日本財団 図書館


藍工房USAで興味心をくすぐられ
大森都也子(元藍工房職員)
 考えてみれば、バンクーバーの藍工房がなかったら、私が工房で働くことにはならなかったはずだと思うのです。世田谷区内、又は近辺に住んでいたわけでもなく、藍染めや福祉に興味があったわけでもなく、ただ本場の英語を学ぶために日本から来た一留学生だったのですから・・・。
 出会いの場所は、私が通っていたキリスト教会でした。ボランティアを募集中と聞き、気軽に訪れたバンクーバーの藍工房。作業風景や作品を見せていただいただけならば、そんな気は起こらなかったかもしれません。けれど、食欲旺盛な日本人留学生が母国料理をお腹いっぱいいただいてしまったら、「藍工房で働かないか」という言葉にフラフラとしてしまっても無理はありません。というのは半分冗談にしても、「藍工房に就職を決めた最大の理由は?」と聞かれたら、「何だかおもしろそうだったから」と答えるでしょう。
 しかし、内部の人間になれば裏も見えてしまうのが当然です。藍工房USAを利用する人の問題、現地で管理する人の問題、それを支える東京工房の問題と色々重なると、何のためにアメリカに分工房がなければならないのかと何度も話し合いがもたれました。そんな存続の危機を通りながらも、新しい場所まで与えられここまで来られたのも、関わる人々の「藍工房USAって何だかおもしろそう」という、ドキドキ、ワクワクに支えられてこそと言えるのではないでしょうか。
 ある科学者が、「頭が良い人よりも、興味心のある人の方が偉大な発見をすることがある」と言っていましたが、これは科学の分野だけでなく、全ての事について言えるのではと思います。多くの人々がAIKOBO USAに興味をもって、“偉大な発見”ができればと願っています。いつかは私も・・・。
 
竹ノ内さんと藍工房
貫井実佳(ボランティア)
 「あんな会は今までなかった。すごく悲しい」
 慣れないアメリカ生活でみんなストレスがたまりにたまって、とうとう爆発したミーティング。それぞれが不満を口に出し合い、それまで話をだまって聞いていた竹ノ内さんが涙をながしながら言った言葉でした。
 あんな会というのはメンバーの子とボランティアの誰かの誕生日会かなにかで、外のレストランで開いたパーティーのことでした。
 パーティーにはメンバー七人とボランティア七人ぐらい、それにあと数名の方々が参加し、総勢二十人とちょっとくらいの人たちが集まりました。お店に着くまでに車の故障などがあり、数時間かかってやっと到着したとき、みんなの緊張もとけたせいかボランティアの人たちはボランティア同士テーブルについておしゃべりをはじめてしまったのです。
 メンバーの子たちが竹ノ内さんのまわりにチョコンと座って食事をしているのが、私の視界にも入ってきました。でも、私たちはその時の車の故障(車がガタガタしはじめ、なんと炎上しはじめたのです)の話に興奮し、盛り上がっていたのです。
 そんな状態で終わった誕生会。このアメリカ生活でのボランティアの人たちの姿勢がいちばん表れた出来事でした。
 それぞれのボランティアの子たちの目的はけっして介護とかではなく、個々に別々にあったのは確かでした。そうゆう状態でみんなをまとめていた竹ノ内さんは、苦労の連続だったでしょう。
 アメリカの生活から数年たって、当時のみんなで同窓会&伊藤キクちゃん(今は工房のスタッフになっていますね)の結婚祝いをしたときは、みんなで昔話をしながらたのしいひと時を過ごすことができました。その時は、メンバーもボランティアも肩をくみながらみんなひとつになり、きっと竹ノ内さんはこういうものをあの時望んでいたにちがいないと思いました。
 いまは私にも娘がいて日々思うことは、日本の伝統的な文化にふれる機会がとてもとても少ないということです。みそ作り、藍染め、etc. 藍工房というところはメンバーの為だけではなく、私たち若い世代の者にとっても大切で貴重な場所なんじゃないでしょうか?海外に出たときに必要なことは自分を主張すること、そして日本というものを知ってもらうことではないかと思います。
 時には工房の所長として、ある時は友達のお母さんとして、高校生のときからずっと近いところで竹ノ内さんを見てきた私にとっては、竹ノ内さんはただの友達のお母さんという存在を超えています。いつまでもパワフルに頑張っている竹ノ内さんの姿は、後から生きていく私たち若い世代にとっては心強いものです。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION