日本財団 図書館


2000年10月号 正論
こんなひどい学校にいたくない!
 
福岡教育連盟事務局長●木村貴志(きむら・たかし)
 
 私の手元に一通の手紙がある。県立高校の教師をしている友人が、ある県の公立高校に転校していった一人の教え子(女生徒)からもらった手紙をコピーしたものである。友人はその手紙を読んだ感想をしみじみと私にこう語った。「転校先の学校の様子が事こまかに書かれているんだけれど、福岡の県立高校とのあまりの違いに驚いている。一口に公立学校と言っても、県によって驚くほど違っているんだなあ。日本の公教育はこのままで本当にいいのか。できればこの手紙の内容を多くの人に知ってもらい、教育正常化への問題意識を持って欲しいと思うんだが・・・」
 私も、その手紙を一読して考え込んでしまった。戦後教育が、いかに誤った教育思想を土台として、狂った花を咲かせてしまったか。そこから脱却することの困難を想起させられたからである。
 公教育の、何がどのようにおかしくなってきているのかを具体的に示す資料はない。全国の公立学校の教育内容格差を、実質的に定点観測している部署もなければ、尺度もない。私たち教員は、自分の勤務している学校か、せいぜい自分の勤務している県内の学校の様子ぐらいしか知らないので、良きにつけ悪しきにつけ、自分たちの教育活動に何の疑問も持っていないのが普通だ。しかも教員の多くは、学校以外の実社会でのルールやマナー、ビジネス・スキル(洗練された仕事の方法)といったものを身につける機会を持たない。自分自身の教員としてのあり方に対する問題意識自体が芽生えていないのである。
 問題意識とは、他者と自己とを比較し、自らの至らざるところに気づき、真摯に改革を求めるところから生まれてくるものだが、その芽生えすらないとすれば、改革のしようもない。心ある親たちが、腹の中では教員たちを小馬鹿にしながら、黙ってわが子を私立学校に通わせているのも宜(むべ)なるかなである。
 もちろん立派な教育を行っている県立学校も数多くあるし、優秀な教師も少なくない。現に私は、福岡教育連盟の諸先輩方や同僚、後輩たちの教育実践を誇りに思っている。
 
驚くべき教室の光景
 
 ここで他県の学校を引き合いに出すのはいささか気が引けるが、問題意識を持ってもらうためにはやむを得ない。
 女生徒の手紙はこう書かれていた。
 
 先生方へ
 お元気ですか。ちゃんとした挨拶もしないまま引っ越してしまってすみませんでした。私は、休み中に転入試験を受けて、○○県○○市にある、市内では一番レベルが高いと言われる県立の高校に合格して元気に通っています。△△高校(※筆者註/福岡の県立学校。文武両道の伝統校で、地元の評価も高く、進学実績も高い)みたいな学校だと思って入ったのですが、△△高校よりも自由でA高校(※筆者註/彼女が在籍していた高校)と一八○度違う学校でした。毎日びっくりすることが多くて、そのことをお知らせしたくて手紙を書きました。
 ○月×日学校に行って、まず驚いたのは、教室の中でした。ジャンプみたいなマンガが山積みしてあって、壁には芸能人のポスターがはりまくっています。校則がなくて、女子はスカート、男子はズボンさえはいとけばいいので女子の三分の一ぐらいは、テレビとか雑誌に載っているコギャルみたいで、そうじゃなくても、ピアス、茶パツは当たり前で、茶パツを通り越してキンパツの人とかもいて、男子もそんな感じだからびっくりしちゃいました。化粧している人も多いから、とても同い年には見えません。
 それで、始業式の時も、五分前行動とか、点呼とかなくて、時間どおりにみんな集まってなくて、三十分遅れて始まった。校長の話とか誰も聞いてなくて、みんな話しているか寝ているかで、先生たちもうちわであおいだりしていて、A高校とあまりにも違う世界でものすごく驚きました。
 でも、一日目はまだましで、二日目からがすごかったんです。八時四十分までに学校に来ればいいんだけど、四十分にクラスに集まっているのは、四十人中、十五人ぐらいで、五十分にやっと九十%ぐらいそろいました。遅刻しても先生たちは何も言わないし、生徒も何も言わずに席に着いているんです。友達は、一学期、三十回ぐらい遅刻しているけど、成績表には八回としか書かれなかったらしくて、だから、あんまりそういうことにうるさくないみたいです。それで、授業中も体操着(自由。ハデな人もたくさんいる)とか、部活のユニフォームとか着ている人もたくさんいて、みんな、授業中もしゃべりまくっている人、ずーっと寝ている人、鏡を見ながら化粧している人、飲み食いしている人、手紙書いてる人、などなど授業を聞いている人はほとんどいません。だから、みんな、教科書とかノートとか机に出しているだけで(出してない人もたくさんいる)、まともに授業受けている人がすごく少ない。友達から聞いたところによると物理の時間にノートとってまじめにしていたのは、私だけだったらしい。
 授業中でもどっかに行っちゃう人とか、途中で帰って来る人とかいて、廊下で一時間中ずっと友だちとしゃべっている人もいます。校門の外に出て行くのも自由なんです。私、窓側の席で校門が良く見えるんですけど、いつも誰かが出入りしています。近くにコンビニがあって、みんな上靴のままでかけて行きます。どの時間もそんな感じなので、先生たちもちゃんと教えてなくて、教え方がすごく下手。先生から指名されることもあまりないし、宿題も出ません。A高校の先生たちは、ちゃんとした服で教えてたけど、うちの学校の先生は、工事現場のおじさんみたいな格好で、数学の先生なんか首タオルで、うちわであおぎながら授業しています。私は暑いのをガマンしているから、そういう先生見ると、すごくむかつきます。
 授業サボル人がたくさんいるし、途中から授業受ける人もいるから、毎時間、クラスの出席人数が違います。それで、昨日なんか、私の隣の席の人が違う人で、あんまり見たことがない人だったんですが、別のクラスの人でした。私はびっくりしたけど、他の人はぜんぜんびっくりしてなかった。
 今日は、PHSが授業中に鳴って、それでも先生とかぜんぜん怒らないで、「寝ている奴が起きちゃったじゃないかー」とか言って、そのまま授業を続けていました。私はびっくりして、その後の授業は全く集中力とかなくなって、「うちの学校は大丈夫かなー」と思いました。
 掃除は、週に二回しかなくて、しかもサボル人も多いみたいで、すごく教室が汚い。私の隣の女の子は、授業中ドロップの缶を机の上に置いていて、それを落としちゃって、ドロップが床にこぼれちゃって、なのに「落としちゃったー」とか言って、拾わずに次の時間、帰ってしまった。仕方がないから、私と友だちで処分したけど、あまりのバカさに驚いてしまいました。
 みんな予備校とかに行っていて、学校には息抜きに来ているみたいです。四年制高校と呼ばれていて、浪人するのは当たり前みたいです。こっちの県立高校は、どこの学校もこんな感じらしいです。だから仕方がないのかもしれないけど、みんな悪い人じゃないけれど、常識とかなさ過ぎます。A高校みたいに厳しい学校がいいとは私は思わないけれど、先生たちがぜんぜん怒らないのはおかしいと思うんです。
 引っ越して、初めてA高校って、すごく勉強しやすい環境だったんだと気づきました。私の学校は、やっぱり予備校とか行かないと無理みたいだから、私も行く予定です。本当は、こういう学校でも自分でしっかり頑張らなきゃいけないと思うけど、なかなか自分だけの力では私はダメみたいです。まじめなことばっかり書いちゃったけど、今まで一生懸命頑張ってきたので、それを無駄にしちゃいけないと思うから、新しい学校でも自分なりに頑張ろうと思います。
 たまにA高校に戻りたいと思うこともあるけど、私、A高校のスカート切っちゃって、今、ひざ上10センチの長さ(みんなこれぐらい。A高校みたいに長いのは誰もいません)なので、今さら戻ることはできないので、新しい学校で頑張ります。私は、比較的まじめな人とお友だちになったのでスカート短いけど、コギャルになることはないと思うので安心して下さい。
 なんだかまとまりのない長すぎる文章になってしまいましたが、今の学校にきて、A高校の先生たちのすごさを感じています。本当に先生たちには感謝しています。最後まで読んで下さった先生、ありがとうございました。これからもいい先生でいて下さい。
○○子
 
自由放任がもたらすもの
 
 日教組がこれまで主張してきた「校則反対、体罰反対、管理反対」という教育方針を、完壁に実践したような学校ではないか。さぞや生徒の自由と自主性、権利が大切にされているのだろう。
 しかし、こうしたスローガンを掲げた一見自由な教育は、人間を崇高な存在から限りなく動物に近づけていく。自由の名のもとに生徒を野放しにするような教育では、他者を尊重する心から遠く離れていき、礼節を欠いたまま欲望のおもむくままに行動する獣性≠専らに涵養していくものになる。それは弱肉強食の状態を教室や学校にもたらし、いじめや、いじめを原因とする登校拒否の土壌となる。高校生ぐらいの年代は生物学的に見てもエネルギー旺盛である。そのエネルギーを野放しにすれば、当然、無規律・無規範の状態となり、力の弱い子、まじめな子たちがいじめの対象として犠牲になっていく。だからこそ、より小さな時期から、社会のルール(社会規範)や人の道(道徳)を涵養しておかなければならないのである。それが長い年月をかけて人類が手に入れた英知であり、「躾(しつけ)」の意味だったはずだ。
 それにしても、前述の高校(以下、B高校とする)のような状況で、生徒がそのまま社会に出たらどうなるであろうか。服装はデタラメ。時間は守らない。掃除はしない。人の話は聞かない。他人の迷惑を省みない。これでは社会に出てから仕事も上手く進まなければ、職場での信頼関係を築くことも困難であろう。そんな生徒の姿を見ながら叱ることもなく、手をこまねいて日々教壇に立っている教員たちの教育への生き甲斐や情熱や夢は一体どこにあるのだろうか。
 今日の学校教育の悲劇は、学校で教えていることと実社会で必要なことがズレて来たことと、教員自身が、教えるべき日本の伝統的価値を見失いつつあることにある。教育に大切な「流行」と「不易」の、そのいずれにも対応する力を教員が失ってしまっている。国際関係にせよ、国旗国歌の扱いにせよ、歴史や地理の教育にせよ、論理的思考力の育成にせよ、冷静に外から見れば、本当に心もとないのだが、それを感じているのは教育界の外にあるビジネスの第一線にいる人たちで、当の教員たちは世の中の流れを知らないから何の痛痒も感じていない。
 また、日本の学校教育の優れた点として、社会に出たときの態度を教えてきたことが挙げられるが、それも諸外国との比較をしていないためにその意義を理解している教員は少ない。
 ウィリアム・カミングスが指摘するように、給食当番や掃除当番やその他の活動によって誰もが同じように役割を担い、勤勉性・協調性・進取の気性といったものを自然と身につけていくような教育は、他国に例を見ない優れた点なのであるが、その大切な「態度の育成」もまた、B高校を例に挙げるまでもなく危機に瀕している。
 
崩壊した教員の教育観
 
 そのような状況を招いた原因の一つに、教員の教育観の崩壊が考えられる。一体いつからこうなったのだろうか。昭和二十二年に日教組が設立され、昭和二十七年に「教師の倫理綱領」が制定されているが、その頃にこれほどの惨状≠ヘなかったはずである。
 私の手元に、福岡のある市立中学校の昭和三十七年度卒業アルバムがある。それを見ると、教員四十三名中、男性教員三十一名。そのうちネクタイを締めていない教員は三名だけ。その三名もジャケットを着用しており、全員がきちんとした服装である。卒業アルバムとはいえ、B高校のような教員の姿は全くない。クラスの生徒も五十五名前後と数が多い。男子は長髪の生徒もいるが圧倒的に丸坊主が多い。ガキ大将風もいれば、利かん気の強そうな男子生徒もいる。しかし、今風のいわゆるヤンキー風な顔つきの生徒は一人もいない。卒業式ではステージ中央に大きな国旗が掲げられており、校長はステージ上の演台を前に立っている。
 この時期、既に日教組の組織率は高かったであろうが、まだ組合イデオロギーよりも日本人としての健全な良識の方が勝っていたのだろう。戦前の教育を受けた世代が親として世の中を支えていた時代である。戦後教育を受けた世代が親となりはじめた昭和五十年代あたりから教育が悪くなり始めた気がする。
 今、日教組の教員たちは口を開けば一学級三十人以下でなければきちんとした運営ができない、行き届いた教育ができないと言うが、それではこの時代はどうだったのか。六十名近い生徒が、校内暴力もいじめも登校拒否もなく、教育が行われていたのはなぜだったのか。もちろん社会情勢が違う、家庭状況が違う、教育に求められているものが違う、と言い訳はいくらでも探せる。しかし、教育とはそうした変化をも踏まえて行われるべきものではないのか。
 現在の教育制度の最大の欠陥は、どのような教育をすれば、どのような子供が育つのか、という因果関係を明確にしないことにあるように思えてならない。無論、一人一人の子供には、多種多様な生育歴と個々の生活環境があるので、一概に論じられないということも解る。しかし、ある程度の因果律があることは、教育現場にたずさわる具眼の士にはわかっているはずである。にもかかわらず、教育を取り巻く一種の空気のようなものによって教育政策が決定されたり、問題のある教育論に立脚した、問題のある教育実践が罷り通っていることは、生徒にとっても国家の将来にとっても不幸なことであろう。
 医療を例にとれば、病気やけがをすれば、様々な症状や検査の結果から病名の診断が下され、その病気に対してどういった治療や投薬が効果的であるか判断され、治療が進められる。それぞれの症状や、生来の体力、薬に対する体質などは様々に異なるものであるから、カルテが作られ、データ蓄積が行われ、研究成果が学会で発表され、情報が共有される。次の患者に備えられる。そうした一連の作業が当然のこととして行われる。万が一、診断を誤り、間違った処方箋によって治療投薬して、患者の生命を脅かせば、医療ミスとして指弾される。
 一方、教育の世界では、いじめや登校拒否、校内暴力に対して、診断を誤ろうと、処方箋を問違えようと、誰も責任を問われることはない。教育問題が多発して教育長や教員が辞任したという話は寡聞にして知らない。何が起きようとも責任を取らなくてよいから、誤った教育論が大手を振って罷り通る。無責任な者の声ばかりが大きくなる。いや、往々にして正論の方が一時の苦痛を生徒に強いることもあるし、教師の熱意が曲解されることも多いので、真っ当な教育を目指す者のほうが、常に言われなき攻撃や責任を取らされる危険に晒されている。こんな状況で一体誰が体を張って教育をよくできるというのか。
 
教育に関する良識の崩壊
 
 女生徒の手紙を読んで、教育界における教育理論の破綻が深刻の度合いを増していることを改めて痛感せざるを得ない。教育に関する良識の崩壊と言い換えてもよい。つまり、「人の話は聞く」「遅刻はいけない」「学習の場は美しく保つ」「服装は端正にする」という価値観がもはや当たり前ではなくなりつつあるということだ。異常な理論を土台として教育実践を行えば、教育の成果は当然、異常なものにならざるを得ない。教師の持っている教育理論、親の持つている教育観、日本人が永年にわたって営々と築き上げてきた伝統的教育観、それぞれの歯車が狂うように、土壌の異なる海外からいくつかの教育理論が輸入され、新たな教育理論が構築されていく。そんな中で、これまでの日本人が持っていた教育に関する価値観が溶解している。
 女生徒が転校したB高校の教員たちの大部分は、確信犯的に教育を崩壊させてやろうと思っているのではないだろう。子供好きの善良な教員も多いに違いない。ただ耳に心地のよい、「自由」とか「平等」とか「人権」とかいった言葉の呪縛≠そのまま受け入れ、日々平和に過ごしたいだけなのであろう。自分の持っている教育観の由来を辿ることもなく、自分自身の教育哲学を厳しく追求することもなく、実社会や国際関係がいかにシビアなものであるかを理解することもなく、ただただ楽しく生徒と過ごしたいだけなのであろう。
 しかし、それは県民の負託に答えるべき公務員の姿としては、また、教育という国家百年の計に参画している国民の姿としては、あまりにも哀しい。
 
解釈の誤謬と鍛錬の場の喪失
 
 私たちは、教育界で使われる言葉についてもっと注意を払うべきであった。戦後、「自由」「平等」「権利」「個性」という言葉が教育の指針として使われ始めてから、教育は急激に変貌を遂げたように思う。私たち教員は、それらの言葉の生まれてきた土壌や、言葉の意味を吟味する努力をした上で、教育に取り入れなければならなかった。
 自由という言葉はその最たるものだ。人間が互いに自分の自由を際限なく主張していけば、それは必ずや他人の自由と衝突し、対立や争いが生じるのが道理である。また個々人が自由を追求すれば、当然、平等から離れていくのも道理である。権利も自由と同じ側面を持ち、お互いが際限なく自分の権利を主張していけば、これもまた必ずや権利と権利が衝突するのは自明のことである。
 日本人は、そもそも「思いやり」や「察し」によって人間関係の間合いを形づくってきたはずだ。互いの自由や権利を抑制し、調整する術をもともと持っていたはずなのである。「謙譲」という美徳を思い起こしてみよう。権利と権利が激しく衝突する訴訟社会を、この日本に招来するために教育があるのか。権利の前に義務がある、負うべき責任がある、ということをまず教えるべきであった。そうした洞察なしに、教育の指針として「自由」、「権利」、「平等」に飛びついてしまったことは、日本の教育にとって大きな失敗であった。
 自由を旗印に、「校則反対」という、教育の場における法と秩序の軽視運動が進められ、学校が無秩序・無規範な場所になっていったのと同じように、今後はさらに個性や権利の名のもと、学校解体・家庭解体のスピードが増していくだろう。すでに、厳しい躾指導は人権侵害であると抹殺されようとしており、教員は荒れる生徒を前になす術もない。
 
沈黙させられた「学校の正論」
 
 平成十二年八月十一日、文部省が発表した「問題行動調査」によると、校内暴力は全国で三万件を超え、対教師暴力が前年度より一一・二%増加しているという。当然の帰結であろう。誤った教育論の流布と共に、組合教員の活動や、市民団体と称する勢力、人権派弁護士などが、執拗に学校への波状攻撃をかけた結果、「学校の正論」は沈黙させられてしまった。日教組の勤務評定反対闘争のおかげで、熱心にやろうがやるまいが教員の給料は全く同じである。懸命にやって非難だけされるのなら、馬鹿馬鹿しくてやってられないと思うのが人情であろう。教育熱心な教員を、行政者も政治家も誰も本気で守ってこなかった。その任にあるにもかかわらず保身に走り、孤立無援の存在に放置してきたのである。
 教育には「鍛錬・陶冶」という考え方が不可欠である。それは日本の教育の歴史のみならず、世界の教育の歴史が証明している。身近な例を挙げれば、一流と言われる人物は、スポーツ選手でも学者でも職人でも、みな厳しい鍛錬をくぐり抜けている。初めから自由放任の教育の中で伸びていった個性があるとすれば、それは稀な存在であり、一般化はできない。普通の子供たちを念頭においた教育のあり方を考えれば、親や教師の深い愛情、人間洞察力、社会人としての高い見識が前提になろう。それを土台とした教育活動において、厳しさと優しさが様々な形で子供たちにむけて送り出されるのが真の教育であると私は思っている。そうした営みの中から、真の個性と人間性を身に付けた個≠ェ育まれる。
 管理教育反対だの体罰反対だのと、厳しさを全て悪と断罪して切り捨ててしまっては、鍛錬・陶冶の教育はあり得ない。自由は、まず鍛えられてのち得られるものである。
 
日教組批判を超えて
 
 さて、B高校へ転校していった女生徒は、現在では大学生となり元気に通学している。しっかりした生徒であったから本当の意味での自主性を発揮し、自分を確立することができた。B高校に対しては自分を育んでくれた学校として感謝しているという。
 しかし、「教師」としてはB高校の教室の光景を看過することはできない。
 実は、B高校というのは日教組の組織率が六割を超える神奈川県の県立学校なのである。そのことと女生徒の綴った教室の光景が無縁であるとは私には到底思えない。その理由は今まで述べてきたとおりだが、日教組批判を重ねることはここでは控える。
 問題はいかに教育を再興していくかである。責任の所在ということで指摘しておきたいのは、日教組の存在を許し続けてきた非日教組の教員にも罪があるのではないか、ということだ。
 さらに、私は日教組の中にも立派な教師がいることを承知しているが、その綱領や運動方針に違和感を覚えながらも異を唱えることなく加入し、資金提供という活動支援をしている現実は免罪にできない。どういう信条を持っている団体か知りませんでしたでは済まされまい。
 文部省批判をするのも簡単であるが、行政がその職域に働く多数の声に影響を受けることはある意味やむを得ないであろう。だからこそ、多数の良識ある声なき声を組織化し、本当の学校教育現場からの声を文部省に伝えなければならないのである。それをなしえていないことこそが問題なのだ。
 そもそも国民の大多数は健全保守層であり、日本の伝統文化や良き慣習、規範を大切にしよう思っているはずだ。政治動向を見ても、保守の色合いが濃い政党が多くの支持を集めている。しかし、公教育の世界では、第一党が旧社会党系の日教組であり、第二党が共産党系の全教である。教員の組合離れが進んでいるとはいえ、いまだこの二者で教員の半数近い勢力を持っている。残り四割は未組織で、その内訳は熱心な教員から出鱈目な教員まで様々だが、はっきりしているのは、組織を持たない彼らの発言力・影響力はゼロだということである。
 われわれのように教育正常化を標榜する教職員団体は極めて少数派である。しかし、公教育が国民・県民の負託に応えるべきものであるとするならば、この構造を変えるべく闘いを挑まねばならないと思っている。健全な教職員団体が過半数を占め、発言力を持ったときにこそ、真に国民の望む公教育は実現されるのではないか。
 「教職員団体」という言葉を使ったが、日教組は「労働組合」ではなく、あくまで地方公務員法上の「職員団体」である。組合という言葉を使った瞬間に、教員は「労使は対立すべきもの」という価値観にとらわれ、文部省・教育委員会・管理職を敵(権力の側にある者)と見なし、「何がしかの権利を寄こせ」という発想に偏る。自己改革に意識を向けることがなくなってしまう。上手くいかないのは常に相手のせいであり、自分自身の非は認めない。それが組合的発想の本質であり、弊害である。
 少なくとも、教員ではなく教師であろうとするならば、教師自身が研鑚を積み、人格的にも学問的にも深みを増していかなければならない。そこにこそ、「教員」(員≠ヘ数・係・人の意味。単なる教える係)と「教師」(人を教え導く者。人の手本となる者)と呼ばれる存在の大きな差異がある。
 
教育改革の最前線に立つのは教師
 
 教育正常化、教育再興を願う教師を募り、幅広くネットワークをつくっていく以外に、日教組によって閉ざされた教育界に風穴を開ける道はないと思っている。新しいイメージの教職員団体、権利闘争ではなく、純粋に教育の未来を考える組織を全国に展開したいと願うのである。組織があれば、充実した学びの場をつくることができ、情報発信ができ、戦略を構築し、さまざまな分野の、より多くの人たちとも連携することが可能になる。
 私もかつては、教育正常化の道程の遠さに虚しさと無力感を感じていた一人であった。しかし、今は、信念を持って一歩を踏み出せば、必ず道は開けると信じている。
 かつてある先達からこう諭されたことを思い出す。
 「日本の教育を救おうなどと大袈裟に意気込む必要はない。どんなに教育界全体が酷い状況になろうとも、あの先生がいるから私たちの学校は救われている。あの先生は私たちの学校の救いだ、と自ら奉職する学校で言われればいいではないか」
 さらに、「あいつが悪い、こいつが悪いと言うことは簡単だが、他人を変えることは至難の業だ。人は変わらない。まず自分自身が変わることによって、隣の一人が変わることはあり得るかもしれない。すべてはそこからしか始まらない」
 戦後、五十数年を経てボロボロになってしまったわが国の教育は、誰かが一針一針、心を込めて繕(つくろ)い直してゆくしかない。日教組といえどもわが国の教員である。その教員の手によって壊してしまったものは、やはり教員(教師)の手によって元に戻されるべきだと思う。教育問題の責任を負うのは教師以外にはあり得ない。教師を自負するものが、ときに眦決し、ときに笑いながら問題を背負っていくしかないだろう。
 思えば女生徒の手紙は、その荷物の重さを私に知らせてくれたのである。
◇木村 貴志(きむら たかし)
1962年生まれ。
山口大学人文学部卒業。
凸版印刷、福岡県立高校教諭を経て現在、福岡教育連盟事務局長。


 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION