2000/10/29 産経新聞朝刊
【正論】作家 曽野綾子 再び言う。教育は強制から始まる、と。
◆どんな制度にも圧迫感
教育改革国民会議の答申の中で、私が発案者として責任があるとされている部分、つまり学校で生徒たちに奉仕活動を義務づける制度に関して、いろいろの意見が出尽くしたようなので、一応答えを出しておくことにする。
反対の意見は「自発性がないものは教育的でない」「個性重視の教育と反対方向」「とにかく強制はいけない。戦時中の動員を思わせる」「軍国主義的方向」などというものであった。
こういうことを論じる時、私はどうしてこうも一元論になるのかといつも不思議に思う。
教育は「幼い時」と「新しく或ることを始める時」には、往々にして強制の形を取るのである。それは長じた時と別だ。
まず小学校へ上がる。これも修学の意味を理解して自発的に学校へ行く子など例外だから強制である。「お姉ちゃんの行くのを見ていたから」というのはましな方で、普通は何が何だかわからずにランドセルを背負わされる。私のように閉所恐怖症があったので、教室の戸が閉められると怖くて泣き続けだった子も、仕方なく馴れて学校に耐えられるようになる。
家元と名のつくような家の子供たちは、それこそ有無を言わさぬ強制から修行が始まる。数え六歳の六月六日に初めての稽古が行われる、と聞いたことがある。
しつけというものもすべて強制だ。子供はお辞儀の仕方から時候の挨拶まで、親に言われたことを意味もわからずに渋々その通りにする。左側交通、電車に乗る時に切符を買うこと、食事の前に手を洗うこと、学校に入るのには入試という制度を経なければならないこと、すべてこれらの制度にはうんざりするような圧迫感がある。自発的に納得したのでもないが、仕方なく従うのである。
そのうちに、お辞儀が最も穏やかで簡潔な人間関係の基本だと理解し、日本では左側交通を守らねばひどい交通事故が起きることがわかる。雑菌の多い土地に行けば手を洗う方が病気に掛らないで済む確率が高くなることを理解し、同じ程度の学力の学生が集まる方が効率のいい勉強ができることを認識するから、渋々入試制度を承認する。
◆不幸な体験で知る人生
すべての教育は、必ず強制から始まる。イヌを、イヌという言葉で覚えさせるのだって立派な強制だろう。私がイヌをワニと言いたい、と主張したら、意思の伝達は損なわれ、学問の世界も混乱する。しかし異常事態でない限り、強制をいつまでも続ける必要はない。「幼い時」と「新しく或ることを始める時」強制の形で始まったことでも、やがて自我が選択して、納得して継続するか、拒否して止めるかに至る。
私はピアノを習わせられたがどうしても好きになれなくて中断し、小学校一年生から日曜毎に強制的に書かされた作文の練習は好みに合うようになって作家になった。
義務的に奉仕活動をさせられて、うんざりだ、まっぴらだ、という人は必ず出るのである。その時、その子供か青年は、自分がどのような仕事に就いて、どのような生涯を送ればいいかを明確に再発見できる。奉仕活動は「案外おもしろかった」という人は多いが、そのような人たちは、それをきっかけに、生涯、受けるだけでなく与えることのできる精神の大人に成長する。
人は、快い幸福な経験からも学び自己を発見するが、不快で不幸な体験からも人生を知るのである。もちろん不快で不幸な体験が役立つからといって、ことさら戦争や病気や体を壊すほどの労役をさせようと思う人は誰もいない。
◆人に尽くす生活もある
やや強制的な奉仕活動は、すでにあちこちの学校や団体がやっているのだ。だからそのまましたい人だけがすればいいのではないか、という説があるが、一九八四年から三年間続いた臨時教育審議会の時も、今度の国民会議の時も、それではだめだ、という理由が明らかになっている。
つまりやる気のある子は、もう既に奉仕活動の楽しさを知っている。しかし、今回の意図は、電車の中で化粧をし、ポックリ・シューズを履いて、ケイタイを掛けながら町にたむろしているヤマンバ族とその周辺の若者たちに、どうしたら人に尽くす生活もあるのだということを教えられるかなのだ。彼らは、大人たちからは奇異な目で見られているが、しかし心根(こころね)は優しい子が多い。彼らに奉仕活動を通じて、優しい心をかける対象を見つけさせるには、強制的に動員して体験させる他はないのである。
いつかテレビで、金髪のタレント娘三人が、自衛隊に一日入隊して鬼陸曹のしごきを受ける番組があった。私も視聴者の一人としていつ三人がやめるだろうかと内心期待して見ていた。一人はすぐ脱落したが、二人はとうとうゴールで倒れ込むまで頑張った。そして「よくやった!」というぶっきらぼうな一言の褒め言葉をもらって、涙が止まらないほど泣いたのである。
改めて言っておくが、奉仕活動は軍事教練ではなく人と社会を助ける作業にだけ適用される。しかし多分三人に二人の割で人生に自信をつけて帰る子がでるのである。(その あやこ)
◇曽野綾子(その あやこ)
1931年生まれ。
聖心女子大学卒業。
作家。日本財団会長。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
|