1994/11/03 読売新聞朝刊
[社説]実りある憲法論議を目指して
読売新聞社が、三年近くにわたり続けてきた憲法見直し作業が、一区切りといえる段階を迎えた。今日の紙面で公表した憲法改正試案は、その作業結果である。
わたしたちは、これまでも、日本のあるべき姿、進むべき道、そのための方策などについて、さまざまな主張、提言をしてきた。このたびの憲法改正試案の提示は、そうしたわたしたちの姿勢の延長である。
◆大きく変わった世界と日本
現行憲法が制定されてから、まもなく半世紀が過ぎようとしている。この間に、戦後の荒廃と貧窮にあえいでいた日本は、世界第二の経済大国へと変貌(へんぼう)した。一方、東西冷戦下にあった世界は、社会主義体制の自壊によって激変し、先行きの不透明な時代を迎えている。
こうした日本と世界の巨大な変化を踏まえ、二十一世紀に向けて日本はどうあるべきかという課題を、政治、経済、社会など全体にわたって考えるとき、国の基本となる憲法の在り方という問題から目をそむけるわけにはいかない。
日本ではこれまで、憲法改正論議といえば、とかく憲法第九条をめぐる自衛隊違憲・合憲問題に限定され、「戦争か平和か」といった形で過度に単純化されて、憲法改正論議自体がタブー視されてきた。
戦後のドイツが、憲法(基本法)の多様な分野にわたり、四十一回も改正を重ねているのをはじめ、世界各国の憲法改正の動向と比較すると、日本は、異様といってよいような状況にあった。
ところが、世界の激変と国内政治流動化の結果として村山連立政権が成立すると、社会党が、自衛隊違憲論から合憲論へと、憲法解釈を百八十度転換した。
社会党は、憲法改正論議をタブーとしてきた、いわゆる「護憲」運動の政治的中心勢力だった。しかし、その「護憲」とは、もっぱら、「親ソ反米」イデオロギーを背景とした憲法九条改正反対=自衛隊違憲論だった。
そうした歴史的政治・社会状況を考えると、社会党の政策転換によって、九条解釈を軸とした戦後日本の政治的対立構図が、基本的に解消されたといえる。
◆国際的な信頼感高めるために
やっと、日本でも、憲法改正問題を、「戦争か平和か」といった情緒的な次元を超えて、冷静に議論できる条件が整ってきたということだろう。
ただ、自衛隊をめぐる違憲・合憲問題が政治的には決着したとはいえ、現行憲法の第九条は、解釈の混乱を招きやすい表現になっていることも事実である。
読売憲法改正試案では、「自衛のための組織を持つことができる」という表現で自衛隊の位置づけを明確にするとともに、核兵器を含む無差別大量殺傷兵器の保有禁止、徴兵制の禁止などにより、軍事大国化への歯止めをも明確にした。
日本が再び国家主義、軍国主義に逆もどりするような可能性は、国民の歴史的体験、議会制民主政治の定着、産業社会の構造等からして、全くありえない。が、経済大国日本がこうした自己抑制を明確にすることは、国際社会における日本への信頼感を高めることにもつながるのではないか。
◆基本的人権の拡充も必要だ
一方、国際情勢の変化と日本の国力の増大に伴い、日本が国際社会から求められる役割と責任の内容も多様化してきた。試案で、新たに「国際協力」の章を立て、国際的活動への積極的な参加をうたったのも、こうした時代の要請にこたえようとしたものである。
憲法見直しの視点が、九条問題に限られるわけではないのは、いうまでもない。
現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という基本精神は、いずれも将来にわたって堅持しなくてはならない人類普遍の原理である。しかし、これらの原理を堅持していくには、時代の変化に沿って、国民がたえず点検し、磨きをかけ、かつ拡充していかなくてはならない。
たとえば、憲法制定当時には予想もつかなかったような工業化と開発の進展・拡大により、環境問題が人類的課題となっている。また、半世紀前とは比べものにならないような出版・映像文化の発展や、情報関連技術の発達、社会構造の複雑化に伴い、プライバシーをめぐる権利意識が世界的に高まってきた。
環境権やプライバシー保護などの新しい人権規定を憲法に明文化するのが、近年の世界の流れとなっている。
日本でも、環境権をはじめとする新しい人権の確立を目指す市民運動や政治運動がある。本来なら、そうした運動の中からこそ、より良い憲法を作ろうという提唱が出てきてもいいはずだ。改憲論議のタブー視が、人権運動の発展に限界を設ける結果になってしまっているのではないか。
◆幅広い視野の国民的論議を
憲法判断がらみの訴訟が、十年、二十年といった長期裁判化しがちなことも、一面では人権問題でもある。西欧諸国を中心に憲法裁判所を設ける国が増えていることなども、注目したい流れである。
読売憲法改正試案では、こうした課題についても、具体的な条文の形で検討結果を提示した。
この二、三年、憲法をめぐる国民意識に変化が表れ始めている。各種の世論調査で、憲法改正に賛成の意見の人が、反対意見を上回るようになってきた。また、読売新聞社の調査では、改正派、非改正派を超えて、全体の六五%が憲法論議を「望ましい」と答えている。
政界再編への動きに関連して、政治の世界でも、憲法問題への対応をどうすべきかということが、焦点の一つとなっている。だが、いぜん、安全保障問題だけにとらわれた議論に傾きがちのようだ。その結果として、憲法論議そのものを避けようとする姿勢も目立つ。政党も、もっと広い視野から憲法論議を進めるべきだろう。
もとより、わたしたちの試案が、完全なものだというつもりはない。試案についての疑問や欠陥の指摘は、大いに歓迎するところである。そうした指摘や批判を通じて、憲法をめぐる国民的論議が高まることこそ、わたしたちの願いである。
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