学校週5日制の完全実施をうたった第15期中教審の審議のまとめは、学校に象徴される「公教育」の領域を縮小し、家庭や地域社会との一体化した教育システムの構築を提起した。特に、ゆとり回復など「大人の生き方」の転換を促しているのが特徴だ。だが、完全5日制に向けた地域社会の整備や、学校スリム化により懸念される家庭の教育内容の格差拡大に対する行政のケアについては踏み込み不足の印象も否めない。
明治以降、日本は先進諸国に「追いつき追い越せ」の掛け声のもと、「学校」による一斉授業という効率的なシステムで暗記中心の詰め込み教育を進めてきた。その結果、受験競争の過熱を招き、表裏一体の現象として「いじめ」や不登校が深刻化。最近では、住専、エイズ薬害問題などで“偏差値エリート”の頂点である官僚の問題解決能力と感受性の欠如が露呈もした。この失望感や焦燥感が「先進諸国追随型からの脱却」という今期中教審の提唱に色濃くにじんでいる。
戦後の高度経済成長期に、効率的な教育による勤勉な労働者を求めてきた産業界も、経済の失速から、ハードよりソフトへ生産の主体が移行するにつれ、「個性的で創造性ある人材の育成」を唱和。中教審の提起は、学校、家庭、地域の連携による「合校」を提言した経済同友会はじめ各経済団体の主張とも重なり合う。
「公教育」の領域を狭めて民間にゆだねる「学校のスリム化」に際し、学校の機能、役割を家庭や地域社会に返すことで留意すべき点を指摘したい。個々の家庭の経済力や地域の教育環境により、教育の内容に生じる格差をどうするか。サッカーや水泳やピアノなどの習い事でも「行ける」「行けない」現象が起こるであろうし、民間教育の限定された過疎地はどうなるのか。中教審は、地域教育活性化センターの設置や障害者への支援などを提案しているが、弱者の公共対策という“体温”の伝わる哲学が感じられない。
結局、完全5日制の実施時期は明記されなかったが、審議のまとめが総花的でメッセージ性に乏しく、具体的な作業は教育課程審議会や文部省にゆだねた印象は否めない。教育内容の「厳選」作業に当たる教育課程審議会が「切り捨て」を阻止しようとする各教科関係団体の綱引きに巻き込まれないか懸念される。
今期中教審はこの後、高校と大学の入試改革など重要課題を引き続き検討するが、完全5日制の成否にも深くかかわるだけに、学歴社会を超えて「生きる力」の理念をさらに強烈に打ち出してほしい。【城島徹】
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