スピリチュアル・ペインを支えるケア
癒しの支えとなるスピリチュアル・ケアというものは、ただ片思いのように思うだけではだめなのです。タッチをしなければなりません。ホスピスのエッセンスは、近代ホスピスの生みの親、シシリー・ソンダース医師のいわれたように“Being with the patient”ということなのです。これは逆にいえば「私の死を患者さんが代わりに死んでくれている」という理解のうちに死の経験をもつことです。
医療職にある人は、普通の人は経験しないことを実に多く経験する機会をもっています。これまで赤の他人であった人が、数日前に入院したときから、からだを裸にしてみなさんに助けを求めることなど、普通の意味での交際ではありえないことではないでしょうか。
旧約聖書にはヨブが140歳まで生きたという記事があります(ヨブ記42章16節)。私が88歳まで生きてきたことについても実にさまざまの長い経験を与えられてきたと思っておりますが、ヨブには私がまたさらに半世紀も長く生きつづけていかなければ経験できないほどのものが与えられていたのだと思うと、その長い豊かな人生に敬虔な思いを抱かされます。
よき看取りびとであるために
寿命というのはいのちの長さではありません。「寿」という文字には、生きても死なないこと、その人が死んでもまだ生きているという意味があるといいます。いのちというものが死んでも残るようにということを考えながら、その人の魂と同行するという思いをもってケアをしていくことがいちばん大切なのです。
癒しのケアというものは、三角形で現しますと、その一辺は「医学、原則、法則」、もう一辺は「テクノロジー」ですが、それをどのように病む人に適用するかというわざが第3の辺で、それを「アート」という言葉で表現したいと思います(図)。音楽でいえば、バッハやモーツァルトの素晴らしい音楽をどのようなテクニックで演奏するかというそのパフォーマンスが音楽の技であるのと同じです。看護のわざというものも、悩み苦しんでいる人にどのようにタッチをするかという、そのタッチの技なのです。病む人の魂を支えるためにはどのように行動するかというそのパフォーマンスは、自分が感性の高い人間になることによって、そして人の悩みや苦しみに共感できる人間になること。それが私たちのゴールでなければなりません。医療にかかわられるみなさんは、病む人を支えて医学や看護学を勉強すると同時に、患者さんの魂の支え手にならなくてはなりません。
図 癒しのケア
私たちにはこれまで不十分なことがたくさんありました。それを何とか欠けることのないものにするためには、チームでそれに当たることを考えなければなりません。そのためには医師の仕事、看護の仕事、介護の仕事と分けるのではなく、どうすればよいケアを協力して提供することができるのかという観点から、どのような自分の知識やテクノロジーや優しいこころによって患者に対する愛を具現していくべきかということを考えていかなければなりません。
チームにとっての目標はひとつでなければなりません。チームの一人一人が、登山家がザイルでつながって頂上を目指していくように、同じ方向を見て、山を登っていくことです。そうすることによってよいケアを与えることができるのだということを胸において、よい看取りびとになられることを期待します。
本誌は2000年2月22日開催された(財)ライフ・プランニング・センター主催のセミナー「スピリチュアル・ペインと向き合うケア」の3講師の講演に加筆してまとめたものです。
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