試合競技は二人の試合者が、定められた部位、面部(正面と左右の側面)小手部(左右)胴部(左右)脛部(左右の外ずねと内ずね)咽喉(のど)を確実に早く打突して勝負を競う競技です。なぎなたを振り上げ、持ちかえ、振り返し、繰り込み繰り出し等の操作をしながら、打突部位を打ったり突いたりします。敏速な動きの中から打突の機会を見いだし、全力をあげて技を競い合います。相手に対して、よい間合いからタイミングよく技を出す事が勝利に結びつきます。
 3本勝負が原則で試合時間内に有効打突を2本先取した方が勝ちとなります。ただし、所定の本数に達しない時は、1本先取りした方を勝ちとします。制限時間内に勝負が決しないときは、延長戦を行い、1本先取した方を勝ちとします。
 片足の全部が場外に出た時、倒れて体の一部が場外に出た時は場外反則になります。又なぎなたの柄部で相手の面を打ったり、なぎなたを落としたりした時も反則です。またこれらの反則を1試合中に2回重ねると相手に1本を与えます。
 演技の判定の基準となるものは、演技者双方の姿勢・服装・態度・発声、呼吸と気持ちが調和しているか、打突部位を正確に気魄に満ちた打突をしているか、残心・間合・手の内・着眼等理合に叶った技であるか、見る人に感動を与えたかなどの点です。
 このように、なぎなたは気・剣・体一致の技をめざして修錬が行われるので、活発な気合いに満ちた動きによって、苦しさに耐える旺盛な気力と集中力が養われます。それと共になぎなたは、礼に始まって礼に終わると言われるように相手を尊重し、信頼の上に立って対人競技を行う為に礼儀を重んじ、相手を尊ぶ心が自然に養われ優美な自然体が培われます。
 演技競技の審判方法は5名の審判員が赤・白の審判旗を持ち、厳正適格に演技者の充実した気勢と適法な姿勢による技の良否を見定めて判定し、過半数をもって勝敗を決定します。
| 昭和28年5月 | なぎなた連盟組織委員を作る。 | 
| 昭和29年4月 | 学校におけるなぎなた指導教材を作成するため作成委員8名を挙げてなぎなたの研究協議を続ける。 | 
| 昭和30年5月 | 全日本なぎなた連盟発足す。初代会長元侯爵山内禎子 | 
| 昭和30年7月 | なぎなた講習会開催について文部省後援願書提出。 | 
| 昭和31年7月 | 19回にわたり研究討議された第一案「学校なぎなた」出来上がる。これを添付して女子体育教材として審議方を清瀬一郎文部大臣に提出して陳情する。 | 
| 昭和32年4月 | 東京都に於て文部省関係官並びに体育審議員に先に提出した第一案「学校なぎなた」教材の実技を公開する。 | 
| 昭和33年10月 | 文部省体育局長清水康平殿に「なぎなた」を正課教材に決定方懇請書を提出する。 | 
| 昭和33年11月 | 文部省後援による「なぎなた」指導者講習会を全国4ブロックにわけて行なう。 | 
| 昭和34年5月3日 | 第4回より本連盟主催にてなぎなた選手権大会、第1回都道府県対抗なぎなた大会を行ない累年今日に及ぶ。 | 
| 昭和34年7月20日 | 文部省体育局長宛「学校なぎなた」実施について願書と共に改善経過報告書を提出す。 | 
| 昭和34年11月15日 | 日本体育協会津島寿一会長に協会加盟について申請する。 | 
| 昭和34年12月24日 | 文部省次官通達にて待望の学校における「なぎなた」の実施についての公報あり、中学校以上の学校にクラブ活動として復活す。 | 
| 昭和35年4月 | 文部省次官通達を機会として山内会長勇退。副会長小西静子昇進、会長となる。 | 
| 昭和35年7月 | 文部省共催によるなぎなた指導者講習会第1回を開催、今日に及ぶ。 | 
| 昭和37年8月 | 学校なぎなたの正しい普及のため第1回全国学生生徒なぎなた大会を本連盟主催にて開催。累年今日に及ぶ。 | 
| 昭和38年7月 | 第14回五大都市体育大会に協賛種目として出場、正課種目として参加方懇情する。(会場京都) | 
| 昭和39年5月 | 本連盟発足10周年記念式典を挙げ功労者21名を表彰す。 | 
| 昭和39年7月 | 第15回五大都市体育大会にオープンとして参加する。(会場大阪) | 
| 昭和40年7月 | 第16回五大都市体育大会に正課目として参加する。(会場神戸) | 
| 昭和40年11月〜昭和41年1月
 | 各都道府県連盟代表者が上京し「なぎなた正課教材採択についての請願書」を衆参議長に提出す。 | 
| 昭和41年2月 | 文体第79号「高等学校における弓道、レスリング、なぎなた等の実施について」の通達あり。 | 
| 昭和42年3月 | 文体第120号「高等学校における弓道、レスリング、なぎなた等の実施について」の通達により体育の時間に指導することが出来るようになった。 | 
| 昭和43年4月30日 | 委体第26号により財団法人全日本なぎなた連盟が認可され旧連盟は解散し現在に至る。 | 
| 昭和46年 | なぎなたを正しく普及発展させることを目的として第1回なぎなた演技大会を行ない累年今日に及ぶ。 | 
| 昭和48年11月5日 | 全日本なぎなた連盟の形作成委員会を設ける。 | 
| 昭和50年8月2、3日 | 創立20周年記念大会を神戸市に於て開催する。物故者の慰霊祭、並びに功労者の表彰を行なう。 | 
| 昭和52年5月23日 | 全日本なぎなた連盟の形4本完成する。 | 
| 昭和53年6月28日 | (財)財日本体育協会に加盟す。 | 
| 昭和53年8月8日 | 第1回全日本少年武道(なぎなた)錬成大会を武道館において開催。累年今日に及ぶ。 | 
| 昭和53年11月28日 | 財団法人日本体育協会加盟記念なぎなた大会を開催する。 | 
| 昭和54年4月〜 | 財団法人日本体育協会公認なぎなた競技上級コーチ養成講習会実施し、合格者36名 | 
| 昭和54年11月15日 | 全国高等学校体育連盟準加盟 | 
| 昭和55年4月 | 財団法人日本体育協会に国民体育大会正式参加を要請する。 | 
| 昭和55年4月〜 | 財団法人日本体育協会公認なぎなた競技コーチ要請講習会実施し、合格者11名 | 
| 昭和55年5月10・11日 | 創立25周年記念大会に米国なぎなた連盟チームを招待する。(会場熊本) | 
| 昭和55年9月 | 国民体育大会参加推進委員会結成する。 | 
| 昭和56年4月1日 | 公認審判員制度を設けその養成にあたる。 | 
| 昭和56年9月6日 | なぎなたの理念・指導方針作成さる。 | 
| 昭和57年8月17〜20日 | 昭和35年より実施されていた文部省共催によるなぎなた指導者講習会を、本年度東部会場(新潟県柏崎市)より学校体育なぎなた指導者講習会として実施する。 | 
| 昭和57年5月8・9日 | 第27回全日本なぎなた選手権体育大会・第24回都道府県対抗なぎなた大会を、第38回国民体育大会なぎなた競技リハーサル大会として、群馬県新町において実施する。 | 
| 昭和57年9月12・13日 | 第37回国民体育大会夏季大会に公開競技として参加する。 | 
| 昭和58年10月15〜18日 | 第38回国民体育大会秋季大会に正式種目として参加する。(会場群馬県新町) | 
| 昭和58年11月20〜23日 | 第1回なぎなた指導者研修会を開催する。(日本武道館共催) | 
| 昭和59年5月 | 財団法人日本体育協会公認なぎなた競技コーチ養成講習会実施する。合格者20名 | 
| 昭和59年12月7〜9日 | 第1回中堅指導者研修会を実施する。 | 
| 昭和60年5月25〜26日 | 第30回全日本なぎなた選手権大会・第26回都道府県対抗なぎなた大会を創立30周年記念大会として山梨県、下部町において開催する。 | 
| 昭和60年5月27日 | 東京都ホテルオークラにおいて30周年記念事業とし、物故者慰霊祭、松永光文部大臣を迎え、文部大臣からの感謝状の贈呈・功労者の表彰、引続き記念祝賀パーティを開催する。 | 
| 昭和60年8月 | 文部省関係、臨教審、衆参国会議員、各都道府県知事、教育委員会へ学校武道として「なぎなた」を正科教材に決定方、学習指導要領の改訂を陳情する。 | 
| 昭和63年8月6日 | 全日本学生なぎなた連盟発足。 | 
| 平成2年12月8日 | 国際なぎなた連盟発足。 | 
| 平成3年9月29日 | 小西静子逝去のため河盛敬子理事長となる。 | 
| 平成4年11月6日 | 全国高等学校体育連盟加盟 | 
| 平成5年5月20日 | 平成9年京都府で開催される全国高校総体(インターハイ)より参加が全国高校体育連盟の理事会で決定する。 | 
| 平成5年7月27日 | 第1回中学生なぎなた大会を開催する。(会場山形市) | 
| 平成5年10月2日 | 第6回全国健康福祉祭京都大会より参加する。 | 
| 平成6年4月 | 第1回なぎなた「形」研修会を開催する。 | 
| 平成6年6月 | 第1回男子なぎなた研修会を開催する。 | 
| 平成7年3月1日 | 皇后盃が全日本なぎなた選手権大会にご下賜決定。宮内庁において拝受。 | 
| 平成7年7月30日 | 国際なぎなた連盟と、(財)全日本なぎなた連盟との共催により第1回世界なぎなた選手権大会を、東京都の国立代々木競技場第2体育館にて開催する。 | 
| 平成7年9月 | 第1回中堅指導者養成講習会を開催する。 | 
| 平成7年12月9日 | 沖縄県かりゆしアーバン リゾートホテルにおいて40周年記念事業とし、文部大臣からの感謝状の贈呈・物故者慰霊祭・功労者表彰・感謝状贈呈、引続き記念祝賀パーティを開催する。 | 
| 平成7年12月10日 | 沖縄県立武道館に於いて皇后盃第40回全日本なぎなた選手権大会(創立40周年記念)を開催する。 | 
| 平成8年12月1日 | 日本武道館における皇后盃第41回全日本なぎなた選手権大会に皇后陛下の行啓を賜わる。 | 
| 平成9年8月2日〜4日 | インターハイになぎなた競技初参加・京都府木津町体育館に皇太子殿下・妃殿下の行啓を賜る。 | 
| 平成10年4月1日 | 審査員及び公認審判員資格更新のための研修義務制度発足。理事の70歳定年制実施 | 
| 平成11年4月4日 | 第2回世界なぎなた選手権大会をフランス・パリ・ジョルジュ・カルパンチェ体育館にて開催する。 | 
| 平成13年4月 | 財団法人日本体育協会公認なぎなた競技C級コーチ養成講習会を実施する。受講者22名 | 
| 平成13年12月1日 | 第1回全日本男子なぎなた選手権大会を東京武道館で開催する。これにともない、都道府県対抗なぎなた大会で実施していた個人競技男子の部を廃止する。 | 
| 平成14年4月1日 | 「全日本なぎなた連盟の形」から「全日本なぎなたの形」に名称変更する。 | 
| 平成14年8月15日〜17日 | 第1回全国高等学校・中学校なぎなた(部活動)指導者研修会を開催する。 |