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藍工房からアメリカ留学へ
河崎綾(元アイコウボウ・アメリカ東京事務所担当)
 一九九七年、新職員の私は藍工房ハウスとアメリカ担当者となりました。藍工房アメリカは現地に長期の人材を置くことが難しくなっていて、潰すのか、援助を受けてもっと安定した経営をするのかの選択を迫られていたときでした。この藍工房アメリカがどちらに転ぶか揺れる中で、日本財団の補助金という話がでてきました。この補助金申請をする段階では竹ノ内さん、椿さん、そして日本財団の青柳さんの相談を受けつつも、申請書を裏付ける資料などを調べることは自分でやらなければならなかったので、このプロセスはとても勉強になり、私が大学院で勉強をはじめることへの刺激になったと思います。また実際に申請がおりた時には、うれしかったです。
 ただ、実際に申請に従って計画を進めていくのはもっと大変なことでした。労働ビザの件では当時の文部大臣秘書のジャスティン・ヒルさんにとてもお世話になりましたが、難航しました。そして何よりも一番苦労をかけたのはボランティアの方々でしょう。職員が常駐できない状況でボランティアの人たちには過剰な責任を負わせることが多くなりました。私も現場に住んだ経験がなく、東京から連絡をとるだけで彼・彼女たちの立場にたって考えることが充分できませんでした。藍工房アメリカ派遣に際しては契約をしてもらうことになっていますが、その契約もボランティアの方々の責任についてがほとんどで、藍工房アメリカの責任についてはあいまいになっていたと思います。
 またボランティアばかりでなく、職員をみてもオーバーワーク気味で、現場にいる者にいちばんしわ寄せがいっている構造をどうしたら変えられるのかと考えるようになりました。職員、ボランティアが燃え尽きるようではメンバーのためにもいい環境であるはずがないからです。もともと法学部出身だったこともあり、福祉政策についてもっと学びたいと思うようになりました。
 一方でなかなか労働ビザがとれないことから、学生ビザを取って勉強をしながら藍工房アメリカに住み、工房の手伝いをするという選択肢が出てきました。それを考える中でアメリカ留学というのが、とても魅力的になってきました。福祉に関する教育設備という点ではアメリカは日本より歴史も古く、先をいっていると思ったからです。藍工房アメリカの近くの大学と、ソーシャルワークで評価の高い大学に願書を出しました。結局は後者しか合格をもらえず、ここセントルイスのワシントン大学に入学することにしました。
 アメリカの大学院はやはり読書量も多く、藍工房とはまた違った大変さがありましたが、二年間が終わり無事修士を取得しました。ここで勉強する上でも藍工房での現場の経験は短いものではありましたが、貴重な経験でした。特に藍工房ハウスで一緒にけんかをしながらもご飯を食べた皆さんは一人一人が私にとってのヒロイン・ヒーローのような存在です。今は大学医学部の精神科で研究助手をしており、メンバーと直接かかわる仕事をすることは少ないのですが、仕事でのインタビューやボランティアなどを通して実際のメンバーの立場を理解することを忘れないよう心がけたいと思います。







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