1994/11/08 読売新聞朝刊
[論点]時代映す「国民憲法」の試み(寄稿)
松本健一(麗澤大学教授)
憲法というのは、国家を成り立たせている基本的な原理の体系化である。それゆえ、その時代その時代に国家を成り立たせる時代精神を、忠実に反映している。憲法は時代精神の産物である、といってもいい。
そのことを証明するように、憲法には、その時代精神をひとことで言いあらわすような通称が存在するのである。たとえば、明治の大日本帝国憲法は「欽定憲法」とよばれる。それは、この時代が天皇制を基軸とした近代国家への道を歩きはじめたことを物語っているのだろう。
また、第二次大戦後につくられた現行の日本国憲法は、ふつう「平和憲法」とよばれている。これは、戦後の日本人が「もう戦争はいやだ」という真情を、憲法第九条の「戦争の放棄」に託したための通称といっていいだろう。
これに対し、読売新聞社がこの十一月三日に発表した『憲法改正試案』――以下、『改正試案』と略す――は、ひとことでいうなら、「国民憲法」の試みとでも名づくべき内容になっている。このことは、その第一条において、「日本国の主権は、国民に存する」と宣言されていることからの、ごく自然な印象である。
もちろん、現行のいわゆる「平和憲法」も、第一の基本原理を「国民主権」においている。たとえば、その憲法前文には、冒頭の文節――ちょっと長すぎて、どこに力点があるのか分かりにくい文章だが――に「ここに主権が国民に存することを宣言し」うんぬんとあり、そうして第一章第一条には、「主権の存する日本国民」という一節さえある。
にもかかわらず、その現行第一章のテーマは「天皇」なのである。第一条にも、「天皇の地位、国民主権」という二つのテーマが混在している。つまり、まず「天皇の地位」を規定するために「国民主権」がもちだされてきている、といった印象である。これは、戦後日本の支配層が“国体の護持”を第一の眼目にしていたことの痕跡といっていい。
それを『改正試案』では、第一章第一条で、「日本国の主権は、国民に存する」と明確に宣言しているわけだ。わたしがこの『改正試案』を、「国民憲法」の試み、とひとことで要約したくなる理由もわかってもらえるだろう。今回の『改正試案』が提起しようとしている時代精神は、この「国民主権」というものにちがいない。
さてしかし、そうすると、現行第一条にあった「天皇の地位」の規定は、どうなるのだろう。
『改正試案』では、第一章「国民主権」につづいて第二章「天皇」となり、その第四条で「天皇は、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、国民の総意に基づく」と規定される。
これなら、スッキリした内容になる。国民主権と象徴天皇制の関係も、かなり明快になる。
もっとも、『改正試案』第九条では、「天皇の国事行為」の規定に、「天皇は……国を代表して、外国の大使及び公使を接受し」となっている。
この条は、三日付の『読売新聞』によれば、天皇に「対外関係に限って、名目的な元首性を認めた」内容であるという。
だが、この「国を代表して」の文言には、わたしはあまり賛成できない。なぜなら、天皇が「国を代表して」対外関係をもつことになれば、そこには当然外交上の責任が生ずるからである。天皇が「国を代表して」ある国と親善するといいつつ、政府が結果としてその国と利害関係を異にするようになったばあい、外交は二重性をおびることになる。そのばあい、天皇が外交上の責任を負う事態が生じないともかぎらない。
天皇は国内の政治つまり権力闘争からはもちろん、国際的な権力闘争にほかならない外交からも、遠く離れていなければならない。そのためには、『改正試案』第四条にならうかたちで、「国家及び国民の象徴として、外国の大使及び公使を接受し」、とするほうがよいだろう。
なお、最後になったが、現行「平和憲法」の通称の由来である第九条の「戦争の放棄」に関しては、わたしはその理念を高く評価している。そして、この理念を第二次大戦後五十年ちかくにわたって現実的に支えてきたのが、「もう戦争はいやだ」という日本人の真情であることについても、理解している。
日本はその平和のために、冷戦構造のもとでは超大国のアメリカや、国連のような国際機構に安全保障をゆだねるという政策をとってきた。だが、最後の最後のところで「じぶんの国と国民はじぶんで守る」という気概をもつのが、国民主権の原理というものだろう。
そう考えると、『改正試案』の第十条「戦争の否認、大量殺傷兵器の禁止」、および第十一条「自衛のための組織」うんぬんの条は、おおむね肯定できる内容である。すくなくとも、憲法に規定のない自衛隊を保持している欺瞞(ぎまん)性からは解き放たれるようにおもわれる。
◇松本 健一(まつもと けんいち)
1946年生まれ。
東京大学経済学部卒業。
京都精華大学教授を経て、現在、麗沢大学教授。
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