東京都教育庁は子供の指導ができない先生十六人を「指導力不足教員」と認定、通常の授業からはずし、特別研修を受けさせることにした。これまでは意欲的な先生も無気力な先生も処遇面でほとんど差がなく、“悪平等”の傾向が強かった学校社会に能力主義を導入する試みとして注目される。他の自治体への波及効果を期待したい。
この十六人は都内の公立学校に勤務する教員六万人の中で、校長が継続的に勤務状況を観察した結果、「学級運営ができない」「授業が分かりにくい」「保護者と争いが絶えない」など問題点が多い先生たちだ。四月から図書室などに勤務しながら、模擬授業や他の先生の授業参観などの研修を受け、三年たっても、改善が見られない場合は退職勧告もあるという。
教頭試験の合格者には、任用前研修として知事部局の行政現場を体験させ、来春からは、優秀な若手教員を幹部候補生として一年間、民間企業などに派遣することも検討している。無競争社会のぬるま湯につかった一部の先生たちには、ショック療法となろう。
学校社会は日教組の勤務評定反対闘争(昭和三十二−三十四年)の後遺症もあって、人事・給与面とも、先生の勤務実績に対する評価は十分に行われてこなかった。それが「先生の常識は世間の非常識」と呼ばれる閉鎖性の一因にもなっている。しかし、子供たちは先生を選ぶことはできない。無気力な先生や偏向した先生の授業も受けなければならない立場だ。“先生社会”の“悪平等”が子供たちの健全な競争心を奪っている面もある。
もちろん、教育という仕事は営利事業とは異なり、勤務実績の評価といっても、民間企業と同列には論じられない。しかし、大学では、自己評価・自己点検、学外の第三者による外部評価、学生による授業評価など教員への評価の試みが始まっている。小中高校の初等中等教育の世界だけ、無競争社会の甘えは許されない。
先生社会では、民間企業では当たり前のボーナス査定すらほとんど行われていない。東京都は毎年、公立学校の教員に対するボーナス査定の導入を求めているが、教職員組合の反対により実現できないでいる。今日、勤務評定やボーナス査定が組合運動への弾圧や不当労働行為につながる恐れは、まずない。組合側ももっと大人にならなくてはならない。
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