日本財団 図書館


1995/10/04 読売新聞朝刊
[戦後教育は変わるのか](2)天野郁夫氏に聞く 自由モデル機熟す(連載)
 
 ◇東大教育学部教授
 
◆効率重視終わり改革の条件整う
 ――戦後の教育はかなりの間、日教組と文部省の対立を軸に進んできました。この構図についてどう考えられますか。
 天野氏 日教組対文部省は革新対保守、社会主義対資本主義という対立図式ではなく、実は教育のありかたをめぐる自由モデルと統制モデルの対立ではなかったかと思っています。
 日本には戦前にも何度か、公選制の教育委員会の設置など、アメリカに倣って自由モデルに移行しようとした時期があります。しかし、うまくいきませんでした。戦後、占領軍の指示で同じことがされましたが、占領が解けた後その反動として、任命制の教育委員会や学習指導要領の強化など、統制モデルへの回帰が行われていきました。
 社会主義国も教育の公共性、一元性、画一性を重視し、自由より統制に比重を置いてきました。しかし、日教組は、戦後教育の出発点を守れと自由モデルを主張しました。それは自由主義的な考え方で、むしろ社会主義の対極にあります。
 このねじれたモデルの対立は、文部省の統制主義に日教組が反対する中で、保革の対立に巻き込まれ、体制選択の問題にすり代えられていきました。その結果、アメリカ的な自由モデルを社会主義体制を支持するグループが主張するという不思議な形になりました。
 教育に政治を持ち込んだのは国ですが、文部省の統制に反対するため日教組も、戦後教育改革の理念、自由と平等を闘争の手段に使った面があります。
 
 ――今、文部省は自由化、個性化をキャッチフレーズに教育改革を進めています。何が変わったのでしょうか。
 天野氏 かつての文教行政が、経済に奉仕する効率的な教育システムの形成、維持を重視してきたことは確かです。統制モデルはもともと効率重視で、そうした要素を持ちます。
 しかし、今、効率重視の時代は終わり、経済の世界でも、統制モデルから自由モデルへの転換が迫られています。経済も教育も、成長の時代が終わり、次の時代に向けての模索の中にいると言えます。
 一方、平等にしても、ただそれだけではなく、自由、個性、自己実現といったものとの組み合わせを考えなくてはならない時代にきています。しかし、日教組は、戦後改革の原点に固執し、それを修正、否定するものにはすべて反対という硬直的な対応をしてきました。
 終戦直後の教育改革は、社会、経済的な条件が十分に熟していない状況のもとで行おうとしたもので、早過ぎた改革でしたが今、社会は豊かになり、かつて対立の原因だった改革が文部省のサポートで実現されようとしている。教育改革が体制選択の問題でなくなったわけで、和解の条件は熟してきていたと言えます。
 
 ――今後の教育を考えるとき、何が課題なのでしょうか。
 天野氏 近代社会は、社会や家庭などいろいろなところにあった教育と学習の機能を学校の中に取り込み、その期間を延長してきました。それが、極限にきた今、いじめや不登校など様々な問題を生み出しています。近代社会が基本的に持っていた問題が表面化してきたものだとも言えます。
 同時に、教育はより自由であればよいとされてきましたが、どこまで自由にするのか、教育の公共性をどうするのか、バランスの問題も問われています。
 こうした問題は教育政策だけでは解決できないし、政治体制とも関係がありません。教師が専門職としての力量をどう高め、問題解決の努力をどう行っていくかが、問題をとく重要なカギの一つです。それには、教師集団が以前のように政治イデオロギーで内部分裂していてはだめです。
 日教組が政治、政党とのかかわりで教育をとらえてきたのは、教育学にとっても不幸なことでした。今、多くの教育の問題に教育学は十分答える力量を持っていません。実践的な問題までイデオロギー的な解釈をされてしまい、教師が提出した問題を研究者が受け止め、研究を深めるというフィードバックがうまく働いてこなかったのです。(聞き手・勝方 信一)
◇天野郁夫(あまの いくお)
1936年生まれ。
一橋大学経済学部卒業。東京大学大学院終了。
東京大学助教授、教授、同教育学部長を経て、現在、国立大学財務・経営センター教授。

 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。

「読売新聞社の著作物について」








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION