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2001/10/17 産経新聞東京朝刊
【正論】こんな「平和ボケ」でいいのか
榊原英資(慶応義塾大学教授)
 
◆「戦時体制」に入った米国
 五年振りに香港勤務から帰国した友人のジャーナリストが興奮して捲(まく)し立てた。
 「一体、日本はどうなっているの。全く危機感が希薄だし、対応策もピント外れだ。」
 九月十一日、たまたまワシントンに滞在していた筆者が実感したこと、それは、アメリカ政府、マスメディア、そして、アメリカの国民が、このテロリズムをアメリカに対する「戦争」行為だとし、ある種の「戦時体制」に入ったということである。そして、ウサマ・ビンラーディンが首謀者だとしても、彼一人を殺せば「戦争」が終わる訳でもない。大統領も副大統領もそして国務・国防長官も、これはテロリズムを根絶する「長い」しかも困難な「戦争」だとしている。軍事作戦はもとより、アメリカの外交・諜報活動・経済・国際金融等の総力を結集してこの「戦争」に勝利するのだという決意は、少なくとも現在までのところ、極めて固いものがある。
 ひるがえって日本はどうだろうか。平和ボケした日本人には「戦争」、しかも、二十一世紀型の新しい「戦争」の概念すら理解できてないようなのだ。こともあろうに、外務大臣は極秘情報を記者会見で発表してしまう。まだ追加的テロの恐れが現実的なものであったこの時期、この種の情報の漏洩は致命的である。
 
◆まるで茶番劇の国会の議論
 アメリカが激怒しただろうことはおそらく疑いを入れないし、その後、日本を対テロリズム「戦争」の同盟国としては扱えないと思ったとしても不思議ではない。実は、自衛隊による後方支援より、この情報漏洩問題がより重要なのだということをどれだけの日本人が理解しているのだろうか。
 今回の「戦争」は情報あるいは諜報(インテリジェンス)を軸とした「戦争」であり、この点で、湾岸戦争とは大きく異なっている。湾岸戦争の時のトラウマから、日本がフラッグを見せるべく努力しているのを非難するつもりはない。それはそれなりに、特に象徴的には、大切なことではある。しかし、「戦争」に参加するのに、使える武器はどこまでだとか、戦闘そのものには加われないとかいう議論は、少なくとも、外国から見れば茶番劇としかいいようのないものである。
 
◆国際社会の義務を果たす時
 戦後日本が、外務省を中心として積み重ねてきたガラス細工のような防衛に関する議論は今や限界にきている。茶番といっては、政策担当者には失礼にあたるであろう。今、置かれた状況のなかで、何とか国際社会の一員としての役割を果たそうとすればこれしかないではないかという反論はそこそこ説得的ではある。
 しかし、この問題でも、「構造」改革が必要なのではないか。相も変わらず外務省主流派のレトリックにのって、綱渡り的審議をするのではなく、憲法改正あるいは憲法解釈の変更という基本論を戦わせるべき時ではないのだろうか。一九五〇年代と比べて輿論も大きく変化してきている。そろそろ普通の国として自らを守り、国際社会の名誉ある一員として、その義務を果たすべきであるという議論は今や決して少数派ではない。極端なナショナリズムに振れることなく、たんたんと防衛問題を語ることが、今こそ必要なのではないか。
 戦後日本の「平和ボケ」のもう一つの深刻な問題は、国も民間も、情報あるいは諜報、つまり、インテリジェンスに極端に鈍感になってしまった点である。これは、冷戦構造下で平和と安全を享受できたことの結果でもある。平和で安全な国では、特殊な場合を除いては、インテリジェンスの価値はそれ程、高くない。必要に応じて、アメリカやイギリスのインテリジェンス機関から情報をもらえば、事たりていたのである。
 独立した先進国で、日本程、インテリジェンスに弱く、自前の統合された機関をもっていない国はない。外務省、防衛庁、内調、公安等がそれぞれ情報活動を行ってはいるが、とても、英、米、仏、露、中国等のレベルには及ばない。インテリジェンスを諜報と訳さざるをえないのが戦後日本だった。インテリジェンスは多くの日本人にとっては、ジェームス・ボンドの世界だったのである。
 しかし、当然のことながらインテリジェンスは、正当な外交・防衛活動の枢要な一部である。そして、特に、このテロリズムとの「戦争」時、そして「戦後」にはその重要性は大きく増大する。日本にも、まともなインテリジェンスを行う組織をつくることは、実は、自衛隊の後方支援等より余程重要なことなのである。
 
◇榊原 英資(さかきばら えいすけ)
1941年生まれ。
東京大学大学院、ミシガン大大学院修了。経済学博士(ミシガン大学)。
大蔵省入省後退官、現在、読売新聞調査研究本部客員研究員、慶応義塾大学教授、慶応義塾大学グローバル・セキュリティ・リサーチ・センター(GSEC)ディレクター。


 
 
 
 
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