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1993/05/07 産経新聞朝刊
【正論】憲法シリーズ 憲法の新事態への対応必要
三浦朱門(作家)
 
 日本国憲法は何のかのと言われながらも、国民の絶対の支持を得ていると思われる部分がある。
 象徴天皇制、主権在民、不戦の条項、基本的人権の保障、の四つがそれである。これらの条項については、それぞれに左右両翼からの改正の要求がありながら、それらの力が互いに相殺しあって、今日まで憲法が成立した時の原型のままで、日本の体制の根幹を形成してきた。
 たとえば象徴天皇制にしても、共産党や新左翼といわれる人、あるいは左派社会党の一部の人は、天皇制を廃止して、完全な共和制にしたほうが、主権在民の趣旨が明確に生きる、と感じているであろう。反面、元首としての天皇制も民主制度と両立しうるものだから、天皇を象徴などという曖昧(あいまい)なものではなく、はっきり国家を代表する形にしたい、といった右からの欲求がある。
 同様に不戦の誓いについても、自衛に限ってならよい、とする者がいるかとおもえば、自衛のみならず、国連の要請とあれば、異国の武力に対して、わが方も武力を行使しうるとする者、自衛は交戦に当たるからよくないが、国連軍に参加するのはよい、という人がいる。かと思うと自衛をも含めて、一切の武力は認めない、とする勢力もある。
 この最後の考えは、死刑廃止論とも関連するところがある。殺人がいけないからといって、殺人者を国家が処刑することは、国家が自ら否定する悪を行うことだとして、反対する人がいる。しかしこの論法を 敷(ふ) 衍(えん)すると、誘拐犯人を捕えて刑務所に幽閉するのも、国家が悪としたことを自ら犯すという点で過ちである、ということになろう。
 
◆修正条項を生かす米国
 今日まで、国民は憲法に問題があることは承知してきたが、改正によって、上にあげた四つの基本的性格が損なわれることを恐れて、改正はせずに解釈と運営でこれまでやってきた。しかし世界的にみると、どの国でも憲法の命は必ずしも長くない。どの憲法もそれが制定された時代と深くかかわっているが、状況が目まぐるしくかわり、忽(たちま)ち憲法は時代遅れになって、国家体制の根幹として機能しなくなるからである。
 フランスは大革命の後の百年ほどの間に十もの新しい憲法を作った。そして今日の憲法は成立してから近々三十年ほどしかたっていない。また社会主義国家は今世紀になってできた若い国家のためだろうか、始終、改正をしている。日本と同じく敗戦国となって西側陣営に属した旧西ドイツも、敗戦後の憲法に当たる基本法を三十六度にわたって改正している。
 アメリカ憲法は世界最初の成文憲法であるが、過去二百年以上の間、原文を変えていない。それはこの憲法が完全であったからではなく、修正条項という形で、憲法の条文を限定し、解説してきたからである。この補足条項は今日では二十六条に及んでいる。千九百十九年の禁酒規定の修正条項も、十四年後にこれを廃止したことも修正条項として残っている。
 つまり誰だって五十年後のことを洞察することはできない。従ってどんなに衆知を集めて作った憲法でも、時代と共に現実にそぐわない部分ができてくることは如何ともしがたい。かといって多くの国のように全面的な改正をしていると、国民のほとんどが支持している重要な条項が消えてしまう危険がある。我が国では国民が憲法改正に慎重であったのはこのためであろう。
 
◆時代に即応して活用を
 交戦権で言えば、日本は隣国と領土その他の争いを武力で解決すること、あるいは中国がベトナムに対してやったように、他国のやりかたが不当だとして、たしなめるために武力を使うことは絶対に国民の支持はえられまい。自衛のための武力の行使はほぼ八割、国連軍の一部としてその後方支援に参加することなら、何とか過半数の賛同が得られるのではないだろうか。第九条は問題が多過ぎるというなら、どう考えても憲法の第八十九条違反である、私学への補助金を合法的にするには、修正条項をつけることで解決しうるのではないだろうか。
 私は憲法の全文は一字一句も変えないでそのまま残しておくべきだと思う。米国と同様、憲法の原文を動かさずに、修正条項を書き加えることによって−といっても憲法改正と同じ手続きが必要だが−憲法成立当時の精神を残しながら、時代に即応した憲法の活用が可能なのではなかろうか。現在の憲法は国民が惰眠を 貪(むさぼ)る口実に利用されてはいないか。憲法はみだりにかえるべきではないが、あまりに 頑(かたく)なな態度をとると、国としても、国民としても、新しい事態に対応してゆけなくなる恐れがあろう。
 
◇三浦 朱門(みうら しゅもん)
1926年生まれ。
東京大学卒業。
小説家、元文化庁長官。


 
 
 
 
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