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1994/05/05 毎日新聞朝刊
[社説]安全保障 「日本核武装論」に反論する
 
 「日本核武装論」がかまびすしい。とくに米国からひんぴんと届いてくる。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核開発疑惑も、必ず日本の核開発に結びつけられて論じられる。
 米誌「フォーリン・アフェアーズ」の最近号の中でもリー・クアンユー前シンガポール首相は「もし日本が核武装を決定した場合、世界が彼らの決定を覆すのは無理だろう。米国は北朝鮮の行動すら阻止できないのだから」と語っていた。
 一月末、英紙が英国防省の秘密文書として日本の核開発の可能性を大々的に伝えたことがある。首をかしげたくなる内容だったが、米国はすぐに反応した。ペリー国防長官は米議会で「日本、韓国、台湾は、北朝鮮が核武装したとみれば、それぞれが核保有に向かう可能性がある」と証言。ナン上院軍事委員長も「日本は(核開発の)能力も技術も、プルトニウムも持っている」と述べた。
 北朝鮮の核爆弾保有→東アジアの不安定化→日本の核開発の正当性→日本の軍事大国化・・・これこそが米国の最大の懸念であることを、はしなくも証明した格好だ。
 どうして日本の核武装が、こうもしばしば米国で論議されるのだろうか。理由の一つは米タカ派の戦略上の必要からと考えられる。日本への警戒の目を光らせるべく、アジアでの軍事的プレゼンスを正当化させるために、である。そしていま一つは、意図的かどうかは知らないが、日本政府がこれにきちんと反論してこなかったからである。
 核武装には四つの段階が考えられる。ケース1は数発の原爆を持つ段階。ケース2は戦術核数百発を持つ段階。ケース3は戦略核も配備する段階。ケース4は米国に匹敵する核戦略体系を持つ段階、である。
 まずケース1。技術上の問題がまだ少し残るが、仮にクリアしたとして、いったいどこで実験するのか。砂漠の真ん中で実験したインドがその後ずっと残存プルトニウムに苦しめられた事実を挙げれば、国内では無理である。
 それより国際政治の反動は大きい。米国などはウランの燃料や技術の対日輸出を止めるだろうし、輸出済みのウランの返還も求めるだろう。たちまちエネルギー需要の切り詰めが迫られ、日本経済が大混乱に陥る。米国や周辺国の貿易制限も必至だ。それでいて数発の原爆では、自殺覚悟の国なら別にして、日本の防衛にほとんど役に立たない。
 ケース2は実験場が他国から借りられて、ウランが豊富に入手できるという非現実的条件が満たされるなら、あるいは十年以内に到達可能かもしれない。しかし安全保障上はもろく、最悪の選択である。ケース3は憲法改正で国論を統一し、耐乏生活を国民が覚悟するなら十年から二十年で実現しないとも限らない。しかしその間に米国などの軍事技術はさらに進んで、日本の核戦略は時代遅れのものになっているだろう。ケース4は検討するまでもない。
 日本はいま、潜在的核保有国でありながら非核国家を貫くことで、それなりの発言力を持っている。しかしいったん核実験をしてしまえば、もはや核保有国中、最も小さく、弱い国にすぎなくなるだろう。
 被爆国家として、核廃絶に指導力を発揮することこそ、日本の生きがいであることを国民は十二分に認識している。現実論としても理想論としても日本の核武装はあり得ぬことを、政府はもっと積極的に世界に発信すべきである。


 
 
 
 
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