1998/10/20 産経新聞朝刊
【教育再興】(110)家庭教育(14)神戸事件(上)危機感が「タブー」破る
「以前と全く変わっていないですね」
神戸を中心に活動を行っている「不登校・心身症の親の会」代表の塩賀瑞穂さん(六二)は昨年、神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件の前と後で、相談に訪れる親を比較してこう断言する。
同会は月一回定例会を開催し、子育てに悩む親たちにカウンセリングなどを行ってきた。
児童連続殺傷事件が与えた衝撃の大きさから考えて、親たちも自らを問い直さざるを得ないのではないか−。塩賀さんはこんな期待もしていた。が、訪ねてくる親のほとんどは、事件を別世界のできごとと考えるばかりだった。
受験競争に熱を上げてきた母親が子供の不登校に悩み、熱心に相談に足を運んできた。ある時、「お母さん自身のかかわり方はどうだったんですか」と問いかけると、「私はちゃんとやってきました」と怒りだし、相談に訪れなくなった。
その後、母親は別の相談所に。しばらくして再び同じような指摘を受け、またもや飛び出す。「そんな繰り返しだ」と聞いた。
「『責任は親にはない』と安心したいために、『別の何か』に責任の所在を求め、相談所のハシゴを続けたんだと思う」と塩賀さんは指摘する。
育児書などを読みあさり、マニュアル通りにしか子育てできない母親。働きすぎで、リストラなど心配の種も増え、ストレスに押しつぶされる父親。塩賀さんの目には、現代の親はそんなふうに映る。
児童連続殺傷事件で少年が逮捕された昨年六月二十八日、小杉隆文相(当時)は「非常なショック。学校をはじめ、家庭や地域社会がどのように対応すべきか速やかに検討したい」という緊急談話を発表した。個別の少年事件で文部大臣談話が出るのは極めて異例のことだ。
同年八月四日、中央教育審議会に対し、「幼児期からの心の教育のあり方について」諮問。審議の中で強調されたのが「家庭教育」だった。
個人の世界や価値観に踏み込むことになる「家庭教育」への言及は文部省にとって、それまでタブーに近かった。文部省側は「国の審議会がこれほど事細かくいわざるを得ないほど、教育が危機にひんしているという認識を示したもの」と危機感を強調した。
今年六月に出された答申は、社会や家庭に「心の教育」を呼びかける提言方式を採用した。文部省大臣官房政策課は「あいさつなどの礼儀や祖父母を大切にすることなど、しつけにあたって考えるべき当然のことばかりかもしれないが、実行するには努力が必要。それぞれの親が家庭を見つめ直してほしい」と話す。
その提言は、どれだけ家庭に届いているのか。
今年四月、現場近くに地域住民らが運営する「防災防犯センター」が設置された。長机とパイプいすが並べられ、毎日学校から帰宅した子供たちが仲良く勉強している。子供たちが心の中に抱え込んでいる悩みを、少しでも打ち明けてくれれば−との思いから、地元の北須磨団地自治会副会長の森機会さん(七三)は「よろず相談室長」と名乗り、毎日センターに詰める。
が、「家庭での深刻な悩みを打ち明ける子供はほとんどいない」と森さんは言う。
センターの隣にバス停がある。そこに立ち寄る住民たちに聞いてみた。現場近くに住む母親は言う。「事件後、子育てについて夫と話し合うことが多くなった。夫は大手企業で働いているが、職場で息詰まるような気持ちになることが多い。子供にはのびのびと育ってほしい−との願いから、高校生と中学生の息子には塾をやめさせた。でも、それで良かったのかどうか、分からない」
小学生の娘を持つ母親は「事件から数カ月間、学校までの送り迎えを欠かさなかった。働き盛りの夫は仕事を早めに切り上げて帰宅してくれるようになった。だが最近、夫はまた深夜に帰宅する毎日。何だか子育てを押し付けられているような気がしてならない。子供がわがままを言って泣き叫ぶと、どうしていいか分からなくなる」。
悩みは確実にある。それが隣人にも届かない。「本当は悩み事があるはずなのに、世間体を気にして、心を開いてくれないんでしょうか」。森さんは、ぽつりとつぶやいた。
■児童連続殺傷事件
神戸市須磨区のニュータウンで昨年2月から5月にかけて小学生の児童らが相次いで殺傷された。同年6月、兵庫県警は現場近くに住む当時14歳の中学3年生の少年を男児殺害容疑で逮捕、さらに女児4人の殺傷容疑で再逮捕した。神戸家裁は少年を医療少年院に送致する保護処分を決定し、少年は同年10月に関東医療少年院に収容された。事件をきっかけに、少年法の改正論議が活発化。法務省が少年院の収容期間見直しを通達したほか、日弁連理事会が少年審判に条件付きで検察官の出席を容認する議案を可決した。
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