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1996/04/04 読売新聞朝刊
[明日への条件―日本総点検]第2部憲法再考(13)憲法学界(連載)
 
 一九九四年春、出版社の企画で「憲法の近未来」をテーマに行われた誌上討論は、「護憲派」といわれてきた学者たちの間の亀裂を浮かび上がらせた。
 江橋崇法政大教授(53)(憲法)は憲法の「構造疲労」を指摘し、山口二郎北海道大教授(37)(行政学)は、「憲法と自衛隊のギャップに歯止めをかける立法作業が必要だ」と主張した。
 両氏に対し、あくまで九条の平和主義に立つ学者は「護憲論を解体するものだ」などと批判を浴びせた。江橋氏らは「敵に門を開くものだ」と裏切り者扱いされ、山口氏は「議論がかみ合わない」とぼやく。
 憲法学界の最大の組織は四八年に発足した日本公法学会(会員数、千百人余)。わが国の憲法と行政学の学者をほぼ網羅し、うち六割が憲法学者だ。
 公法学会は政治的対立を持ち込まない原則のため、護憲派、改憲派はその後、それぞれ「全国憲法研究会(全国憲)」、「憲法学会」を作った。
 「憲法は民族の歴史の所産」とする憲法学会は五九年に結成され、会員は約百五十人。
 これに対し、六五年に結成された全国憲は規約第一条に「憲法を護(まも)る立場」を明記している。会員は四百人近く、江橋氏もメンバーの一人だ。
 発起人の顔ぶれは、大正から昭和一けた世代の戦中派。大半が学徒出陣など直接、戦争にかかわった体験を持つ。だが発足から三十年、社会は大きく変化した。
 発起人の一人、芦部信喜・東大名誉教授(72)は漏らす。
 「大学で自衛隊は『違憲』と教えても、学生が社会に出れば、世の中は『合憲』。『違憲』と言っても現実に自衛隊は存在する。むなしい思いもする」
 読売新聞の世論調査(九四年六月)では、自衛隊を合憲と考える人五三%は、違憲と考える人二二%を大きく上回る。その後、村山政権下で社会党が自衛隊合憲に政策転換したため、さらに自衛隊合憲が増えていると見られる。
 九四年秋、読売新聞の憲法改正試案が発表された直後、「護憲派」の長老格の学者の一人は「けしからん。無視しよう」と呼びかけた。
 「改正論議の土俵に上がることになるから、コメントするのはやめた方がよい。これに反した者は仲間と見なさない」と宣言した有力学者もいたという。
 憲法は、思想・良心・言論の自由を保障しているが、その憲法を守れと主張する学者たちが、自分の意見に合わない発言や考えを「敵」と呼んだり、「仲間外し」をすることもある。
 なぜ、もっと自由で、幅広い議論ができないのか。
 政治的な立場や学説の系譜と師弟の人間関係が重なり合う、学界独特の事情があるという見方もある。
 中堅憲法学者の一人は、「師の説に反論すればはじき出される。大学での教授ポストにも影響する。閉鎖的で『学問の不自由』だ」と苦笑する。
 芦部氏と同じ全国憲の発起人である阿部照哉・京大名誉教授(66)も海軍兵学校出身の戦中派。「若いころは護憲派だった」という阿部氏だが、「寸法が合わなくなったら、合わせていくのが理想。体がいびつに伸びているのに洋服が合わない。現実との乖離は九条だけでなく、憲法のほかの部分にも拡大していく」と、護憲派の現状に疑問を投げる。
 八〇年代以降、若手学者の関心は人権問題などに移り、「四十歳ぐらいまでの学者は『政治的な問題は関係ない』と考えているのではないか」(芹沢斉・前全国憲事務局長)という。
 「九条にしがみついている」(阿部氏)間に「分権、国際化、情報化など社会の構造の転換についていけない学界になってしまった」(江橋氏)のかもしれない。
 戦後五十年。時代の変化と新しい課題を前に、憲法も、そして憲法を研究する憲法学界も総点検を迫られている。
(政治部 上村武志)
(第2部おわり)
 
〈憲法改正〉
◇読売憲法改正試案一〇八条
 〈1〉この憲法の改正は、・・・各議院の在籍議員の三分の二以上の出席により、出席議員の過半数(現行憲法は総議員の三分の二以上)の賛成で議決し、…国民に提案してその承認を経なければならない。
 〈2〉前項の規定にかかわらず、(改正は)・・・各議院の在籍議員の三分の二以上の出席で、出席議員の三分の二以上の賛成で…成立する。


 
 
 
 
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