1997/06/15 毎日新聞朝刊
[社説]日教組50年 指示待ち族からの脱皮を
日教組が今月、創立50周年を迎えた。節目となる第83回定期大会は、先ごろ東京で開かれたが、かつてのような怒号はなく、落ち着いた雰囲気に終始した。そして運動方針などをほぼ原案通り可決した。
政府・文部省と長年激しい対立抗争を続けてきた日教組が、運動方針に「参加・改革・提言」を掲げ、路線の軌道修正を図ったのは、1990年の高知大会である。95年の大会で、「文部省との歴史的和解」方針を採択するに至った。「変革の時代に、私たちは教育界の対立を解いて、政府・文部省・財界とも協力し、21世紀の教育改革を本格的に進める運動路線を構築した」(川上祐司委員長)のである。
運動方針が、さしたる紛糾もなく可決されたことは、この路線転換が定着したと言えるだろう。しかし、そのことは一方で、新たな問題を生み出している。熱気が薄れ、日教組の存在感が希薄になってきている印象が否めないのである。
日教組が、文部省やPTA、財界などと連携、協力して、教育改革に臨むことは、大きな前進だ。50周年のパーティーに文部大臣が出席したり、中教審に前委員長を送り込んだ意義は小さくない。しかし、それは目的ではなく、あくまで手段のはずだ。問題は、そこで何を目指し、何をやるのか、ということである。今の日教組には、そこのところが見えにくい。パートナーシップは結構だが、より大きな、力のある者がパートナーの場合は、そこに埋没してしまう恐れがある。方針は間違っていなくても、それによって、自己の存在意義を失ってしまいかねないのである。社会民主党が格好の例だ。
日教組は、結成50年というより、生まれたばかりのよちよち歩きの2歳児という方が、今の実態に即している。これからが正念場なのだ。存在意義をアピールしていくためには更なる努力が必要だが、まずは、日教組が現場教師の組織であるという原点に戻ることだろう。それぞれの学校現場での日々の授業、指導をいかに行っていくのかが、改めて問われる。「参加・改革・提言」は、地元の教育委員会、父母とのかかわりから始まるのであり、そこでの積み重ねが基本なのではないか。
文部省と日教組は、天敵のような間柄だったが、一方でよく似た体質を持っている。中央集権的組織であることだ。文部省は通達を出し、日教組は指令を出すのが好きだった。地方の教育委員会も各県教組も、校長も教員も、指示待ち症候群に侵されている面が少なくない。
大会で代議員の一人が「日教組本部に何とかしてくれと依存するのではなく、いかに自分のところで取り組むかが問われている」と発言した。大事な視点だと思う。
日教組の組織率は、昨秋現在33・0%で、前年より0・7ポイント下がった。組合離れの続いている若い教師を引き付けるのは、イデオロギーではない。日々の教育実践において、範となり、支援してくれる先輩である。個々の組合員が力をつけ、頼りがいのある教師、教員団体を目指すことが出発点ではないか。
教育改革の実質的な担い手は、文部官僚でも日教組執行部でもなく、現場の教師である。日教組の教育改革案も、現場教師や各県教組の取り組みを積み重ねたものでなければ、意味がないだろう。
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