(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年10月5日07時16分
新潟県佐渡島北方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第二十七福寿丸 |
総トン数 |
26トン |
全長 |
21.96メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
257キロワット |
3 事実の経過
第二十七福寿丸(以下「福寿丸」という。)は、昭和53年8月に進水した、かけ回し式沖合底曳き網漁業に従事するFRP製漁船で、甲板上のほぼ中央に機関室囲壁、その前部上方に操舵室が設けられ、同囲壁の船尾に賄室が隣接し、同囲壁の船首方が前部甲板及び船首楼、賄室の船尾方が後部甲板にそれぞれなっていて、両舷側及び船尾がブルワークで囲われていた。
ブルワークは、甲板からの高さが、両舷中央付近から船尾にかけて1.15メートルで、同中央付近から船首方に向かって次第に高くなって前部甲板前端で1.5メートルあり、両舷ブルワークのうち前部甲板から賄室付近にかけては、同ブルワークの上縁に高さ0.7メートルの鋼製スタンションを約1メートルの間隔で立て、頂部に海中転落防止用のロープが通されていた。
また、両舷ブルワークと機関室囲壁との間の甲板は、幅1.0メートルの通路になっていたところ、左舷通路は、敷板が敷き詰められており、その分通路が0.3メートル高くなっていたので、同通路からブルワーク上縁までの高さは、0.85メートルとなっていた。
漁労機械は、漁網の曳索用として、後部甲板にロープリール2台を船横方向に並列に設置し、ロープリールの船首方延長線上にあたる機関室囲壁頂部中央の両舷には、通路に突き出た状態のウインチドラム各1台を備えていた。
福寿丸は、例年9月1日から翌年6月末までの期間、新潟県佐渡島周辺海域で主に日帰り操業に従事し、漁場では、ワイヤ製曳索の先端に接合した浮標を投入し、片舷ロープリールの曳索、漁網及び反対舷ロープリールの曳索の順に繰り出しながら、菱形状に航走して浮標まで戻り、これを引き上げて約30分間曳網ののち、ウインチドラム及びロープリールを使用して船尾部から揚網し、1回の操業に約1時間かけてこれを繰り返していた。
船長W(昭和26年3月27日生、六級海技士(航海)(旧就業範囲)免状受有、受審人に指定されていたところ、平成13年1月30日死亡認定により、指定が取り消された。)は、福寿丸の就航以来船長として乗り組み、漁労長及び安全担当者を兼務して操業指揮にあたっていたもので、かけ回し式漁法が曳索を繰り出す際などには急変針をともなうため、船体が大きく傾斜して転落事故の危険があったが、乗組員が経験者ばかりなので大丈夫と思い、甲板作業に従事する乗組員に対して、作業用救命胴衣の着用を徹底するなどの安全措置を十分に取っていなかった。
福寿丸は、W船長、甲板員Hほか5人が乗り組み、操業の目的で、平成11年10月5日02時15分新潟港を発し、06時50分佐渡島北方沖合の漁場に至って操業を開始し、07時05分浮標を投入したのち、右舷ロープリールから曳索を繰り出しながら機関を9ノットの全速力前進にかけてかけ回しにかかった。
H甲板員は、合成繊維製の上着、合羽ズボン、安全帽、ゴム手袋及びゴム長靴を着用したが、作業用救命胴衣を着用せずに甲板作業に従事し、操舵室左舷の入口付近に置いていた補修網を片づけたのち、07時15分過ぎ同入口後方至近の機関室入口に立っていた機関長に見かけられたあと、左舷通路を後部甲板に向かって移動中、07時16分弾埼灯台から真方位017度16.7海里の地点において、右変針によって船体が大きく左傾斜したとき、賄室後部付近で身体のバランスを崩し、誰も気付く者がいないまま、ブルワーク越しに海中に転落した。
当時、天候は晴れで風力3の北東風が吹き、海上にはやや波があった。
W船長は、漁網及び曳索の繰り出しを続け、07時30分浮標の引上げ地点に近づいたところ、同引上げ作業担当のH甲板員が見当たらないことに気付いた乗組員から報告を受け、浮標を引き上げたうえ、曳索及び漁網を揚収しながら同甲板員を捜索するとともに、関係先に救援を依頼した。
福寿丸は、その後来援した僚船や海上保安部の巡視船とともに捜索を続けたが、H甲板員(昭和22年1月6日生)を発見することができず、同甲板員は行方不明となった。
(原因)
本件乗組員行方不明は、かけ回し式沖合底曳き網漁業に従事する漁船において、漁労作業をするに当たり、作業用救命胴衣を着用するなどの安全措置が不十分で、かけ回しのため右変針して船体が左傾斜した際、同救命胴衣を着用していなかった乗組員が、身体のバランスを崩してブルワーク越しに海中に転落したことによって発生したものである。
よって主文のとおり裁決する。