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1998/11/20 産経新聞朝刊
【はじめて書かれる地球日本史】(311)西欧の先を見た教育改革(1)
西尾幹二(評論家)
 
 近代日本の教育のあり方は、近代以前の歴史からは説明できない不思議な特徴をいくつも持っている。
 教育が競争と結びつくという契機は日本の長い歴史の中にはなかった。周知の通り古代社会ですでにそれを持っていたのは中国だった。よく知られる「科挙」は、皇帝が独裁権力をほしいままにするために、有能で忠実な官僚群を自由に動かす必要から生まれた。門閥貴族の勢力に皇帝が対抗する必要上、身分や出自に左右されない効率のいい人材を選抜する方法として開発された。全志願者に同一の筆記試験を課し、採点にも氏名を伏せるとか筆跡を隠すといった、情実の入らない配慮がはらわれた。きわめて客観的で、ある意味で近代的といっていい合理性に貫かれていた。
 
◆公平と成績の原理
 隋唐時代を通じて徹底して行われ、宋時代に全盛期を迎え、その後形骸化したとはいえ、清朝末まで約千三百年間つづいた。日本でも平安時代に一度導入が図られたが、うまくいかなかった。受験者が特定の家門に独占されてしまい、その実質を失ったのである。
 ところが、どういうわけだろう! 明治以後の日本では教育が競争と結び付くや、客観的かつ合理的な試験制度がたちまち採用され、あっという間に官吏登用法として、他国に例のない高い効率性を発揮することに成功した。そこでは「公平」と「成績」という二つの原理が最優先とされた。
 官職の門閥世襲を排除した自由競争の原理は、日本の場合には皇帝の専制独裁に奉仕するためではなく、いうまでもなく近代産業社会の推進のために活用された。教育が先頭に立って社会の工業化を進めたのが日本方式である。歴史のなかに学業競争の経験をもたないのになぜ、かほどに成功したのであろう。競争スタイルがこれほど急速に発達し、あげくの果て「受験競争」という病理においてさえ「科挙の弊害」に並ぶところにまできてしまったというのは、当初誰も予想できなかったし、不可解というほかないのである。
 中国の試験制度は学校制度と結び付かなかった。唐以来中国にも国立学校の制度はあったが、科挙の受験に役立つ知識教育の場として機能したことはない。
 明治五年の学制発布以来、教育令、学校令の二度の改革を経て施行された日本の教育制度が、範を欧米に仰いだことはよく知られる。古来、日本にも中国にも「大学」はなかった。「大学」はヨーロッパ中世の発明である。初等・中等教育の組織化もヨーロッパが世界に先んじていた。
 しかし、ヨーロッパの学校には生徒を互いに競わせるという性格がもともとなかった。中世になかっただけでなく、今に至るまでない。入学試験も例外的ケースを除いてない。ドイツでは大学の入学試験は今、憲法違反ですらある。入学の資格は厳しく問われず、評価と選抜は入学後に始まる。それも「試験」によるのではない。
 
◆西欧の学校制度導入
 他方、中国の歴史には学校制度の発展の跡がほとんどみられない。皇帝はこの面に力を注がなかった。教育は家族の仕事であり科挙に合格するには家族や家系の協力がすべてだった。競争試験の制度を世界で初めて合理的に実行した中国が、学校制度の発展に対してほとんど貢献しなかったのは注目すべき特徴である。
 しかるにわが日本ではヨーロッパから受け入れた学校制度を瞬時にして競争試験のスタイルにむすびつけた。寺子屋も藩校もいったん解消し、西洋語を中心としたエリート教育を頂点に、小学校から西洋には存在しない競争的性格の学校制度をたちまちのうちに築きあげた。明治の一時期には小学生にも進級、卒業のたびに「試験」があったのだ。一体どういう理由によるものであろう。
 清末に至るまでの中国は文民官僚的専制国家体制であり続けたといっていい。武官が文官より上位になった歴史は中国にも朝鮮にもない。しかし日本は武家が公家を抑え、武が文を支配した封建社会をくぐりぬけている。その点ではヨーロッパ史と共通する。皇帝かしからずんば奴隷かという二つに一つの中国史は封建社会を知らない。科挙は皇帝制度を維持する装置で、試験科目は法律や財政といた実務ではなく、文学を含む古典の教養であったため、近代社会に適応できなかった。他方、武が文を支配した封建社会は、一度は粗削りな「自由」を知っている強みがある。
 日本がいち早くヨーロッパの学校制度を受け入れた素地は、歴史の共通性にあると思うが、それならなぜ教育と競争を結びつけない西欧と違い、日本の学校制度には著しい競争的性格が刻印されたのであろうか。(評論家 西尾幹二)


 
 
 
 
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