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2000/03/06 産経新聞朝刊
【日本よ】石原慎太郎 ああ、子供たちよ
石原慎太郎(作家)
 
 実は私は現今の教育体制の中での落ち零(こぼ)れのハシリで、今からもう五十年も前当時通っていた地方の名門(嫌な言葉だ)湘南高校が嫌で嫌で、とうとう仮病を使って一年学校をさぼり家で絵を描いたり、東京に出かけては芝居やオペラを見物しまくっていた。両親ともそれに気づいていたようだがなぜか黙って見逃してくれていた。
 なにしろ私の学んでいた高校の前身は戦争中は海軍兵学校の予備校のような旧制中学で、一夜にして価値観が逆転した敗戦の瞬間からは、東大に進んで国家官僚になることを生徒にとってより教師たちの無上の目的と光栄とする体となり、私にはとてもついてはいけぬものになった。そこでは何でも五点のとれる、つまり官僚の資質を備えた生徒だけが評価される価値観と方法だけがまかり通っていて、少年の私には窒息しそうな場所でしかなかった。胸が悪くなりそうなアカデミックな指導ばかりする美術の時間に、一番明るい色を問われ、本気で黒と答えたら美術教師に激しく叱られたのを今でも覚えている。
 父親が急逝し、周囲からもかくなったら復学して大学にも進み家族を養わなくてはといわれて、当時出来たばかりの公認会計士なる高給の望める職を薦められ、行くならそこと思っていた京都の大学を止めて一橋大学に入った。公認会計士の方は半年試みて私には全く不向きな仕事と悟って放棄したが、一橋という官学の中の私学的な大学に進んだことは僥倖(ぎょうこう)だった。
 いずれにせよその前段の高校時代、そして自分の初めての子供が学校に通いだした時も、こんなつまらぬ教育制度がいったいいつまで続くのだろうかと呪詛(じゅそ)していたが、驚くことに未だにそれが変わらずにいる。
 最近、東京都主催の場も含めて教育や子供の有様について専門家や一般市民たちの意見を聞く機会が多いのだが、人々が今までになく多岐にわたる意見を、荒廃してしまった教育と、そこで損なわれた子供たちの無残さに関して抱いているということに驚かされる、というよりもむべなるかなという気がする。
 私は最近親しい友人から紹介された、沖縄で多くの若い素晴らしいタレントを輩出させている沖縄アクターズスクールのマキノ正幸氏が新規に提供して作られた自由学校の校長に就任した白井智子さんの話を聞いて感動させられた。彼女は東大の法学部を出てすぐに松下政経塾に入り、中で一人だけ教育を専攻してさまざまなリサーチをしてきた。大学卒業後、校長に頼みこみ年齢を隠して千葉の幕張の小学校に入学し、教育を受ける側の子供が今何を感じているか、子供が大人たちの嘘や言い訳をいかに敏感に感じ取り、それに耐えることでいかに深く傷ついているかをくみ取ってきたそうな。
 そんな彼女が一年前自由学校の校長に就任し、全国から六歳から十九歳までの、既成の教育の枠に入りきらない子供たちを預かって行っている新しい教育の中で、教育の責任者として改めて何を感じ取っているかを聞かされ、物凄く感動させられた。中でも、彼女が開校してすぐ子供たちに、今何が本当に好きか、一番何をしたいかを答えさせようとしたら、回答を記す紙を前にして、そんな簡単な問いになぜか答えられない自分に驚いて多くの子供たちが思わず泣き出してしまうヴィデオには固唾を呑んだ。彼等がそこで滂沱(ぼうだ)と流す涙の訳は、そう問われて答えられぬ自分への驚き、自分自身のアイデンティティを失ってしまっている自分への口惜しさ、惨めさに他ならない。いい換えれば従来の教育によって余計なものを一方的に与えられてきた自分が、いかに自分自身の発想を阻害されているかということへの改めての自覚なのだ。
 社会的方法としての近代教育はその効率のためにも当然複数の相手にほどこされ、その限りで教わる者たちにある画一化を強いざるを得ない。一方、人間の尊厳とは個性に他ならず、教育における画一化はその個性を阻害しない訳にはいかない。一刻も早く西欧に追いつき追い越せという悲願の元で始まった日本の近代教育は、そうした本質的矛盾を無視することで、国家の作業のための必要要員、つまりなんでも無難にこなす官僚を頂点としたごく限られた人材の育成だけを主眼に行われてきた。それが日本の教育の価値観の基軸でもあった。大体、国立とはいえどこの国に、芸術家を養成する大学の入学試験に高度な数学を組み込んでいるような国があるだろうか。
 それがなお、誰の責任においてか依然として続いているということの歴史的な齟齬(そご)と矛盾は、決して日教組や文部省だけのものでありはしまい。賀川豊彦は「子供には叱られる権利がある」といっているが、それを裏返せば大人には社会人の先輩として子供を叱る責任があるはずである。しかしなお、その自覚の前提に、今日かくも子供たちを荒廃させてしまった、そのための舞台でしかなかった教育の場とシステムについて、私たちはまず自らの責任を問い自らを叱らなくして子供たちを救うことなど出来はしまい。
 私は近々、教育の一応の終点である大学を、やがてそこにやってくる子供たちを救うためにも、まず東京からドラスティックに変えてしまうつもりでいる。
◇石原慎太郎(いしはら しんたろう)
1932年生まれ。
一橋大学法学部卒業。作家、東京都知事。


 
 
 
 
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