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1991/04/23 読売新聞朝刊
[論点]受験競争緩和に固執 課題残る中教審答申 新堀通也(寄稿)
 
 中教審は「教育に関する基本的な制度」について審議し文部大臣に建議するという任務をもっているから(中央教育審議会令)、国の教育政策や教育行政に極めて大きな影響を与える。人びとがその答申に強い関心を抱くのも当然だ。
 先日発表された答申にも早速、各方面からいろいろな論議が起きているが、ここでは答申およびそれに関する論議がほとんど触れていない問題を個条書き的に指摘したい。
 第一に答申のタイトル自体が一種の羊頭狗肉(ようとうくにく)だ。「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について」が正式の表題だが、むしろ「受験競争の緩和について」と名付ける方が適切だ。国際関係や高齢化がもたらすきびしさは、現在すでに実感されつつあるが、こうした新しい時代への対応という意識はどうも希薄である。
 第二に事実誤認、少なくとも一部事実だけの過剰指摘がある。現在の教育のゆがみの根源を受験競争、大学入試、さらには学歴主義、「学校歴」主義にあるとし、その是正を強く求めている。答申を読むと、あたかもすべての高校、すべての子どもが、序列化した同一路線上の学歴や学校歴を求めて受験競争に参加しているかのごとき印象を与える。
 こうした受験競争が子どもの個性やゆとりを抑圧し、教育をゆがめていることは事実だが、もともと受験競争に参加していない子ども、いや授業についていけず、中卒はおろか小卒程度の学力さえ欠く生徒をかかえる高校も多いのだ。
 授業を全廃し、学力など無視するなら、「指導困難校」もなくなるかもしれないが、それが学校の名に値するかどうかは疑問である。
 第三に、これをさらに根本的にいえば、高校や大学の役割いかんという法律問題となる。学校教育法(五六条)は高卒には全員、大学入学資格を与えているし、同五二条では大学を学術の中心としている。学校教育法施行令では教育課程の基準として、学習指導要領が公示されることになっている。
 こうした法に照らせば、高校や大学の入学・卒業に一定の学力が要求されることは明らかだ。義務教育でなく、「不本意進学者」が多い高校や大学以外での生涯学習が推進されつつある現代(生涯学習の推進は答申のもう一つの目玉だ)、高校の準義務化、大学の大衆化をどこまで容認するかは、上記の法の形骸(けいがい)化を防ぐために避けて通れない問題だろう。
 第四に特定の私立・国立の高校への集中の背景には、公立に対する不信や不安がある。校長のリーダーシップの発揮が求められているが、それを許さない雰囲気のある公立もある。公立の信頼回復は受験競争の緩和にとっても重要な課題だが、その指摘はあまり行われていない。
 第五に受験競争があまりに集中的に非難される結果、それがもつ一種のメリットが無視されている。日本の高校や中学校、小学校の生徒の平均的な学力が高いことは、国際比較でも明らかだが、その原因の一つは入試にあるというのが内外の研究者の定説だ。
 入試は多くの子どもや親にとって一種の生きがい、努力目標になっている。入試が待ちかまえているが故に、授業の秩序が保たれるという一面もある。
 この答申を「受験競争の緩和」という観点から見れば、具体策も含め、その指摘はおおむね評価できる。今後は以上の五つの問題点についてさらに論議を深めてもらいたい。(教育哲学)
◇新堀通也(しんぼり みちや)
1921年生まれ。
広島文理科大学卒業。
広島大学助教授、広島大学教授、広島大学教育学部長を経て、現在、武庫川女子大学教授。

 
 
 
 
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