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2003/05/03 朝日新聞朝刊
「戦争をさせない」の精神 憲法記念日に考える(社説)
 
グラウンド・ゼロ。
 01年9月11日のテロで破壊されたニューヨークの現場がそう呼ばれている。だが、本来の意味は「爆心地」。広島と長崎のほかでほとんど使われなかったこの言葉の復活は、事件の激しい衝撃度を物語る。
 そのグラウンド・ゼロが、米国を戦争に駆り立てた。アフガニスタン、そしてイラク。やられたらやり返せ。やられる前にやっつけろ。広島・長崎が平和主義の原点になったのとは対照的である。
 抜きんでた軍事力で「悪」を征伐しようとする米国。憲法で戦争放棄を打ち出した日本。二つの国がイラクで手を握った。
 
◇不幸な憲法の役回り
 激しい反対の説得に政治生命をかけたブレア英首相と比べれば、いともあっさり米国の支持を決めた小泉首相。日米同盟の重さを唱えつつ、心中には「英国のように参戦するわけではないから」という気軽さがあったに違いない。
 憲法がそれを許さない。アフガニスタン攻撃でしたような後方支援でも、今度ばかりは説明がつくまい。その点、口で「支持」を叫ぶだけなら・・・という気分である。もし「憲法の制約」がなかったら、首相は七転八倒したのではないか。
 「ジュンイチローは真の友だ」と、それでもブッシュ大統領はすこぶる喜んだ。
 不思議といえば不思議である。
 91年の湾岸戦争では日本が巨額の戦費を出したのに、自衛隊を出さなかったために「血を流さない国」と軽んじられた。
 01年のアフガニスタン攻撃では、給油のために自衛艦をインド洋に派遣。憲法の解釈を広げた判断を米国は歓迎した。
 ところが、イラク戦争では自衛隊を派遣もせず、戦費も出していないのに、満点に近い評価である。湾岸戦争がうそのようではないか。
 理由は思い当たる。湾岸戦争もアフガニスタン攻撃も国際社会から一致して支持されたのに、今度は「大義に欠ける」と強い反対論に囲まれた。日本の支持はその分だけありがたみを増したのだ。しかも「平和憲法の国」が、である。米政府はそう言って国連の多数派工作にも利用した。
 とすれば、憲法は身の不幸を嘆くしかあるまい。その精神からかけ離れた役割をさせられたからである。
 
◇誇れる日本の身ぎれいさ
 憲法の精神とは一体何だろう。
 前文には、日本国民が「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。第9条の「戦争放棄」は、これを受けてのことだ。
 まさか「日本だけは戦争はご免。よその国はご勝手に」という宣言ではあるまい。日本だけでなく、世界の平和もまた、可能な限り戦争によらずに追い求めたい。それが憲法の基本精神ではないのか。
 もちろん、理想主義だけで平和が訪れるわけではない。日本とて自衛隊を持ち、日米安保条約で憲法を補ってきた。
 だが、イラク戦争で問われたのは、これが本当に避けられない戦争なのかということだった。国連で多くの国が反対し「なお平和的な解決を探るべきだ」と求めたのだ。本来ならその知恵を突き詰めてこそ、平和憲法をもつ国だったはずである。
 イラクに関しては、欧米諸国に対して言うべき言葉もあった。「競ってイラクに兵器を売り込み、フセイン大統領を中東の厄介者に育て上げたのは誰なのか」と。
 かつてフランスはイラクの核開発を手伝い、米国とドイツは化学兵器用の材料を提供した。最大の兵器輸出国はロシアだった。これに比べ、自ら「非核」の道を選び、武器の輸出も自ら禁じている日本には、これが憲法の精神だと胸を張る資格がある。そういう実績と自己主張を重ねてこそ、日本の値打ちも発言力も上がる。
 
◇愚かな歴史を繰り返すな
 憲法の前文には次の文言もある。
 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」
 専制と隷従。圧迫と偏狭。軍国主義の苦い経験をもつ日本は、イラクにせよ北朝鮮にせよ、非人道的体制とどう向き合うかも忘れてはならないということだ。
 人権や民主主義のために、武力が必要とされる時もあるだろう。だが、人命を奪い合い、多くの人々の心身に癒やしがたい傷跡を残す戦争が、最後の最後の手段だということは疑う余地がない。
 いま、米英のイラク戦争は完全に正しかったと繰り返す新聞もある。迷いのなさは驚くばかりだが、彼らとて自衛隊の戦争派遣は主張しなかった。首相に似て、実は憲法に守られての言説ではなかったか。
 だが、北朝鮮に関しては「米国さん、どうぞ」ではすまない。ひたすら「毅然(きぜん)」だけを求める論調も盛んだが、毅然の先に戦争が待っていても構わないというのか。私たちは深く憂慮せざるを得ない。
 北朝鮮の今日には、戦前の日本が重なって見える。いまの米国には、日本を開戦に追い詰めたかつての米国が重なり合う。愚かな歴史を繰り返さないため、我々は憲法の精神をしたたかに発揮しなければならない。北朝鮮を説得する一方、米国には憲法を安売りしたイラクでの貸しを返してもらわねばなるまい。
 自ら「戦争をしない」だけでなく、どの国にも「戦争をさせない」。非力でも、面倒でも、その努力を尽くすこと。それが、いま重んじるべき憲法の精神である。


 
 
 
 
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