1998/08/24 産経新聞朝刊
【教育再興】(84)平和教育(2)自虐史観への反省 学校だけに任せないで・・・
今年一月、鹿児島県で開かれた日教組の教育研究全国集会の分科会では、自虐史観の歴史教育に対する反省の声も聞かれた。
「戦争学習が残酷物語に終始すれば、近現代史本来の目的が遂げられない」「負の要素だけでは、生徒はめげる」「反戦を教えれば正しいことを教えていると舞い上がっていなかったか」…。
山形県米沢市の上杉神社の観光施設で、県立南陽高校の数学教諭、我妻盛雄さん(四五)と会った。我妻さんも、現在の歴史教育を批判する日教組教師の一人。転機となった事件がある。
平成七年秋。校内の研究授業で、三十代の男性教諭による三年の日本史の授業をほかの教員が見学した。教諭は、職員会議でも「日の丸・君が代反対」を主張する熱心な組合員だった。
授業の内容は「日本軍の朝鮮人『強制連行』」。ビデオドラマを教材に使い、朝鮮人を「強制連行による戦争犯罪の被害者」、日本の敗戦を朝鮮人の「解放」というスタンスで教えた。二学期以降、五、六時間分の授業をこのテーマに使っていたことも分かった。
見学者の一人である国語教諭は、設問の設定や歴史資料の取り上げ方について「本来は考えさせ学ばせるべきことを、教師の権威で教え込もうとしている。教科書の記述を軽視し、方法論的に誤っている」とこの授業を文書で批判した。
当時、進路指導担当だった我妻さんが調べたところ、受験を控えた生徒たちから、別の日本史のクラスより「授業が遅れている」という不満が出てきた。「現代社会で文化的側面から捕鯨問題を取り上げるような教師だったが、歴史に関しては、組合に認められたいという気持ちで自己主張しているようにみえた」と振り返る。
「個人の考えは自由だが、学校の中では個人としているわけではない。日教組はいまだに組合の新聞で『日の丸・君が代反対』などと書いている。これこそ『自虐』であることに気づいていない」。我妻さんは、旧態依然とした日教組の態度に反発する。
自虐史観に基づく一方的な授業が、社会問題化したケースは後を絶たない。
宮城県内の複数の小学校で、「南京事件で三十万人殺害」「将校が百人斬り競争」といった内容を教えるように構成された六年生用の社会科教材が使われ、九年五月、県教委は使用中止を指導した。
教材は県内の教職員組合などが設立した「みやぎ教育文化研究センター」(仙台市)のプロジェクトチームが作り、中国の小学校用歴史教科書を参考資料に採用するなど学習指導要領を逸脱していた。授業を受けた児童が「日本人は人を殺して喜んでいるなんて、なんてくるっているんだろう」「日本はひどいことばかりしてきたんだ。ゆるせない」「(戦争を進めた)日本の天皇は悪い」などと教材通りの感想文を書き、保護者から反発を呼んだ。
北海道帯広市の市立小でも平成八年、中国、朝鮮人や戦争に反対する日本人を日本軍や憲兵が虐殺するという手書きのイラストを載せた社会科資料集が、「偏向している」「内容が過激過ぎる」と父母らから批判を受け、回収された。資料は、道内の教師グループ「北海道民間教育研究団体連絡協議会」が作成したものだった。
日教組の教研集会でも、「いろいろな資料を読み、体験を聞いて歴史の授業を進めたいが、『従軍慰安婦』などについて教員が使っている副読本では誇大な表現も多く、教員の見る目が必要だ」(三十一歳県立高教諭)と偏向教材を危惧(きぐ)する声が上がった。
南陽高校で問題の日本史の授業を受けた女子生徒が教育実習生として、我妻さんのもとへ戻ってきた。実習生は「従軍慰安婦などを教科書に書くのはおかしい。生徒の知識として必要な枠を超えている。(授業の)ベースになる問題ではない」と話した。
我妻さんは「皮肉なことだが、高校では大学受験が偏向教育に歯止めをかけている。危ないのは小・中学生。先生がどうかで変わってしまう」と強調する。実際、同僚教師は中学生の娘から、「強制連行はあったんだよ。そう先生が言っていたから」と言われたという。
現在、学年主任の我妻さんは昨年からある試みを始めた。週に二回、朝のショートホームルームの前に新聞のコラムや記事を抜粋し、生徒に読ませている。
これまでに扱ったテーマは「W杯サッカーにおける国家意識」「埼玉県立所沢高校の入学式ボイコット」「長野五輪表彰式で女子選手が帽子をかぶったまま国旗掲揚に臨んだ問題」…。「教育再興・素顔の先生たちシリーズ(五月)」でも取り上げた『朝の一斉読書』に学び、考えを押しつけないためにも、生徒に感想や意見は求めていない。
我妻さんは小中学生の子を持つ親に対し、「歴史教育を学校だけに任せないこと」と訴える。ホームルーム前の読書も、生徒に自分で考え、判断する力をつけさせるための静かな試みだ。
■日の丸・君が代反対闘争
日教組は平成7年9月の定期大会で、最大の闘争目標だった「日の丸・君が代反対闘争」を事実上棚上げすることなどを柱とする柔軟な運動方針を採択、日教組と文部省の歴史的和解が実現したかに見えた。当時の横山英一委員長は「国旗・国歌問題は国会で決めるべきこと。今はいじめなど文部省と協力して対処すべき問題が山積しており、対立ばかりしている場合ではないと判断した」としたが、広島県教組委員長でもあった丹光節子副委員長は広島と中央の路線の違いから副委員長を辞任、広島県教組は現在も闘争的な体質を色濃く残すなど、地方単組レベルでは旧態依然とした左派色が一部に根強く残っている。
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