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1994/11/04 産経新聞朝刊
日本国憲法とは何か マス・メディアが負う任務
小林節(慶応義塾大学教授)
 
 昨三日、わが国で最大の発行部数を誇る読売新聞が、その紙面で憲法改正試案を発表した。その内容と方向性は本紙でも紹介されているが、要するに、現代の世界の諸国の憲法を参考にして、日本国憲法をいわば今日風に「モデル・チェンジ」しようとするものである。そこでは、国民主権主義と象徴天皇制の関係の明確化、平和主義の確認、自衛隊の公認とそれに対する民主的かつ人道的制約、国際協力、新しい人権規定の補充、参議院の権限強化による二院制の活性化、総理大臣のリーダーシップの強化、違憲立法審査制の実効性、健全財政を維持するための歯止め、地方自治の明確化、などが提案されている。
 このようにその内容自体は極めて常識的で、読売の狙いどおり、これをきっかけとしてさまざまに国民的論議が始まる気配であるが、その際の論点のひとつとして、憲法改正という高度に政治的な提案をマス・メディアが行うことの是非も問われている。
 そこで、この機会に、わが国のオピニオン・リーダーである代表的な一般日刊紙四紙の憲法記念日(五月三日)の社説を過去十年分(論説委員室で作成した要旨は本紙にも紹介されている)検証し、総括してみた。
 まず、早くも昭和五十六年(一九八一年)元旦の主張で憲法を改正して自衛隊を合憲にすることを提案していた産経は、以後一貫して改憲派であり、その要旨は、大要、次のとおりである。
 昭和六十年(一九八五年):まず、行政改革など、戦後体制の見直しが必要で、また、日本の国際的地位の向上は憲法制定当時には予想もできなかったことで、だから、内閣に新しい憲法調査会を作り国民に開かれた論議をつくすことが急務である。
 昭和六十一年(一九八六年):戦争経験がなく憲法に対する「こだわり」のない若者たちの自由で真剣な憲法論議に期待する。
 昭和六十二年(一九八七年):言論、表現の自由のないところに民主主義社会は育たない。
 昭和六十三年(一九八八年):国際責務に背を向ける口実に憲法を持ち出さず憲法の精神にのっとって、国際平和の維持、創造に積極的に参加すべきである。
 平成元年(一九八九年):象徴天皇制を正しく理解すべきである。
 平成二年(一九九〇年):憲法の解釈、運用は国民感情や伝統などにも配慮して、ある程度柔軟に行うことが許されてよい。政教分離の現実的な在り方を考えていかねばならない。
 平成三年(一九九一年):憲法改正が必要だとすれば、それは現憲法の掲げる平和主義、国際協調主義の理念を今の国際状況に適合するようにさらに明確化するためで、理念そのものの変更ではない。憲法臨調を設置せよ。
 平成四年(一九九二年):改憲の論点は九条に限られず、選挙制度改革、二院制の改善、政教分離、元号、国旗、新しい人権なども問題である。
 平成五年(一九九三年):憲法臨調の設置を求める。本当に憲法の精神を守ろうとするなら、もはや護憲派であってはならない。ここに自民党から社会党まで創造的改憲の共通の基盤が生まれる。
 平成六年(一九九四年):北朝鮮の核疑惑が深まるなか、護憲=平和、改憲=戦争という社会主義が押し付けた思考パターンは、冷戦が終わった今、逆転した。憲法の平和主義を守る誠実さがあるのなら、護憲を主張する人たちもまた、共に改憲に踏み出すときが来ている。
 次に、今では最大の改憲派となった読売であるが、昭和六十年から平成二年までの六年間は、むしろ、一票の格差、租税負担率の不公平、言論・出版の自由、損失補償、環境問題、代表民主制、地方自治体、プライバシーなどについて、現行憲法を生かすことを主張していた。
 ところが、湾岸戦争後の平成三年に至って読売は、憲法前文の国際協調主義と九十八条の条約順守義務を強調し、国際貢献に関する政府解釈の変更を求めた。そして、ついに平成四年から、読売も改憲派に転じた。
 対する護憲派の中心は、何と言っても朝日である。その朝日の主張は、過去十年間、巨視的に見た場合、確固たる一貫性を有している。それは、第一に、戦後のわが国の経済成長は、憲法の平和主義により軍事負担が少なくてすんだことに負うところが大きい・・・という主張であり、第二に、このわが国の先見性のある実績について自信を持って世界へ発信してゆくべきだ・・・という主張である。
 第二の護憲派、毎日の主張は、朝日の主張ほどすっきりしてはいない。まず、昭和六十年から六十二年まで三年続けて、毎日は、日本国憲法が国民に定着していることを強調した。そのうえで、六十二年には、朝日と同様、「わが国は平和憲法の精神に立って、極力軽武装を貫いてきた。能力の多くが民生の安定、向上に注ぎ込まれたことで、空前の経済発展を遂げることができた。重武装の米ソ両超大国などが、その重圧のために、経済的にあえいでいるのをみるとき、憲法の選択の正しさは明らかである。その意味ではわが国は率先してこの憲法の精神を広く世界に訴えていくべきだろう」と述べている。ただ、毎日は、朝日ほどそれまでのわが国の在り方に肯定的ではなく、その同じ社説の中で、「とはいえ、冷厳な『力の哲学』が、いまなお支配する中で、わが国がひとり軽武装で平和であったのも、日米安保体制などの国際的な協調があったからこそである。このことを考えれば、わが国の国際的協力は、なおきわめて不十分である」と述べている。そしてこの毎日の真剣な悩みが、あえてわが国が「商人国家」であり続けるための負担としての「国際貢献税」創設の提案(昭和六十三年)へと発展していったのであろう。その後二年間、毎日は政治改革を論じ、湾岸戦争の後に旧来の九条論に戻り、「責任ある平和主義」の主張を続けている。ただ、その過程で、平成五年の社説の中で、毎日は、「『憲法は時代の変化に応じて改めた方がよい』という世論の考え方も健全なものであろう」とし、「拙速は避けながら、国民各層で日常的な憲法論議を進めたい」と結んでいる。
 以上、過去十年間の憲法記念日の社説を比較検討してみたが、その結果、憲法問題をめぐる四大紙の論争状況はおよそ次のような構図になっていると言えよう。つまり、制定後すでに四十八年も経った日本国憲法について、まず産経と読売は、民主・平和・人権というその本質を守り発展させるためにこそ全面的な改正がもはや急務であるとするが、それに対して、朝日は、日本国憲法の「非戦」主義こそ誇るべきで、むしろわが国は世界に向けてそれを唱道すべきであるとする。また、毎日の立場は少し異なり、非戦主義憲法は正しく守るべきであるが、そのためにはわが国は他の面で大きな負担を覚悟しなければならないとする。
 改めて言うまでもないが、国家共同生活、政治の目的は、そこで暮らす国民に自由で豊かで平和な生活を保障することにあり、そのために主権者・国民が国家権力を運営するいわばマニュアル(使用説明書)が憲法で、そういう意味では国家と憲法も私たちが幸福を求めて生きてゆくための道具に過ぎない。しかも、憲法に限らず法はすべて、その時点ではだれも見たことのない将来の国家生活のために作られる。そして、憲法制定者たちも、私たちと同じ本来的に不完全な人間である以上、将来の社会状況について予測に失敗する。事実、日本国憲法の制定時には、わが国が今日のような経済超大国になることなど予測されてはいなかった。また、科学技術の高度化により私たちのプライバシーや自然環境が日常的に危険にさらされるなどということも予測されていなかった。もちろん、制定者の予測外の事態が生じ得るということはもとより予測されており、だからこそ、日本国憲法自体の中に改正の手続きが規定されている(九十六条)。
 もっとも、改憲論議はタブーでないとしても、一新聞社が主権者・国民に向けて改憲案を提示することについては怪訝(けげん)に思う人も多いようである。確かに、原則的なことを言えば憲法改正の提案は政治(家)の仕事であろう。しかし、政治改革も道半ばで停滞しているような状況の中で、いま、政治家や政党に憲法改正などという高度の政策提案を期待してもあまり希望はない、それでも、時は容赦なく流れ、わが国は冷戦後の世紀末の世界史の激動の中で激しくもまれ、自らの在り方を問われ、上述のような憲法問題に直面している。他方、マス・メディアは、民主社会とりわけ高度情報化社会にあっては、主権者・国民に政治的決定のための材料としての事実と多様な意見を知らせる任務を担っている。そういう意味で、今回の読売の提案は、むしろ、マス・メディアとしてその指名に忠実な行為といえよう。
 読売という巨大メディアが真正面から改憲提案を行った以上、護憲派の朝日としても、もはや「遭遇」戦を回避できなくなったはずで、生産的な論争が期待される。
 
◇小林 節(こばやし せつ)
1949年生まれ。
慶応義塾大学大学院修了。法学博士。
ミシガン大学研究員、ハーバード大学研究員を経て、現在、慶応義塾大学法学部教授、弁護士。


 
 
 
 
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