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1999年8月号 中央公論
学力の危機と教育改革
―大衆教育社会の中のエリート
苅谷剛彦(かりやたけひこ)
 
 高級官僚、金融界などのたび重なる不祥事のあとで、「エリート」の質が問われている。エリート教育の復活を求める声も聞こえてきた。日本の学歴社会が生んできたエリートの質がどのようなものであったのかは、社会と教育にまたがる現代的な問題といえる。ここでは、竹内洋氏の『学歴貴族の栄光と挫折』(小社刊『日本の近代』12巻)を読み、そこで受けた知的な刺激をもとに、氏の著書が現代社会に投げかける問題について考えてみたい。「学歴貴族」制解体後のエリートはどのような存在か。いまの日本でエリート教育は必要なのか、可能なのか。学歴貴族の末裔たちが抱える問題を、戦後から現代にいたる教育と社会の動きの中で考えていくのである。
 
学歴貴族とは何であったのか
 
 旧制高校の誕生から解体までの歴史を中心に、旧制高校的「教養主義」とそれを身にまとった「学歴貴族」たちの「栄光と挫折」の物語を語る竹内洋氏の著書は、エリート・文化・教育といったテーマが織りなす、日本の近代の一断面を見事に分析した好著である。
 竹内氏の描く学歴貴族とは、社会の中層の出身者とはいえ、難関をきわめた入学試験を突破し、旧制高校という西欧的教養主義の培養基の中で、文字通り学歴と学校文化の獲得を通じてエリートとしての地位を保証された人びとであった。したがって、彼らのエリートとしての地位は、生まれながらの身分によるものではない。ましてや、家庭で身につけた高貴な文化によるものでもなかった。彼らは、帝国大学への入学を保証され、それゆえその後の社会的成功もほぼ自動的に約束されていた。彼らが貴族的でありえたのは、こうして学歴によった将来の成功が裏付けられていたからである。同時に、そうしたエリート意識をもとに、旧制高校という場を通じて大衆の文化とは異なる西欧的教養を身につけていたという点においても、彼らは貴族的なのだった。
 学歴貴族という造語が、本のタイトルにつけられ、しかもそれを手に取る読者がその意味を推察できる。「学歴」という言葉と「貴族」という比喩が無造作に結びついても、それに奇異な感じをいだかない。その程度にまで、私たちは学歴が大きな成功をもたらした時代を記憶している。学歴獲得までの熾烈な競争、学歴が保証する報酬、学歴が象徴する博識や頭のよさ。知識人やインテリという言葉が死語になる以前の時代を知る世代にとって、旧制高校や帝大の卒業者たちが享受しえた身分=地位(ステータス)は、貴族という比楡に耐えうるものであったのだろう。
 受験競争の勝者でしかなく、詰め込みで身につけた「受験に役立つだけの知識」を振りかざすこともできず、将来の成功が保証されているわけでもない、現代の一流と呼ばれる大学の学生たちと比べて、どれほど学歴の威光が異なることか。
 竹内氏によれば、大きな流れとして、戦後に起きた学歴インフレの進行、大卒者の大衆サラリーマン化といった教育や社会の変化が、最終的に学歴貴族の存在基盤を解体したという。高校や大学への進学率が上昇し、大勢が大学生になれる時代が到来した。それに伴い、大学生の就職先も幹部候補生でもない普通のサラリーマン、OLへと変わっていった。こうした変化が、学歴貴族たちの栄光を奪っていったというのである。
 こうした社会の大きな流れの中で、どのような力が働き、学歴貴族の存在が許されなくなったのか。学歴貴族への嫌悪とさえいえる社会の意識がどれだけ強く広まったのか。竹内氏が克明に明らかにした戦前期の学歴貴族の考察をふまえつつ、紙数の都合で氏が必ずしも十分に描ききれなかった戦後の変化を、現代にまで延長して詳しく考えてみたい。学歴貴族とは、近代の日本にとって何であったのか、そして、学歴貴族たちを葬り去った戦後の「大衆教育社会」(後述)という状況が、今どのような問題を生み出しているのか。以下、学歴貴族制解体の歴史に検討を加えていくことにしよう。
 
戦後民主主義と教育の平等
 
 戦前戦後を通じて、日本社会が学歴を重視する社会であったことに大きな変化はない。ところが、学歴を求めて人びとが受験競争に参加するにしても、また学歴を得たあとで職場で昇進競争を続けるにしても、そうした競争に参加する人びとの意識については、それを大きく変える変化があった。その変化をもたらした地殻変動は、戦後民主主義に根差した平等主義の浸透である。その影響を端的に示せば、「身分制」的格差(たとえば、専門学校生VS高校生、職工VS職員、農民・庶民VS都市のインテリ)を、封建遺制として排除しようとする「身分=平等主義」が、教育の世界においても職業の世界においても広まったことである。
 教育においては、六三三制として知られるように、戦前の複線型の教育制度から、中学校までを義務教育とし、その上には高校というたった一つのタイプの学校類型をのせる単線型の構造に変わった。中等教育の世界でいえば、中学校、高等女学校、実業学校、(そして若干性格が異なるが高等小学校)という学校の種別化が廃止されただけではない。それらが統合されて、アメリカをモデルとした総合制の高校も数多くつくられた。こうした改革の結果、戦前期には歴然と存在した学校間の、まさに身分の違いといってもよいほどの威信の違いも、それに対応した生徒の格差意識も薄められていった。
 高等教育においても、身分制的格差が取り除かれた。旧制高校は廃止され、その多くは、旧制専門学校や師範学校と一緒に新制大学に統合された。それは、身分的に下位と見なされていた機関と同格の地位を与えられたうえでの統合であった。また、帝大と統合された旧ナンバースクールの高等学校にしても、教育機関としての格の違いを露骨に表明できないほど、新制大学への一本化は、大学の間の身分制的格差を弱めていった。
 このような制度改革が、高校進学率を押し上げ、大学生の増加に寄与したことはいうまでもないだろう。それが、学歴貴族の解体につながる社会的な背景となったことは、竹内氏の指摘する通りである。
 ところが、そうした量的な変化をもたらす背後で、制度に込められた平等主義の精神が、教育におけるあらゆる差異の表示を「差別」として批判し、そうした批判を「正義」として是認する社会意識を広めていったことにも目を向ける必要がある。たとえば、総合制高校の設置によって普通教育と職業教育の差異を消そうとしたこと、中学校や高校に小学区制(住んでいる地区に応じて進学する学校が決まる制度)を実施して学校間格差を消去しようとしたこと、さらには能力別学級編成の導入を阻んだように、生徒の成績による処遇の違いを学校に持ち込まないようにしたことなどである。しかし、封建遺制としての身分格差の排除をめざした社会心理は、あらゆる序列を教育の世界から排除しようとする、心情的な平等主義へと容易に変わりえた。
 その端的な例を挙げよう。かつて日本の教育界で力をもった「能力主義的差別」という考え方があった。能力や学力によって子どもたちを区別して扱うことを不当な差別だと見る差別観である。しかし、拙著『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)で詳細な分析を行ったように、この日本的差別観は、欧米における〈差別(ディスクリミネーション)〉のとらえ方とは大きく異なっていた。
 欧米の〈差別〉の中心にあるのは、個人の能力や努力によらずに、人種や階級、性差などの社会的カテゴリーをもとに行われる、異なる処遇の不当性を問題視する見方である。したがって、勉強の「できない子」がどのような社会的カテゴリーと結びついているかに着目し、それに基づく教育上の不利益を改善するための具体的な方策を求めることが、欧米の差別論の基本的構図となる。
 それに対し、能力主義的差別を中心にした日本の差別観は、差別される側がどのように感じるのかという心理を根拠とした。そのために、差異を際立たせることは、際限なく差別として批判されてしまう。もちろん、差別される側の感情の問題は重要である。しかし、そこに起点を置きすぎた教育批判には限界がある。「できない子」の心情をどれだけくみ取ろうとするか。ごく一握りの「できる子」を除いて、ほとんどすべての子どもが相対的には「できない子」になりうる。したがって、「できない子」の心情を起点においた差別批判では、具体的な解決策は出にくい。成績による序列が問題の根源だとされ、にもかかわらず実態として残る学力差に対しては、成績による序列化を見えにくくすることのみが解決の方法となる。どの子もがんばればできるはずだ、という理想をかかげ、それでも生まれる差異については、「できない子」の心情を配慮し、できるだけ表面に出ないようにする――そうした解決策が、一方では欧米的な意味での教育における〈差別〉問題を不問に付し、他方では、まっとうな学力の評価さえ忌避する教育界の「雰囲気」をつくり出してきたのである。後で触れる問題を先取りすれば、こうした雰囲気が充満する現在の教育界では、学力低下についての現状把握さえ十分行わないまま、「できない子」を救うために教える内容を削減する、「ゆとり」の教育改革が進行している。この流れの源流は、ここにあったのである。
 
職業世界での成功と学歴社会批判
 
 竹内氏の著書の中に、戦後の大卒者が一九六〇年代半ばまでは、戦前の学歴貴族と同様の身分意識を残していたことを示す興味深いエピソードがある。次の引用は、一九六五年に当時の東京大学総長・大河内一男氏が卒業式の式辞で述べたという一節である。
 「諸君は職業生活におけるエリートとして、いわゆる出世コースに乗ることでありましょう。それは諸君の実力や職務担当能力にかかわらずであります」
 最後の件のところで会場に爆笑が起こったという。そして、「爆笑の裏に自分たちは『職業生活におけるエリート』だということが自明視されていた」と、竹内氏は分析する。
 学歴と実力がかけ離れていることを、学歴の恩恵にあずかる人びと自身が、自嘲気味にではあれ認めていた。なるほど職場においては、このころまで「学歴による担当職務の違いということで疑似身分制が存続した」。それゆえ、戦前ほどではないにしろ、東大等の卒業生であれば「実力や職務担当能力にかかわらず」「職業生活におけるエリート」たりうることも、保証されていたのである。
 このエピソードには、現在私たちがよく知る、批判されるべき学歴社会の問題点が、恥じらいもなく示されている。学歴社会への批判には、このような学歴による「出世コース」の保証を不合理なものとして非難する「正義」が含まれていた。実力もないのに、肩書きだけの学歴で出世が保証された人びと(学歴貴族!)に対し、そうした特権の付与を身分制的な格差として否定する職場民主主義が、学歴社会批判として広まっていったのである。
 よく見れば、そこには二つの流れがあった。一つは、学歴社会が引き起こす受験教育批判と結びついた、「学歴価値剥奪論」であり、学歴のレッテルとしての効果を否定し、学歴の価値を貶めようとする流れである。「東大卒といっても、受験勉強を勝ち抜いてきただけではないか」「受験で詰め込まれた知識など社会で役に立つわけもない」「受験勉強のしすぎで、人格的にも問題がある」といった言説は、受験教育批判と一緒になった学歴社会批判の常套句である。
 もう一つは、言説というよりも実態として進行した、職場における実力主義(メリトクラシー)の徹底である。とくに日本経済が国際競争に巻き込まれるようになってから顕在化したこの流れの中で、企業は昇進や担当職務の配置においても、レッテルとしての学歴だけで評価することをやめざるを得なくなった。実力が伴わなければ、たとえ「東大卒」であろうと昇進のチャンスが自動的に与えられるわけではなくなったのである。
 実際に、竹内氏は別の著書で、東大卒などのいわゆる一流大学の出身者の昇進が自動的に保証されているわけではないことを示した(『競争の社会学』)。大企業を一四〇社とりだし一九五九年に入社した男性のうち、入社後二〇年間で何パーセントが課長以上に昇進したかを見ると、東大・京大・一橋の出身者でさえ四二パーセントに過ぎない。早稲田、慶応は三四パーセントであり、いわゆる銘柄大学以外の私大では二六パーセントであった。なるほど、東大や京大の出身者は、他の大学出身者に比べれば昇進率は高い。とはいえ、絶対的な差とはいえない。しかも、東大卒でも六割は昇進していない。戦前の学歴貴族の時代と比べ、「一流大卒」といえども、学歴の額面上の価値はたしかに低下している。
 実態のレベルだけではない。実力主義の徹底を喧伝するさまざまなメディアを通じて、いまや「一流大学」の学生たちも、学歴だけに頼っていては会社生活を順調に送れないことを熟知している。学歴がなければ不利になるかもしれないが、あったところで将来が保証されるわけではない。そこまで学歴の価値が変質・低下したことは、周知の事実である。
 このように、職業世界において学歴は、「実力や職務担当能力にかかわらず」昇進を保証するものではなくなった。就職の際の有効性はまだいくぶん残るものの、学歴だけで「貴族」になれるだけの威光は、もはやどの大学の卒業生にも与えられていないのである。
 
大衆教育社会としての戦後
 
 このようにして、学歴貴族制の解体が進んだ。解体後の社会は、私がかつて提案した「大衆教育社会」と呼ぶにふさわしい社会であった。大衆教育社会とは、教育の大衆的拡大を基盤に形成された大衆社会である。その特徴は、実態においては、子の代で到達できる学歴段階や学校での学業成績の面で、親の学歴や職業による社会階層間の差異を残しながらも、それを直視せず、こうした階層間の格差がもたらす不平等の問題を消去した点にある。
 教育の大衆的な規模での拡大は、先に述べた、学力による差別を排除しようとする心情的平等主義に導かれていた。一九六〇年代の高校全入運動に典型的に見られたように、教育の拡大を求める主張には、どの子どもにも等しく同じ教育を与えることがよいことだ、という平等主義が含まれていた。高校増設に際し、職業科より普通科を求めたのはその一例である。
 教室の中で子どもたちに違う扱いをすることも差別につながる。ましてや出身階層と学力に関係があると見なすことなど、かえって子どもたちの差別感を強めるだけだ。どの子どもの能力にも違いはない。がんばれば、誰でも一〇〇点が取れる――こうした日本的な平等主義や努力主義をもとに、教育が大衆的な規模で拡大したのである。
 しかも、そこで行われる選抜では、階層文化から一見中立的な内容が試験された。一般に日本の高校入試や大学入試では知識の習得を問う選択式の問題が多い。これに対し、口述試験や論述式では、言語的なセンスや論理的な構想力といった象徴的シンボルを操る力が直接影響しやすい。たとえば、フランスのグランゼコールと呼ばれるエリート校に入るためには口述試験がある。ロ述試験では、使われる語彙や発音も評価の対象になるという。イギリスの大学入試も論述式の試験が多い。これらは、家庭の中でどういう言葉を使っているかが影響として出やすい。それに比べ、これまでの日本の入試は、特定の階層の文化に偏っていない。学校で習得できる、だれでも接近可能な知識を入試問題として出題している。「誰でもがんばればできる」という前提には、階層的な文化の影響を薄めた選抜の方法があったのである。
 このような教育拡大を基軸に生まれた大衆教育社会は、「生まれ」に基づく差異を見えにくくする。実態において出身階層の影響が残っても、それを問題視すること自体、差別につながると見なされた。実際には他の国々と同程度に日本にも階層による不平等があるにもかかわらず、欧米とは異なり、そのような問題のとらえ方を、日本の教育界は排除してきた。その結果、教育の世界で平等といえば、階層差の有無が問われるのではなく、皆を等しく扱うことを意味するようになった。画一性と平等とを同じものと見たのである。
 竹内氏の議論を敷衍すれば、私のいう大衆教育社会は、「学歴貴族制」の解体をめざす力を中心的な原動力としながらも、ある意味で学歴貴族たちへの反発とあこがれとが交錯した、大衆の両義的(アンビバレント)な反応によって成立した社会である。すなわち、第一に、学歴貴族的なものを封建遺制としてできるだけ取り除こうとする力が働いた。しかし第二に、それとは逆に、誰もが学歴貴族的な存在にあこがれ、機会が開放されると、そうした地位をめざして多くの人びとが学歴による成り上がりをめざす力が働いた。この二つの力の合力によって誕生したのが、大衆教育社会だと見ることができるだろう。
 そうだとすれば、このような大衆教育社会で、「一流」と呼ばれた大学に合格した受験エリートたち、いわば「学歴貴族の末裔たち」は、どのように生きることができるのか。また、彼ら・彼女たちは、どのような心情を身につけるのか。これらの問いの中にこそ、学歴貴族制の解体以後、エリートなき時代を生きざるを得ない現代日本社会の問題が潜んでいる。
 
学歴貴族の末裔は「エリート」たりうるか
 
 このような大衆教育社会における選抜を経た、「一流大学」の学生たちが、西欧的な意味でのエリート意識(社会的な責任・自己犠牲・奉仕の精神)を持ちにくいことは容易に想像できる。実際に、たとえば東京大学新聞が、東大の新入生を対象に行った調査によれば、「自分をエリートだと思うか」という質問に対し、「そう思う」と答えたのは七パーセント、「すこしはそう思う」の二一パーセントを合わせても、三割に満たない。大多数の東大合格者は、自分をエリートだとは思っていない。
 また、私のゼミの学生たちが実施した大学生対象の調査に、「初対面の人に大学名を言うのに抵抗がある」かどうかをきいた質問がある。東大生の七二パーセントがそう思うと答えている。ところが入学難易度の点では東大とほぼ同じくらいの他の大学では三四パーセントであった。つまり、同じような偏差値ランクの大学でも東大生だけが特別な思いを持ち、大学名を言うのに抵抗があるというのである。
 受験競争を勝ち抜いてきたという意味での(受験)エリート意識を持つ者はいるかもしれない。しかし、受験で試されるのは、役にも立たない知識の詰め込みに過ぎない、と受験教育の批判者たちは繰り返し主張してきた。「頭のよさ」が多少反映されるとしても、それとて、受験勉強を要領よくこなした程度の能力にしか見られない。その上、勉強ばかりで他のことは何も知らない「ガリ勉」イメージが付きまとうとしたら、「東大」の名前を出すことに学生たちが抵抗感を覚えるのもうなずげる。
 ところが、受験エリートたちの出身階層に目を向けると、戦後一貫して、恵まれた階層の出身者であった。たとえば東大生のうち、専門・管理職の子弟が入学者の七〜八割を占めることは一九七〇年代半ば以降ほとんど変化していない。一九九〇年には保護者の平均年収が初めて一〇〇〇万円を超え、それ以後変わらぬ事実となっている。親の学歴も職業の威信も高く、収入の多い家庭の出身者によって、東大のような大学は占められてきたのである。
 にもかかわらず、このような階層差が社会の不平等問題として論じられることは、戦後一貫して少なかった。しかも、「誰でもがんばれば」という努力主義を基盤においた受験競争のしくみは、そこでの成功を個人の努力に還元してしまう。どれだけ恵まれた環境の中でそうした努力が可能であったのかという、「生まれ」の影響を見ようとはしない。大衆教育社会は、受験エリートたちに、「生まれ」の恩恵を自覚させないまま、自分たち自身ががんばって勉強した結果、この大学に入れたのだという意識を残すのみである。
 その上、教養的な文化が大学から払拭され、大学はいまや大衆文化の消費の場と化している。難しそうな本を読んでいたら、知の「オタク」として敬遠される。それより流行に通じているほうがよい。いまの東大生たちにしても、「東大生らしく見えない」ように流行の変化を追い求める。仲間内では「普通の大学生」であることが、価値なのである。
 こうして、学歴貴族の末裔たちは、受験エリートとして自分が社会のまなざしにさらされていることを意識しながらも、出自による恩恵を十分自覚することはない。さりとて、将来の成功が自動的に保証されているわけではないから、「幹部候補生」としての意識も持ちにくい。しかも、「教養」の価値が低下する中で、文化的な優越性も堅持できない。八方塞がりの状況で、自分たちが受験競争の勝者に過ぎないこと、将来の有利さも程度の問題に過ぎないこと、西欧的教養主義がもはや価値を持たないことを痛烈に思い知らされた学歴貴族の末裔たちにとって、「ノーブレス・オブリージュ(高貴なるものの社会的義務)」を感じる基盤は大きく崩れ去った。確率的に見れば、依然として彼ら・彼女たちは社会の指導的立場に立つ可能性が大きい。社会的にも経済的にも恵まれた地位につくチャンスも多い。社会学用語を用いれば、まさに「階層の再生産」が行われている。にもかかわらず、学歴貴族の末裔たちは、エリートとしての意識を持てないでいる。
 
エリートなき社会にエリート教育は可能か
 
 ところが、たとえ社会がエリートの存在を忌避しようと、指導的な立場がまったく不必要になったわけではない。本人たちの自覚や社会のまなざしは別として、機能としてのエリート的存在は残る。そして、そのような地位にある人びと(政治家、上級官僚、大企業の経営者、専門家など)の間で不祥事が続くと、大衆教育社会においても、まっとうな指導者層の育成を期待するエリート教育論が復活する。
 エリート教育への期待は、成功した個人に、社会への貢献や責任を持たせようとするエリート意識の育成を根幹においている。しかし、上述のように、身分制的格差を消去し、成功の原因を個人の努力や能力に求めることを当然視する社会では、そのようなエリート意識の育成は困難を極めるだろう。いくら、家庭や学校で教えようにも、子どもがそれを受け入れる保証はない。大衆化・平等化の圧力はそれほどまでに強いと考えたほうがよい。
 私見によれば、エリート教育の代わりにとられたのが、社会的な貢献の度合いと報酬とを結びつけようとする、メリトクラシー(実力主義・能力主義)を原理とした社会設計だったのではないか。すでに医師や弁護士のような古典的な専門職の場合にそうであったように、個人が持つ知識や技術による社会への貢献度に応じて報酬を変えていくしくみを精緻化することで、職業への専念が、選ばれた者たちの社会的責務の達成にそのまま結びつく社会をつくり出そうとしたのである。いいかえれば、学歴貴族に社会的責務をとらせるために、個人の自覚や教養主義を通じて形成される「人格」に信頼を置くのではなく、システムのはたらきによって、それをチェックしようとしたのが、学歴貴族制解体後の、教養主義を捨てたメリトクラシー社会だったと見るのである。
 そうだとすれば、エリートたちの不祥事をエリート意識の欠如に求めることは筋違いといえるのかもしれない。不祥事が生じはじめたのは、エリートの自覚が弱まったためか。それとも、このシステムの機能不全によるのか。後者が原因だとしたら、エリート教育を復活したところで、問題は解決しない。いや、ことによるとエリートたちの不祥事の多くは、エリートたる自覚を持った人びとの確信的な犯罪だったのかもしれない(「日本の金融システムを守るため!」が粉飾決済や不正融資につながった)。
 もちろん、個人に最低限の倫理観が必要なことはいうまでもない。そのための教育も重要だろう。しかし、エリートたちにノーブレス・オブリージュを十分自覚させることは、家庭教育や学校教育をもってしても容易ではない。欧米においてさえ、はたしてノーブレス・オブリージュが本当に機能してきたのかあやしいくらいだ(たとえばクリストファー・ラッシュ『エリートの反逆』参照)。それが正しいとすれば、日本の大衆教育社会においてはなおさら難しいだろう。
 システムに依存した社会的責任のとりかたを求める以上、それぞれのシステム内部でのチェックでは不十分なこともあわせて知っておく必要がある。いま情報公開や第三者評価という外部を含めたチェック機構が求められるのは、個人の倫理や組織の倫理だけに頼っていては、エリートたちに社会的な責任を十分とらせることができないことに私たちの社会が気づきはじめたからではないか。そうだとすれば、エリートの存在を嫌う社会にとって、社会全体の知性や教養のレベルが重要な問題となってくる。その水準如何で、システムのチェック機能がうまく働くかどうかも決まってくるからである。
 
教育改革と教養・学力の危機
 
 ところが、学歴貴族制の解体を終えた大衆教育社会の勢いは、そうした知性や教養の水準をも侵食しつつあるようだ。受験教育の弊害を批判するあまり、教育改革の流れは「ゆとり」をもった「楽しい学校づくり」に向かっている。学校は勉学の場から「体験」の場に変わりつつある。しかし、「過度の受験競争」が喧伝される一方で、実態としては、子どもの学習離れが確実に進み、中学生、高校生、大学生の基礎学力が低下している。
 実際に、一般の印象とは異なり、塾などの時間を含めても中高生の学校外での学習時間はどんどん短くなっている。よく勉強する子が一定数いる一方で、ほとんど勉強しない子が増えている。しかも、私の調査によれば、勉強しなくなったのは、階層の低い子どもである。勉強への取り組みに階層差が広がっているのである。
 学力の点でも、「ゆとり」をめざす教育の中で、すでに中学、高校生の数学、理科の学力低下を示す調査が出ている。また一流といわれる大学でも、文系では、中学程度の二次方程式が解けない学生が八割、小学校の分数・小数の計算ができない学生も二割いるという。さらには、生徒の選択を重視した高校のカリキュラムのため、多くの大学で学生の学力の偏りと低下を問題視する声が高まっている。物理を履修しなかった工学部生、生物を学ばなかった医学部生、日本史を知らない法学部生など、珍しい存在ではない。その結果、予備校の講師を雇って補習授業を行う大学まで現れた。ましてや、大学生の教養レベルは相当低下し、今や、大学生の一日平均の読書時間はたった一五分間に過ぎないという全国調査の結果もあるくらいだ。
 にもかかわらず、文部省は、学力の低下や教養の衰退の実態を十分調査・検討することもなく、二〇〇二年からの学習指導要領で、学校で教える内容を今より三割減らし、中学、高校での科目選択の自由もさらに拡大することを決めた。個性の重視や「生きる力」の教育といった改革のスローガンは、心地よく耳に響く。ところが、学歴貴族制の解体を促した受験教育批判を追い風としたことで、現行の教育改革は、その意図とは別に、知識の効用全般を「無用な受験知識の詰め込み」と短絡させてしまう危険をはらんでいる。たしかに、瑣末な知識を問う試験もないわけではない。だが、受験勉強を一義的に罪悪視するあまり、知識の価値を軽視し、思考力や判断力が知識獲得の過程で身につくことさえ認めない風潮が強まっている。ゆとりや「生きる力」の教育を手放しで賛美する社会の期待には、明らかに学歴貴族制への過度な反発といえる心情が含まれており、それが現状の問題把握を甘くしている。
 たしかに、「自ら考え、自ら学ぶ」学力を育てようとする「生きる力」の教育は、一見すると、批判力や思考力を高めるかに見える。しかし、基礎的な学力や知識をあまりに軽視すれば、緻密な議論を積み重ねる知性も身に付かないまま、自己主張に終わるだけの批判的態度が形成されかねない。現代社会を覆う問題の複雑さを考えれば、ある程度の幅広い共通の基礎知識がなければ、「問題発見」も「自ら考える」こともおぼつかない。学生たちが自分の頭で考えることを重視してきた私自身の教育実践に照らしても、辛抱強く知識の習得を行ったうえでなければ、厳密な思考などはできない。そうした基本なしには、「自分の考え」の表明も、感覚に基づく意見の主張に終わる確率が高いのである。
 しかも、今回の教育改革では、「生きる力」を育成するための条件整備については、ほとんど具体的に議論されていない。「個性」を尊重しつつ、生徒の意欲や自主性にまかせた学習が、一方で基礎的な学力を維持しつつ、他方で「生きる力」を育成するためには、どれくらいの人数のクラスが適当なのか。教師にはどれだけの教材研究の時間がいるのか。新しい教材の開発が実践に役立つには、どのような研修のしくみを用意しなければならないのか。そして、これらが無理なく行われるためには、どれだけの教員数を確保する必要があるのか。こうしたお金のかかる具体的条件整備策を検討しないまま、教育改革が進んでいる。それでも改革が大衆的支持を受けるのは、まさに学歴貴族制への反発が基盤にあるからだ。受験教育批判を追い風にすることで、改革を手放しで歓迎する空気が、改革実現に向けての現実的問題の検討さえも不十分にさせているのである。
 その結果、めざすべき「生きる力」も育成できず、そのうえ、基礎学力も維持できなければ、教育改革は、エリートなき社会の教養の水準を低下させずにはおかない。若者たちの知的水準が低下することで、将来の日本の技術力や経済力にも影響するだろう。
 問題は高校までの教育にとどまらない。大学でも、教育改革の名のもとに、一般教養を、退屈で役に立たない知的装飾品くらいにしか見ない専門主義が横行し、教養教育の解体が進んだ。そこでは教え方の問題が、カリキュラムの問題にすり替えられてしまっている。その結果、専門教育以外には、知識を体系づける原理を失ったカリキュラムが広がり、学生の好みにまかせた授業の履修を推し進めている。
 さらに、教育の多様性や自己選択の強調が、教育の画一化を打破する手だてと考えられている。ところが、教育における平等を、皆を等しく扱うことだ(=「画一教育」)としか見てこなかったために、自己選択・自己責任を求める改革が、社会的な不平等の拡大につながる可能性は問題にもされない。学校で教える勉強量が減ったとき、どのような階層の子どもが有利になり、誰が不利になるのか。教科や進路の選択を個人まかせにしたとき、誰が得をし、誰が損をするのか。家庭での学習時間の階層差が拡大している事実をみても、自由と引き換えに、階層間の教育格差が広がる可能性は否定できない。
 こうしたことの帰結が、国民の全般的な知的水準の低下と、階層間での格差拡大をもたらすとしたら、エリートなき社会のチェック機能はどのように働くのか。学歴貴族への反発が、知性や知識・教養の価値を貶めるまでに進行するならば、大衆教育社会のゆくえは、社会の不平等を残しながらも(あるいは拡大しながら?)、エリートのいない、チェック機能も十分働かない社会を招来するのではないか。私たちは、精神のない専門人と、教養のない享楽人の社会へとつき進むのか。学歴貴族制を解体した力は、反知性主義・反教養主義とも呼べる、うねりになろうとしている。その解き放たれた力を十分制御できないところに、またその正体を十分見きわめないまま理想主義を旗印に教育の改革が進行するところに、私たちの教育と社会が抱える困難がある。「学歴貴族の栄光と挫折」の歴史が私たちに残した問題をどのように解決していげばよいのか。問われているのは、日本の近代の質であり、私たちの知性である。
◇苅谷 剛彦(かりや たけひこ)
1955年生まれ。
東京大学教育学部卒業。米ノースウェスタン大学大学院修了。
東京大学教育学部助教授を経て現在、東京大学大学院教育学研究科教授。


 
 
 
 
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