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2004/03/01 産経新聞朝刊
【解答乱麻】明星大教授 高橋史朗 「伝統の尊重」削除の背景
 
 改正が求められている教育基本法。中でも「伝統の尊重」は重視されなければならない。
 終戦後、日本側が作成した教育基本法の前文案には「普遍的にしてしかも個性豊かな、伝統を尊重してしかも創造的な文化をめざす」と書かれていたが、連合国軍総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CI&E)教育課の圧力によって「伝統を尊重して」の字句が一方的に削除された。
 ところが、北海道教育大学の古野博明教授は共著「ちょっと待ったぁ!教育基本法『改正』」(子どもと教科書全国ネット21編、学習の友社、平成十五年)において、「CI&E教育課の示唆ないし指導があった可能性」などという表現でGHQの明白な介入があった事実をあいまいにしようとしている。
 日教組のシンクタンクである国民教育文化総合研究所が作成・発行した冊子「教育基本法を『生かし活かす』ために」も、「教育基本法擁護論への『改正』論者による誤った批判」と題して、五ページにわたって筆者の論文を批判し、「伝統を尊重して」という字句は当時の教育刷新委員会で羽渓了諦(第一特別委員会主査)が突如追加したものだと主張している。
 いずれの論文も影響力が極めて大きいので、明確に反論しておきたい。
 前文案の字句の削除については当時、文部省調査局審議課長としてトレイナー教育課長補佐と交渉した西村巌氏が「大臣がもう一度司令部へ行ってこいということで、大急ぎで司令部へ行って、その話をしましたけれどね、やはり駄目でした」とあちこちで証言している。
 筆者は西村氏とトレイナー氏(アメリカの大学の研究室を訪問)に直接インタビューし、両人ともこの事実を明確に証言した。
 同字句の削除を命じたトレイナー氏によれば、当時の通訳が「伝統を尊重するということは、再び封建的な世の中に戻ることを意味する」と述べたからだ、と理由を説明した。当時の通訳自身も戦前の日本への反発からこのように述べたことを認めている。
 この三人の証言により「CI&E教育課の示唆ないし指導があった」ことは疑う余地のない明白な事実と断定できる。
 「伝統の尊重」については教育刷新委員会の総会において羽渓のみならず木下一雄、渡部銕蔵など複数の委員がしばしば提起していた。こうした戦前の反省に立って継承されるべき「伝統」についての論議が教育刷新委員会で行われた結果を踏まえて、田中耕太郎文相(当時)が「秩序と伝統を重んずるものでなければならない」という前文案を提示し、「伝統を尊重して」と明記されたのであり、羽渓の独断専行で無理やり追加したものではない。
 「伝統を尊重して」の字句の削除は「国民教育」すなわち、日本人のアイデンティティーを育てるという視点の欠落をもたらしたという意味で、決して軽視できない。これが教育基本法の教育理念の根本的欠陥である。近代国民国家で「国民教育」を教育理念としない国はない。わが国の教育基本法が「無国籍」で蒸留水のようだと揶揄(やゆ)されるゆえんである。
◇高橋 史朗(たかはし しろう)
1950年生まれ。
早稲田大学大学院修了。
スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員、明星大学助教授を経て現在、明星大学教授。


 
 
 
 
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