1996/01/30 毎日新聞朝刊
[記者の目]教育取材20年 生産優先の「病理」表面化 若い時、楽しめる工夫を
教育をめぐる「問題」はいつも新しくて古い。まぎれもなく時代の刻印を帯びて現れるが、ストーリーは古い物語の焼き直しである。問題が顕在化するたびに、ひとしきり騒がれ、別に「解決」したわけでもなく、何かの教訓が残されたわけでもないのに、波は退き、また別の物語が新しい顔をして現れる。だが、不毛な繰り返しを超えて、今問われるべきなのは教育という「大きな物語」そのものだというところに来ているのではないか。
今月末で定年を迎える私は、結局「教育記者」ということで終わった。一時の中断をはさんでほぼ二十年、教育の問題を追いかけてきた。最初はほとんどが小学校から高校までの初等中等教育が対象で、一九七〇年代半ばの「落ちこぼれ」から始まって偏差値など高校入試、やがて校内暴力、非行、登校拒否、いじめといったふうに扱うトピックスは変わっていった。そして最後の五年余りは、大学改革の動向を取材対象にした。
幸いに私の仕事は現場からのリポートが中心だったので、そこで見聞きした事実が自分自身の教育に対する考えを練り上げていく充実感があった。とはいえ、教育問題とは何にもまして「理念」がぶつかり合う場でもある。そもそも同じ現象を見ても、その人の体験、社会的立場、世界観によって導き出す結論は違うし、しかもその結論はその人その人にとってかけがえのないものでもある。記者がつかんできた事実が積み重ねられれば、おのずと「解決」が見いだされるという「新聞記者の楽観主義」が貫けるほど、教育の取材は甘いものではなかった。
◇市民が利用する機関へ
さきほど挙げた「問題」は今もなお問題でありつづけ、何一つ「解決」したものがないということを見ても、そのことは明らかだ。時に「教育取材とは現象を引っかき回すだけで、事態の改善に役立たない。場合によってはかえって事態を悪くする」と教育関係者に毒づかれたこともあったし、自分自身もそうしたニヒリズムに陥ったことも苦く思い出す。
だが、二十年の時間を経て「問題」を振り返ると、はっきり見えてくるものもある。それは「何を問題と考えるか」が、人々の教育に対する意識の変化を映し出しているということだ。例えば「落ちこぼれ」から高校入試、校内暴力、登校拒否、いじめと「問題」を時代順に並べると、そのいずれもが教育体制=学校への批判をはらんでいるが、初めの二つはそれでもなお学校や教育のシステムそのものに素朴な信頼が感じられる。しかし、後の問題になればなるほど教育への信頼が揺らいできている。つまり、教育への批判は、初期はその技術やシステムの巧拙を問うていたが、次第に話は教育そのものの「病理」に移ってきている。
こうした教育を見る目の変容は、今どれほど意識されているだろうか。端的に言って、日本の戦後の教育は「生産のエトス(気風)」に彩られてきたと私は思う。ありとあらゆるものがモノ、カネの生産に結びつけられ、健康の維持が「健康づくり」となり、レジャーの価値すらが将来の生産性向上と結びつけて論じられる時代だった。その中で教育は何より将来への投資として語られてきた。よく戦後の教育は「文部省対日教組」の図式で語られ、背景に効率性と平等のイデオロギーの対立が指摘された。それには違いないとしても、結局は両者とも「生産」に奉仕してきた点では共通している。大きな目で見れば、それは多大の犠牲を伴いつつも、有効に働いたのだろう。
モノ、カネを軽視しているわけではない。戦中に生を受け戦後を過ごしてきた者の一人として言うと、物量軽視、極端な精神主義が称揚された戦中への反省が、すべてをモノ、カネに換算する気風を生んだと思う。だからといって、ただちにモノ、カネの時代は終わった、これからはココロの時代だなどとおおざっぱな物言いを聞くと、それじゃ戦中に逆戻りじゃないのと思ってしまう。
◇システムの縮小が必要
しかし、振り子は明らかに一方に偏り過ぎた。この点でいろいろと考えさせられたのがオウムの事件だった。週刊誌で読んだのだが、麻原彰晃被告の運転手を務めていた三十五歳の男は、自分で事業を始めようとためていた一千万円をお布施に投げ出したという。明らかに、初めは「生産マインド」の若い男に何が起きたのか。
大震災も「生産のエトス」からの脱却を迫っているのではないか。精神病理学者の野田正彰さんは「災害救援」(岩波新書)の中で書いている。「被災後の心のケアが求められるのは――人間の社会として当然もつべきやさしさとして、求められているのである。建物の復興だけを主張する野蛮な社会ならば、死者を忘れ、遺族にはガンバレと圧力をかけ、精神的に苦しむ人を無視すればよい。これまでの日本の文化はそうしてきた――」
日本の社会全体が見直されるべき時期に来ている。そして、またもその修正に教育の力が期待されている。だが、私は教育の「過去の栄光」のイメージを頼りに、なんでもかんでも教育の操作によって物事を解決しようとする思考に反対で、むしろ教育システムの戦線縮小こそが今求められていると思う。縮小した領域の中で行うべきは「生産のエトス」に代わって「消費の論理」とも呼ぶべきものではないか。つまり、決して若い世代の将来への投資や準備なんかでなく、その時期、時間が充実し楽しめる工夫を、と。
市民(国民でなく)の操作の手段から市民が利用する機関へと徹底した意識改革。それが、野田さんの言う「野蛮」からの脱却の道だと思う。
<大阪学芸部・中村竜兵記者>
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