盾しないのである。「南京大虐殺」なる「政治宣伝」が、内外の反日勢力と日本政府の土下座外交の帰結として「政治的事実」に置換され、本来の『歴史的事実』は教科書から追放されてしまった。
宮沢談話の果たした役割は、悪い意味で重大であった。「・・・と中国は言っている」「・・・と韓国は主張している」という表現を利用すれば、如何なるウソ八百でも教科書に記載できるのである。
今回の検定では、古代史でこの「近隣諸国条項」が、韓国語の強制という形で表れた。最大の発行部数を誇る「東書」をはじめ、「大書」、「日書」が「コグリョ」「ペクチェ」「シルラ」「コリョ」と聴き慣れないルビを漢字に振る様になった。巻末の「人名さくいん」でも、例えば「日書」の場合、約二百六十名ほどの歴史上有名な人物中、「アンジュングン」「イスンシン」.「イソング」が並んでいる。これ等は各々「高句麗」「百済」「新羅」「高麗」「安重根」「李舜臣」「李成桂」という漢字の振り仮名である。一応日本読みのルビも振ってあるが、それが消されるのは時間の問題であろう。
一体、わが国内の日本人児童、生徒に現代韓国語を強要していかなる意味があるのであろうか。周知の様に、「諺文(おんもん)」いわゆる「ハングル」が公式に作定されたのは、李氏朝鮮四代の王「世宗」二十五年(本朝嘉吉三年)であって、二十八あった表音文字は当時の発音を遺してはいるが、それよりも千年も遡る三国時代の朝鮮語は、日本書紀等に若干残っているのみであって、古代朝鮮語は発音不明なのである。
にもかかわらず現代韓国語で日本古代の漢字を表音させようとする押し付けがましい態度は、彼等の日頃の主張とも矛盾する。
彼等は、戦前に大日本帝国の朝鮮地方で朝鮮系の人々にも『国語』たる日本語を教育したことに対して「朝鮮民族文化を奪った」と強弁する。だが、当時の朝鮮は日本国の一部分であったのである。国内の異民族に国語教育を行ったのが問題であるのならば、現在全く別の国家である日本の中学生に韓国語を強要するのは全面的に間違いであるはずである。
もっとも例の「近隣諸国条項」によった教科書の「反日・非日化」と言う政治路線からみれば、「進歩的」な表現なのであろうか。
次回の検定では、この種の表記が更に増加するものと思われる。日本人児童、生徒に対してさえ韓国・朝鮮民族教育の必要を主張する同和系団体、教員への、教科書会社の阿諛追従が、この表記の源泉だからである。
ちなみに、朝鮮文字「諺文」が朝鮮民衆に知られる様になったのは、世宗以後の数代を除けば、日本統治時代、朝鮮半島で実施された「朝鮮語教育」の結果であった。
歴史は「マッカーサー」に創られた――教育出版――
現行教科書は、唯物史観の影響で、「歴史は民衆によって作られる」のであり、「社会経済史」が重視され、特定の歴史的人物、英雄を極力、無視、黙殺――政治的に利用できる揚合を除いて――しようとする。
例えば、偏向が一番強いと目される「教出」の歴史教科書「目次」を見ると、載っている個人名は「伊治呰麻呂(これはるのあざまろ)の乱と豪族阿弖流為(アテルイ)の抵抗」(二頁にわたる本文以外の話題)、即ち朝廷に反逆した両名を除けば、第九章一、「日本の民主化とアジア」の中で「マッカーサーは何をしたか」とあるのが唯一である。前二者は本文ではないので、本文目次に登場するのは「マッカーサー」だけである。日本の国史教科書に墨を塗らせ、国史教育を禁止した張本人、GHQ総司令官「マッカーサー」ただひとりが歴史的人物として掲載されている事実は、象徴的でさえある。
「教出」二七〇頁によれば、マッカーサーは「日本政府に指令を出して占領政策を実行した。まず、軍隊を解散させ、戦争を指導した軍人や政治家などを極東国際軍事裁判にかけて、戦争犯罪人として処罰した。また、職業軍人や軍国主義者などは公職から追放され」と「ムチ」についてその不当性を批判するどころか当然のことの様に記述している。その後「民主化の指令」の項目で「マッカーサーは、民主化をためらう日本政府に改革を実行させた」と記し、「治安維持法を廃止して、政治犯、思想犯を解放し」「政治結社の自由が認められ」「労働組合が次々に結成され、農民組合も復活」となり、「部落解放運動が高まり、婦人運動も活発になった」と、あたかもマッカーサーを救世主の如く紹介している。
更には、これ等の冒頭に「・・・どうか渡米させて下さい。お願いします。ダグラス=マッカーサー元帥様」なる「13才の少女の手紙」なるものを載せ、「日本をうちまかした敵であるアメリカに、どうしてあこがれたのだろうか」と、米国の「民主化」政策に当時の全国民が双手を挙げて賛成し、憧憬の念を抱いていたかの様な先入観を持つ様に編集されている。
だが、本当に「政治犯、思想犯」は「解放」されたのであろうか。「政治、結社の自由」はあったのだろうか。GHQに逮捕、投獄、処刑、処罰されたいわゆる「戦犯」の方々こそ、まさに「政治犯、思想犯(例えば大川周明等)」ではなかったのか。国家主義的として解散させられた多くの団体があったのに「政治結社の自由」が聞いて呆れる。
「教出」の記述は、「桜井よしこ氏」の舌禍事件と同根の精神構造で構成されている。すなわち、反日勢力は、自分達の権利や自由は最大限に主張、追求するが、反対意見に対しては、その存在そのものを「許さない」と称して圧殺、黙殺、妨害して当然視する。この矛盾した幼児性から脱却できない社会病理こそ、教科書を劣悪化する主たる要因の一つなのである。
「教出」からみた救世主たる「マッカーサー」は、日本国民から見れば、教科書を墨で塗りつぶし、国史を禁じ、多くの同胞に「戦犯」の汚名を着せて死に追いやった「圧政者」「征服者」「支配者」でもあったのである。
「ファシズム」って何ですか――清水書院――
各社の目次を見てみよう。近現代の部分で「清水」のみが、第九章第三節に「ファシズムのうごきと戦争への道」と題して、暗にファシズム故に第二次大戦が発生したかの如く載せている。むろん、他社も目次にこそ出さないものの中小の単元で「ファシズム」を記述している。しかし、その表記は社によってかなりの相違がある。
発行社としての定義を載せていないのは「教出」だけであり、代わりにムッソリーニとヒトラーの演説の一部を引用している。最も簡単なのは、「日文」の「ドイツやイタリアの全体主義(ファシズム)」であり、一番詳しいのが目次に掲げている「清水」である。それによれば「対外的には侵略政策をとり、国内では改革を暴力や宣伝を用いてすすめようとする国家主義的な政治・社会運動」と規定し、「イタリア・ドイツ・日本でとくにさかんになった」と記されている。その他の「大書」「帝国」は「軍事力を」、「日書」は「軍国主義的」と書き、いずれも「独裁政治」としている。
結局のところ、七社全社に共通する「ファシズム」の規定は存在しない。「日書」によれば「民主主義を否定した軍国主義的な独裁政治」であり、「教出」を読んだ生徒は「国家がすべて(ムッソリーニ)」で「指導者だけに従う運動(ヒトラー)」と思い、「日文」で学べば「ドイツやイタリアの全体主義」と教えられる。
一体、「ファシズム」とは何だったのだろうか。イタリアのファシスト党一党独裁政治をファシズムと呼ぶのは当然であるが、第二次世界大戦の発生原因として、諸悪の根源として、いわば「悪魔の思想」的な政治宣伝用語としての位置づけには、歴史学的に疑問を抱かずにはいられない。元来、国家利害の対立から起こった大戦が、「民主主義対ファシズム」と言うイデオロギー対立にスリ替えられ、歴史の真実が隠されてしまったのである。
上に国王を戴くが故に、その国王から罷免されて失脚したファシズムのムッソリーニと、自ら「フューラー(総統)」となり、国家元首となったナチズムのヒトラーとの政治が全く同一のはずがない。まして、昭和十五年まで、二大政党が大きな政治勢力を有していた日本は、ファシズムとは無縁である。
また、ナチスと常に対立関係にあったドイツ国防軍は軍国主義の象徴であり、ファシストのムッソリー二は軍部バドリオ将軍のクーデターで逮捕されたのである。ナチズムやファシズムが軍国主義と異質であることは確かである。
更に、わが国では昭和十一年の二・二六事件後、民政党の斎藤隆夫代議士は「粛軍演説」を帝国議会で堂々と行い、昭和十五年支那事変の最中でも議会で軍部批判演説を行って、逮捕もされず、投獄されることもなかった。
もし、独裁政治をファシズムと呼ぶならば、米国が援助した国民党一党独裁の中華民国や共産党一党独裁のソ連もファシズム国家であった。また、強引に大統領三選を果たし、日本軍の真珠湾攻撃情報を前線に伝えなかったルーズベルトの独裁政治もファシズム的とみなされよう。軍国主義がファシズムならば、ドイツの侵攻を受けたポーランド、すべてが軍隊組織であった中国共産党、等々多くの国や勢力が「ファシズム」になる。
仮に「清水」の定義に従うならば、最もファシズムらしい国家は「ソ連」であった。第二次大戦での最大の領土拡張国は同国であり、国内では共産党の一方的宣伝と血の粛清等の恐怖暴力政治を行い、「大祖国戦争」を多大な国民の犠牲の上に遂行したのである。
とまれ、当時の混乱した世界にあって、「軍事」「独裁」「全体」「侵略」「宣伝」等と無縁であった国は一つもなかったのである。大戦に参加した国家を善玉と悪玉に区分するための政治宣伝用語としての「ファシズム」は教科書から追放すべきである。
「李参平」を知っていますか――大阪書籍――
教科書の目次は、その編集姿勢を物語っているが、巻末の索引もまた、その教科書の性格を物語っている。
例えば「大書」の人名索引には、「安重根」「李参平」「李舜臣」「李成桂」「金日成」「全 準」「柳寛順」の朝鮮人名が、例によって韓国音の表記で記載されている。全世界史上記憶すべき二百十名の中に、朝鮮人が七名も採録され、しかもそのうちの王族は一名のみ。戦後韓国で創られた政治神話で「東洋のジャンヌダルク」と称される柳某が、世界史を代表する人物でないことは誰の眼にも明白であるが、「大書」は大きく採り上げている。
何故ならば、「近隣諸国条項」への配慮と教科書採択権を持つ反日教員に阿る(おもねる)ためである。
柳ばかりか、明治維新の元勲たる伊藤博文の暗殺犯を、「大書」は「朝鮮の青年安重根」とあたかも英雄の様に記載している。
そればかりか「李参平」なる聞きなれない人物名を採り上げ(「東書」も同様)、「陶祖李参平」なる写真を掲載している。そして、「秀吉の朝鮮侵略のさい、多くの朝鮮人陶工が日本に連行され、李参平もその一人でした」と、大東亜戦争中のいわゆる「朝鮮人強制連行」を連想させる意図的表記を行っている。この記述は、歴史を四百年溯及し、侵略者たる日本を断罪しつつも、文化的優越国たる朝鮮が、わが国に多大な恩恵を与え給うたかを生徒に印象づける効果を狙っている。
朝鮮の一陶工の氏名を載せるならば、信楽、瀬戸、常滑、丹波、備前、等々の陶工名を何故記載しないのか。「大書」は、赤絵の始祖たる柿右衛門も、仁清も載せていないのである。もともと一人の陶工が有史以来二百十名の歴史的人物に列挙される資格があるのか。
また、朝鮮、韓国の人名が、国史を含む歴史上の重要人物中、三十分の一もの確率で登場させる価値があるのか、「大書」の対韓土下座編集の問題点は大いに論議されねばならない。
反日テロ礼讃――帝国書院――
「五・一五事件」「二・二六事件」等、その是非は別として、祖国日本を想い直接行動したいわゆる「テロ」は、全面否定、あるいは黙殺している現代日本の教科書が、こと日本側が被害者の場合、加害者たる暗殺犯や非正規軍を英雄扱いしている。
その象徴的事件は「伊藤博文」暗殺に関する記載である。明治の元勲暗殺犯「安重根」は、「民族的英椎」(「帝国」)であり、「朝鮮の独立運動家」(「日書」)であって、「いまも韓国で愛国者とされる」(「清水」)、「朝鮮の青年」(「大書」)、「韓国の青年」(「教出」)なのである。僅かに「日文」は論評なしに人名のみを記載し、「東書」は良識を保ち記載していない。
特に問題なのは「帝国」である。この暗殺犯をコラムで持ち上げ、「青年時代は私財をなげうって学校を建て、みずから教育を行って愛国運動につくし」「日本の侵略が強まると義兵に参加」「侵略の中心人物として初代韓国統監の伊藤博文をハルビン駅で射殺し」「日本では暗殺者とされていますが、韓国、北朝鮮では民族的英雄として尊敬され」ていると、韓国教科書並みの表記である。
この「帝国」の記述を読む限り、伊藤公暗殺事件及び暗殺犯に対する日本国民の憤りや悲しみは、どこにも表れない。それどころか、「暗殺犯」安重根は、「侵略の中心人物」「伊藤博文」を「射殺」した「民族的英雄」に美化されてしまっている。「帝国」は、反日である限り「テロ」をも礼讃するのである。
この論理を拡大すれば、「竹島」問題で腹を立てた韓国人青年が橋本首相を暗殺したとしても、「韓国固有の領土独島(日本名竹島)」を「侵略しようとした中心人物」「橋本龍太郎」を「射殺」した「民族的英雄」「某々」と記すことになる。
それは、「悲観的憶測に過ぎない」と一笑に付すことは出来ない。何故ならば、過日、南米ペルーでの日本大使公邸人質事件の際、武装占拠したゲリラを「犯人」と明確に表現したのは「フジテレビ」系列だけであった。NHKの「武装グループ」をはじめ、「ゲリラ」等、彼等が「犯罪者」であって「犯罪」を犯していると言う論調は極めて低く、ペルー政府や日本政府の対応を批判しても、犯人側を非難する主張は皆無であった。
日本は一方的な被害者であるはずなのに、被害者意識は希薄であり、加害者に対してその行為を非難、糾弾する姿勢が欠如していたのは、いわゆる「戦後日本」の精神構造を支配した「反日マインドコントロール」の結果である。
「戦後日本」の学校とマスコミを支配した反日勢力は、各々学校教育と社会教育を牛耳り、あらゆる機会を捉えて国民に反日洗脳を施して来た。その結果、『日本及び日本的なるもの』は、過去、現在、未来に亘って常に唾棄、否定すべきものとする「日本性悪説」が国民の脳裏に刻み込まれてしまった。日本は常に悪玉なるが故に「被害者」にはなり得ない、との暗黙の価値観が教科書に表れた時、「暗殺犯」安重根は「英雄」にスリ替えられるのである。即ち「反日」であれば、テロでも殺人でも許容、推奨されるのが、現在の日本国教科書の特性なのである。
「高麗」は日本の恩人――日本書籍――
わが国への外寇の脅威は、中大兄皇子称制二年、「白村江」で百済再興を賭けた一戦に敗れ、唐、新羅連合軍の九州侵攻を目前にした時に始まる。対馬等に防人を置き、筑紫に水城を構築した。幸運にも実際の侵攻はなかったが、それから六百余年を経た文永十一年、元が支配下の高麗軍を主力として北九州に侵攻、暴虐の限りを尽くした。
それに対して、鎌倉武士の勇戦や「神風」によって一旦は撃退したものの、弘安四年、旧南宋軍をも併せた十数万の元軍が再来寇して来た。それを予測していた日本側は、博多湾沿岸に石垣を築き、敵を上陸させず、奇襲攻撃を繰り返し、やがて再び暴風雨の天祐を得て、元軍を撃退した。世に言う「元寇」「蒙古襲来」である。
この際、朝鮮半島にあった「高麗」は、元の国書持参を案内する等の間接侵略と、文永の役で対日侵攻の主力になる等、わが国に対して「耐えがたい苦痛」を与えた張本人である。
ところが、今回の各教科書では、加害者であり侵略者であったはずの「高麗」が、何と日本の恩人にスリ替えられているのである。
「日書」では、「元軍は・・・おしよせ」とあえて侵攻軍から高麗名を除外し、逆に「高麗軍の一部が元軍と戦った。そのため元の日本遠征はおくれた」と記述され、高麗軍の蛮行が隠蔽されるばかりか、あたかも恩人か保護者の様な印象を与える様に描かれている。
「清水」でも、三回目侵攻中止理由として、「中国南部の漢民族の反乱や高麗、ベトナム、琉球、サハリンなどの人びとの元に対する抵抗で延期し、フビライの死によって中止」と説明されている。明らかに「アイヌ差別」「沖縄差別」を念頭に置いた記述である。琉球まで書いているのは「清水」だけだが、「教出」は「元は樺太(サハリン)のアイヌの人たちと戦い」(本文)「一二八四〜一二八六年、モンゴルが樺太(サハリン)のアイヌの人たちとの間で戦闘を交えた。一二九七年、一三〇五年には、アイヌの人たちの一部が海をわたり、モンゴル軍に撃退された」(コラム)と詳しくアイヌ人の活躍を描写している。ある意味において「近隣諸国条項」の中世版とも言える。
逆に、鎌倉武士の勇戦敢闘を素直に記述した教科書は一社もない。七社中、「教出」が最も好意的で「幕府軍は激しく抵抗したが・・・苦戦」「石垣によって元軍の上陸を防ぎ、小船で奇襲し、二か月にわたって戦った」と書き、「日書」は「日本軍は・・・苦しんだ。しかし執権北条時宗の指導のもとによく戦い」と記している。「日文」は「武士は、元軍の集団戦法や、火薬を使った兵器に苦しめられながらも、よく戦った」と述べつつも「元軍の兵士の多くは・・・戦う気力に欠け・・・舟も手ぬきのものが多く、もろいもの」と、武士の敢闘を減殺する表現を付加している。
他社は、「元軍の集団戦法や火薬に苦戦」(「大書」)、「日本の武士は苦戦」(「帝国」)、「幕府軍は・・・苦しめられた」(「清水」)と、日本側は全く良いところなしの表現である。「東書」に至っては「元軍は、集団戦法とすぐれた火器により、さんざん日本軍をなやましたすえ、引きあげた。(文永の役)」と勝敗を逆転させてしまっている。この表記を素直に読めば、勝ったのは元であり、日本は敗者である。「暴風雨」も「神風」も抹殺し、明らかに韓国等に媚びへつらっているのである。
この傾向は、元、高麗軍の蛮行隠しにも表れ、彼等の犯した残虐行為に触れた教科書は一社もない。にもかかわらず、「秀吉の朝鮮侵略」では、「一人の僧は、日本軍の残虐な振る舞いに出くわし、『野も山も焼きはらい、人を切り、人の首をしばる。・・・』と日記にしるした」(「日書」)と、近世版「三光作戦」を出所不明の資料で本文に載せている。
終戦前に「千島」は「攻めこ」まれたという虚構 ――日本文教出版――
他社に比較して偏向の弱い「日文」でも、国民的常識の欠如から来る誤記載や記述もれが目立つ。大東亜戦争終戦前の表記に「ソ連も・・・満州や朝鮮、南樺太、そして千島に攻めこんできた。そこで、政府は、ポツダム宣言を受諾」とある。同様の記述は、「清水」「日書」「大書」「教出」の四社にも見られる。
だが、これでは、現下最大の領土問題である「北方領土問題」の経緯がボカされてしまう。ソ連軍が千島列島最北端の占守島(シュムシュ)に軍事攻撃をかけて来たのは、昭和二十年八月十八日、すなわち終戦三日後の武力侵攻である。それだけに、旧ソ連、現ロシアの「北方領土」占拠はより多くの不当性、不法性を内包しているのである。
ところが、「日文」以下五社の記述では、ソ連軍の千島侵攻が終戦前、つまり戦時中の軍事作戦行動の一部とされてしまっている。しかも、それを検定した文部省の「教科書調査官」自身が、八月十八日被侵略の重大な事実を知らなかったのである。
更に、「シベリア抑留」についても、昭和六十年代にソ連がわが国の歓心を買うために持ち出してから、数年前以来一部で申し訳的に記載されるようになったが、今回は、「東書」「大書」「日書」が脚注で一〜二行程度採り上げ、「帝国」は本文外で三行ほど載せたが、「教出」「清水」「日文」は載せていない。
現代版「戦争奴隷」として、平和時に「強制連行」され、酷寒の地で事実上「虐殺」された十万名前後の同胞に対して、日本の教科書は何と冷淡なことか。「G・コミ史観」では、日本人は永遠に加害者であって、被害者たり得ないのである。
弾圧と抵抗の国〈酷〉史――東京書籍――
最大発行部数を占める「東書」には、本文以外に「歴史の窓」と称する読み物が各一頁ずつ、十六か所に亘って掲載されている。
見本本に供えられた「内容解説資料」「特色2」「学ぶ力を養う特設ページ」の中で、「楽しく学ぶ『歴史の窓』」と題して、「重税に苦しむ農民」「蝦夷の抵抗」「地頭を訴えた農民たち」「大東亜共栄圏のまぼろし」「朝鮮人強制連行」と「楽しい」話題が目白押しである。
「重税に・・・」では「ある者は病気のためにうれい苦しみ、ある者は食料がなく、飢えと寒さにうちひしがれている」と記し、「蝦夷の・・・」では「蝦夷の人々は激しく抵抗・・・アテルイのたくみな作戦の前に朝廷軍の惨敗」と表現され、「地頭を・・・」では「妻子を家に閉じこめ、耳を切り、鼻をそぎ、髪を切って尼にしてしまうぞ、縄でしばって痛めつけるぞと、責めます」が一級資料として中学生に紹介され、「大東亜・・・」では「バターン死の行進」「泰緬鉄道」「死の鉄道」「インドシナは・・・日本軍に大量の米をうばわれ・・・多くの人が餓死」「マレー半島では・・・中国系の住民が・・・処刑」「インドネシアでは・・・強制労働」と、悪鬼の如き日本軍の蛮行が強調されている。
更に「近隣諸国条項」が直接適用される「朝鮮人・・・」では、例の誤記載で問題となった「トラックで連行される人々」の写真が大きく載せられ、「日本の公的機関が直接関与」「警察官や役人が・・・寝てる男を家から連れ出す」「抵抗する者は木刀でなぐりつけ、泣きさけびながらトラックに追いすがる妻子を上からけりつけ」「危険な長時間労働、そまつな食事、過酷な労務管理が待っていました」のだそうである。
この「歴史の窓」に論評は要るまい。これ等の記事を「楽しい」と感じ、その歴史的意義を強調する倒錯した異常心理の持ち主が、東書の教科書作成に関わっているのである。
彼等は確かに実在し、その同類がマスコミや教育界を支配しているのは、事実である。だが、かかる「マゾヒズム」と「恐怖願望」心理に汚染された偽日本社会では、いたいけな小学生の遺体の一部が中学校の校門に放置される等の耐え難い、信じ難い社会現象を生起している。
「日本原罪論」「日本性悪説」「日本加害者観」等々を根幹とする「G・コミ史観」では、「国史」を「酷史」に歪曲、改竄すればするほど、より多く採択される――売れる――のである。
今後の課題――各社――
各教科書には、巻末で未来に向けての指針や方向性が明示されている。
「大書」では「民衆の力こそが、歴史を進める大きな力」との唯物史観に立ち、「近代日本の歴史が、台湾や朝鮮の植民地化、軍国主義、日中戦争、太平洋戦争など反省すべき」と総括し、「日書」では「自民党単独政権は終わりを告げ」たことを評価しつつも「国民が主人公となる民主的な政治」は確立していないと指摘し、「男女差別やアイヌ問題、在日韓国・朝鮮人問題など」を「日本国民の課題」としている。
また、「外国人労働者の生活と権利の問題、戦後補償の問題」(「大書」)、「アジアからは戦争責任をいまだ問われつづけている」(「日文」)、「老人など社会的に弱い立場の人たちへの差別・・・も問題」(「帝国」)、「日本人は働きすぎであるとか・・・批判され」「戦後五十年以上たった今日でもなお、日本の侵略の犠牲になった人々への償いは、忘れてはならない課題」(「東書」)だそうである。それ等の主張をまとめる様に、「教出」は次の見出しを載せている。「世界の中の市民の一人として――少数者の権利と文化を守る」。
読者諸兄は、彼等教科書製作者の意図、発想、思想、目標、等々を、この「課題」の中に看取するに違いない。彼等は、アイヌ、琉球等の「権利と文化」は守るが、多数者たる日本のそれは否定、抹殺して当然と心得ている。不法入国、不法就労が大部分の「外国人労働者の生活と権利」は守るが、彼等に仕事を奪われた日本人労働者の生活困窮は念頭にない。
少数者が愛の手を差しのべてもらうためには、彼等に法律的、道徳的合理性があり、なおかつ援助する多数者が物心両面で自立していなければならない。だが、「逆差別」を当然視する現下日本社会では、不当、不法な少数者――自称「弱者」――のために、自立していない多数者たる多くの日本国民が、多くの犠牲を強いられている。
同様に、わが国の「戦争責任」なるものは声高に論じられるが、日本及び日本人の被害は無視、黙殺されるのが常である。ソ連による「シベリア抑留」、米国による原爆投下(これこそ「広島・長崎大虐殺」と呼称すべきではないか)、中国の通州事件、ABCD包囲陣、極東国際軍事裁判の不当性、等々、枚挙に暇のない自国、自民族の不利益を歴史上から抹殺する「G・コミ史観」が教科書を支配している以上、歴史教科書から「国家百年の大計」や「民族二千年の文化、伝統」が消し去られて行く。
東アジア、そして世界動乱の中で、国民、民族の依拠すべき精神的支柱と国家的経綸の道が求められているにもかかわらず、現在の歴史教科書には、その様な視点が完全に欠落しているのである。
かかる情況下、祖国日本と同胞の延命を図るには、せめて「ふつうの国」の教科書を、そしてやがては「日本」の「国史」復活を待望するものである。
◇長谷川 潤(はせがわ じゅん)
1947年生まれ。
同志社大学文学部卒業。
民間企業勤務の後、大阪府枚方市の中学校教諭。
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