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1999/12/19 毎日新聞朝刊
[時代の風]世襲社会への後退 新たな能力主義、早急に=榊原英資<慶応大学教授>
 
 明治以来の日本型レジーム(体制)の基本を構成していた一つのシステムが確実に崩壊してきている。それは学歴を軸とした日本型メリトクラシー(能力主義)の消滅とでも呼ぶことができるのだろう。司馬遼太郎はこの際立った学歴メリトクラシーを、アメリカの日本通の疑問として次のように述べている。
 「ごく一般的な少年にとって、いい大学にゆきたいというのは、子供っぽい見栄(みえ)である。ただしその両親にとっては、息子がいい大学を出ることによって、いい会社に入ることを望む。ときにその息子が、銀座のいい場所にある商家に生まれながら、いい大学を出たために相続を弟にゆずって、自分は三井とか住友の一社員になったりもする。たとえば、香港ならばこういうことはない。アメリカでもこの現象は奇とされるらしい。『あれだけは私はわからないんです。どうしてですか』と、アメリカ生まれの日系三世の未婚の女性がいった。このひとはUCLA(カリフォルニア大ロサンゼルス校)で政治学を専攻し、さらに早稲田で修士をとったくらいだから、よほど日本通である。アメリカの青年なら、一も二もなく商家のほうをとりますよと彼女はいった」
 学歴メリトクラシーの崩壊は、実はサラリーマン時代の終焉(しゅうえん)でもある。明治以来、大組織のサラリーマンたちは、それが国の官僚であれ、大企業のホワイトカラーであれ、何か「公」(パブリック)を背負っている存在であったし、商人というよりはサムライという風格を、少なくともごく最近までは持っていると思われていたのだ。例えば、城山三郎の好んで描く財界人は決して欧米的資本家ではなく、ある種のサムライであり、どこかで大政治家や有能な官僚と相通ずるものを持っている。
 しかし、1990年代に入って、官僚、サラリーマン経営者はスタンダードな市場経済にそぐわない存在として攻撃され、かつ、学歴という言葉は次第にネガティブなトーンで語られるようになってきたのだ。
 私自身は、かつての学歴メリトクラシーにある種の郷愁を感じるが、これが消滅するのは、時代の流れであり、日本経済と社会の成熟の証(あか)しなのだろう。「学問のすすめ」を読み、「坂の上の雲」をみながら、学歴を唯一のよりどころに「出世」してきたサラリーマンたちは、今や、時代遅れの存在になりつつある。そして、1930年代から40年代に展開し始め、高度成長期に完成された大組織を中心とする日本型終身雇用と年功序列システムも崩壊の過程に入ってきている。
 学歴メリトクラシーの崩壊は時代の流れかもしれない。しかし、問題は、学歴の価値が大きく下がったことが、メリトクラシーそのものの消滅につながり、江戸時代的世襲の社会に戻りつつある兆候が、さまざまな分野で出てきていることである。今や、政治の世界は元より、財界やタレントの世界まで世襲がごく当たり前になってきている。そして、子供たちの学力は低下し、日本の学生はおそらく世界で最も勉強をしないグループに入ってきたし、サラリーマンも人間関係を強くするために時間はさくが、本当の意味での仕事をしなくなってきている。 近代日本を支え、追いつき、追い越せの時代を担ってきた、パラダイム(規範)が確実に崩壊し、我々はお金以外に価値判断を下す基準を失いつつあるのだ。西欧資本主義を200年余り支えてきたのが、プロテスタント的禁欲と勤勉であったように、近代日本を支えてきたのはサムライの精神と、それを制度的に補完してきた学歴メリトクラシーだったのだ。そして、日本の近代は終わり、20世紀の世紀末、我々は秩序崩壊と価値喪失の中で、ぼうぜんと立ち尽くし、緩やかに腐食している。
 しかし、情報通信革命に支えられて、形成されつつある21世紀型資本主義の下では、実は、学問や知識が今まで以上に重要になりつつある。学歴は必要ないかもしれないが、学問は必要だし、肩書は役に立たなくても、知識はますます必須(ひっす)なものになってくる。しかも、変化のテンポが速まり、我々は常に勉強をしていく必要に迫られてきている。
 競争がますます激しくなる中で、能力主義が改めて見直される。東京大学卒業というキャリアの価値は下がったが、欧米のビジネススクールのMBA(経営学修士)の市場価値は、逆に大きく上がってきている。まだ、何が本来、必要な知識なのか、あるいは、キャリアなのかについてのコンセンサスは出来ていない。しかし、おぼろげながら、その方向は分かってきている。情報、市場、スピード、頭の柔軟性、プラグマティズム、多様性、等々がそのキーワードだと言っていいだろう。
 こう考えてくると、今、日本社会が必要としているのは、学歴メリトクラシーに代わる、新しいメリトクラシーを確立することなのだろう。世襲制への後退は、日本を滅亡させる道以外の何物でもない。このためには、ゆとり教育とか、創造性教育とかいう、ただ単に、従来の学歴社会を崩壊させてきたパラダイムから早く脱却して、再び、新しい知的体系、学問大系のもとで、激しく勉強をする学生と、強烈に働く職業人とをつくっていかなくてはならない。
 学歴メリトクラシーを支えたものが、出世であり、それによる名誉と富であったように、新しいメリトクラシーを支えるものがストックオプション(あらかじめ決められた価格で一定期間後に自社株を購入できる権利)等の物質的インセンティブ(動機)でも問題はない。
 要は、世襲ではなく、能力だという原則をもう一度確認し、そのための新しい制度、つまり、21世紀のメリトクラシーを早くつくってやることなのだ。そして、我々は、もう一度、若者たちに「少年よ大志を抱け」と言ってやらなくてはならない。それが我々、大人たちの義務というものだろう。
◇榊原 英資(さかきばら えいすけ)
1941年生まれ。
東京大学大学院、ミシガン大大学院修了。経済学博士(ミシガン大学)。
大蔵省入省後、国際金融局長、財務官を経て退官、現在、読売新聞調査研究本部客員研究員、慶応義塾大学教授、慶応義塾大学グローバル・セキュリティ・リサーチ・センター(GSEC)ディレクター。


 
 
 
 
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