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2003/11/03 産経新聞東京朝刊
【主張】憲法 改正論の核心は9条だ 国づくりへ実りある議論を
 
 現行憲法の公布から五十七年たち、改正論がようやく総選挙の争点になってきた。遅すぎた感もあるが、戦後半世紀を経て、各党が国のありようを考え始めたことを評価したい。だが、まだ、議論は核心に及んでいない。
 
≪物足りぬマニフェスト≫
 今回の衆院選で各党が示したマニフェスト(政権公約)を見ると、「平成17年に新憲法草案」(自民)、「論憲から創憲へ」(民主)、「論憲の立場で加憲も」(公明)、「22年までに新憲法制定」(保守新)、「護憲」(共産、社民)と、いずれも憲法に触れている。「論憲」「創憲」「加憲」も広い意味で「改憲」に含まれよう。しかし、その中身は環境権やプライバシー保護などを盛り込むべきだという無難な主張が多く、最も重要な問題を避けているように思われる。
 それは日本の戦争放棄を規定した九条の問題である。先の党首討論でも、自民党の小泉純一郎首相が「自衛隊は国を守る部隊として誰が見ても合憲という形にすべきだ」と述べただけで、本格論戦にはならなかった。
 近年、憲法問題に関する各種世論調査によれば、多くの国民が憲法改正を望んでいる。
 衆参両院に憲法調査会が設置された平成十二年、本紙とフジテレビが行った合同調査では、「憲法九条の改正を含めて議論すべきだ」49・2%、「九条改正は含めないで議論すべきだ」19・9%、「改正論議はすべきではない」11・8%だった。他紙の調査結果もだいたい、同じ傾向である。
 憲法九条が国際社会の有力な一員となった日本の現状との間で、きしみを生じ始めたのは、一九九一(平成三)年の湾岸戦争からだ。日本は応分の負担を要求されたが、当初、百三十億ドルを拠出したものの、すぐには自衛隊を戦後の平和維持部隊として出せず、やっとのことでペルシャ湾に機雷除去のための掃海艇を派遣した。九条が自衛隊の国際貢献のための海外派遣を明確に規定していないからである。
 その後も、カンボジアPKO(国連平和維持活動)、9・11米中枢同時テロ後のテロ対策特別措置法、イラク戦争後のイラク復興支援特別措置法などに伴う自衛隊派遣をめぐり、他の先進諸国では考えられない不毛な憲法論争がその度ごとに繰り返された。
 日本政府は今も、集団的自衛権について「国際法上は保有するが、憲法上は行使できない」とする解釈を変えていない。このため、自衛隊が海外に派遣されても、活動が制限される。イラクへ自衛隊が派遣され、隣の外国の部隊がテロリストに襲撃されても、ほとんど何もできない。
 同盟国の米軍が日本周辺で北朝鮮から攻撃を受けた場合も、自衛隊は応戦できない。「現行憲法下でも、首相が政府見解を変えればよい」という意見があり、そうすべきではあるが、国民に分かりやすくするためには、新憲法で自衛隊の役割を明記することが、より良い選択だろう。
 自衛隊は、個別的自衛権のみを認める政府の憲法解釈により、今まで存続を維持してきた側面も否定できない。以前は、憲法学者の間で自衛隊違憲論が主流だった。最近は、自衛隊の存在そのものを声高に否定する学者・文化人は少なくなった。日本の主権を侵害した北朝鮮による拉致事件が明らかになり、北の核の脅威が深刻化してきたことも、大きな要因である。
 国のありようをめぐっては、教育基本法の改正論議も無視できない。憲法と同様、今一つ、盛り上がりに欠けるが、自民、保守新党はマニフェストで「国を誇りに思う心」「公共の精神」「家庭」「道徳」などを重視する改正論を打ち出している。
 
≪教育基本法の見直しも≫
 憲法も教育基本法も国の根本法規である。大日本帝国憲法は明治二十二年、教育勅語はその翌年に発布された。戦後も、日本国憲法が昭和二十一年、教育基本法は翌年に公布された。
 新しい時代の国づくりのためには、憲法改正も教育基本法改正も、避けて通れない課題だ。いまだに、改正論は偏狭なナショナリズムに結びつくという短絡的な論調が一部マスコミにあるが、今の日本に求められているのは健全な国家意識である。改正に向け、各党の実りある議論を期待したい。


 
 
 
 
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