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2000/07/12 産経新聞朝刊
【正論】作家 曽野綾子 教育に奉仕活動を採り入れよ
 
◆利己主義生んだ戦後教育
 日本人の精神が、一部の人たちの間で崩壊しかけている、と言われ出して、その現象はますます顕著になっている。
 その源ははっきりしている。教師は労働者だと言い、先生も生徒も平等だ、などという思想を、いかにも新しい日本のあるべき姿のように振りかざした日教組的教師たちの姿勢である。
 大東亜戦争は日本人の命を三百万人ほど奪ったが、戦後教育の結果は人工妊娠中絶で約一億の命を抹殺した。戦争中の教育が帝国主義の思想で若者たちの命を奪ったとすれば、戦後教育は人の命をここまで利己主義にし、脆弱(ぜいじゃく)にし、凶暴にした。どちらが大きな悪だったか、ほとんど同罪とも言える。
 故小渕総理によって始められた教育改革国民会議はこうした危機感の中で発足し、実に妥協のない論議が続いているから、もし役所にやる気があるなら、必ず幾つかの改革は可能だろう。しかし「できない理由」を述べることに関しては天才的な霞が関が変革を望まなければ、何一つことは変わらない、という結果を見るだろう。国民はその変化を監視することだ。
 私が出した提案の一つは、日本人の若者たちをすべて、それぞれの教育と成長の過程において、奉仕活動に動員することである。
 戦後の日教組教育は「市民の義務は権利を要求することだ」と教え、「自分の不利益には黙っていないことだ」と訓練した。
 その結果、日本人には「大人のくせして」与えられることばかりを期待して人には与えることをしない精神的幼児と、もらうことばかりを堂々と要求する精神的乞食が溢(あふ)れたのである。この現象は若い者ばかりではない。壮年も老年も同じだ。家族や社会や国家が、そのような要求を満たすことができるかどうかも全く考えず、仮にできたところでその費用はだれが負担するのかさえも考えずに、自我の要求を非現実的に臆面(おくめん)もなく言い張る人が増えた。
 
◆耐久力のない子供たち
 受けてだけいると、無限に要求するようになり、しかもその欲望は決して満たされることはない。しかしもし与えることを知ると、それはたちどころにその人に満足と喜びを与える。人は受けることと与えることの双方によって、初めて健全に満たされるのである。こんな簡単な原則さえ、戦後教育は教えるのを忘れたのである。
 人に与えるにも、受けて感謝するにも、体力と忍耐力が要る。また教育は在る種の危険と嫌われることを覚悟の上で行うものだ。それさえも卑怯(ひきょう)な大人たちは、自分の人気と責任を恐れて避けた。だから子供は、何の耐久力も忍耐の精神も持たない腰抜けになった。
 もちろん絶対多数の子供たちはそれらの悪環境に打ち勝って自らを教育した。不幸な環境に打ち負かされて自己の生涯をめちゃくちゃにするよりも、自ら耐えることを選んだ。すぐ「きれる」子供たちは、自分自身で自分を教育することに失敗したグループである。
 改めて言っておくが、私が提案した奉仕活動への動員は、決して兵役ではない。戦争と結びつくいかなる技術を習得させるものでもない。しかし国民総動員という形で、自分の意志にないことをさせられる理由はない、という当節はやりの思想はまちがいである。
 どこの国でも、社会をおおまかなところで健全に、惨めなものにしないで済ませるには、誰もが、自分のしたいだけのことをしていて済むものではないのだ。すべての人間は、どこかの国家に属している。ナショナリズムというものは、選択可能な信条ではなく、それによって「食う」「基本的生活をさせてもらう」ということなのだ、と私は最近理解するようになった。人はその国家の仕組みを、教育、福祉、医療、交通や通信設備などの分野で利用して生きる以上、当然いくらかその社会に「いやでも」奉仕する義務がある。
 
◆老人介護の人手不足解消
 私が提案しているのは次のような制度である。
 小学校と中学校は、九月初めの二週間、各地の質素な施設に分宿、作業させる。共同の大部屋。冷房なし。風呂はシャワー。テレビは夕方だけ。電話も携帯は禁じる。そして、国有林の下草刈り、老人ホームの手伝い、海浜や里山(さとやま)の整備など、あらゆる仕事をさせる。この指導に青年海外協力隊のOB、各作業に精通したシルバー・ボランティアが当たる。
 満十八歳に対しては、就職、大学入学の決定した後の四月初めから一乃至二カ月間を動員する。中卒で既に社会で働いている人たちも同じ期間に動員する。これを学校や社会の正規の教科として組み入れ、予算処置を講じ組織を作ることである。
 これは前段階的な試みで、できるだけ早い将来に、満十八歳で一年乃至は二年の奉仕動員を実施する。これでほとんど老人介護に関する人手不足の問題は解消する。
 恐らく多くの若者たちは、これで人が変わったようになって帰る。彼らはほんとうは耐える力も善意も持っている。それを引き出し、与える喜びを知らせ、肉体労働の必要性を認識させれば、青年たちは堂々たる大人になるのである。(その あやこ)
◇曽野綾子(その あやこ)
1931年生まれ。
聖心女子大学卒業。
作家。日本財団会長。


 
 
 
 
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