(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年1月25日22時56分
三重県四日市港南方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
押船第拾八久栄丸 |
はしけキュウエイ3000 |
総トン数 |
130トン |
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全長 |
30.01メートル |
82.50メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
2,206キロワット |
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3 事実の経過
第拾八久栄丸(以下「久栄丸」という。)は、専ら押船業務に従事する鋼製押船兼引船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか5人が乗り組み、船首3.1メートル船尾5.2メートルの喫水をもって、土砂4,300トンを積載して喫水が船首尾とも5.2メートルの等喫水となった無人の非自航型鋼製はしけキュウエイ3000(以下「はしけ」という。)の凹状船尾に船首部をかん合して油圧ピンで連結し、全長約104メートルの押船列(以下「久栄丸押船列」という。)を形成し、平成13年1月25日15時00分三重県南岸の吉津港を発し、同県四日市港南方沖合に向かった。
ところで、B指定海難関係人は、H興産株式会社社長の兄が経営するK建設株式会社所属の船員で、五級海技士(機関)の海技免状を有し、航海の海技免状を受有していないものの、以前父親が運航していた押船に乗り組んだ際、船長の父親から操船技術を習い、積地や揚地における押船被押はしけの係留作業など押船の操船に慣れていた。
H興産株式会社は、平成12年6月30日久栄丸を新造してはしけと連結し、土砂運搬業務を行うこととしたが、同社所属の乗組員が土砂運搬船の押船運航に慣れていなかったことから、K建設株式会社と相談のうえ、同船乗組員が作業に慣れるまでの間、B指定海難関係人を作業指揮者として同船に乗船させて乗組員の指導・監督をさせることとし、竣工数日前から同人を久栄丸に派遣していた。
久栄丸押船列は、竣工後しばらくの間瀬戸内海で土砂運搬業務に従事したのち、平成12年秋から伊勢湾の知多半島西岸沖合に建設される中部国際空港用埋立土砂を運搬することとなり、高知県や三重県南岸の土砂積地と同空港建設現場との往復航海に従事するようになった。
B指定海難関係人は、雇入れ手続きをしなかったものの、自らの判断で船橋当直と出入港操船などの業務に従事し、1月半ほど乗船したあと約1週間の陸上休暇をとって乗下船を繰り返していたところ、出航3日前に休暇を終えて乗船し、連日積地と空港建設現場との往復航海に従事していた。そして、出航前日は、土砂を積んで待機していた四日市港沖を14時00分に揚錨し、空港建設現場で21時30分まで揚荷作業を行い、22時10分再び四日市港沖に錨泊して翌朝05時00分に同錨地を発し、12時20分吉津港に入港したあと積荷作業に従事し、この間作業指揮のほか操船と船橋当直にあたったので同港を出航したときは少し疲労した状態であった。
一方、A受審人は、平成12年7月17日広島県安芸郡大柿町で乗船し、既に乗船していたB指定海難関係人が、船内作業を指揮し、航海の海技免状を持たないのに船長のように振る舞って出入港操船をするのを見て、会社が直接同人に職務内容を指示しているものと考え、船長と作業指揮者の職務分担について明確にしないまま、その後同人に出入港操船を任せて自ら操船指揮をとらず、船橋当直については、同人、一等航海士及び自らの3人でほぼ4時間交替の単独当直としていた。また、中部国際空港及び関連事業に従事する船舶の航行安全管理などにあたっている航行安全センターからの指示で、揚荷前後に伊勢湾内の指定海域に錨泊して一時待機することがしばしばあったが、投錨時の操船は、それほど困難ではなく危険も少ないので、そのときの船橋当直者が行い、残る非当直者2人のうちの1人が船首配置について投錨作業にあたることとしていた。
A受審人は、いつものようにB指定海難関係人が操船して吉津港を出航したあと、15時30分同港沖合で同人と交替して単独の船橋当直に就き、伊良湖水道に向け三重県南岸を東行した。
当直交替後B指定海難関係人は、16時ごろからいつものようにウイスキーの水割りをグラス数杯と缶ビール1缶を飲みながら夕食をとり、17時ごろから自室で休息した。そして、19時00分から船橋当直に就くことになっていたものの、夕食時に飲んだアルコールのため寝過ごして昇橋せず、たまたまそのことを知った一等航海士が、気をきかせて同人に代わり昇橋した。
A受審人は、交替時刻の19時になってもB指定海難関係人が昇橋せず、同人がそれまでにも寝過ごして当直時間に遅れたことが数回あり、夕食時に飲酒する習慣があることを知っていたので、このときも多分酒を飲んで寝ているものと思い、実質的に運航指揮をとっている同人に遠慮し、そのまま船橋当直を続けた。
そして、19時20分A受審人は、伊勢湾第1号灯浮標南南東方3.5海里のところを伊良湖水道南口に向け航行していたとき、昇橋した一等航海士から、B指定海難関係人が寝過ごして昇橋が遅れるので同航海士が当直に就くことを聞き、同航海士に当直を引き継ぐこととした。その際、同航海士がB指定海難関係人に代わって臨時に船橋当直に就いたため、その後いずれ寝過ごした同人と当直を交替することとなるが、同人が船内作業について乗組員の指導・監督にあたっていたので、居眠り運航の防止について強いて注意するまでもないと思い、同人との当直交替時に引き続き眠そうであれば当直を引き継がないで報告すること、及びたとえ当直を引き継いでも、当直中眠気を感じたら必ず船長に知らせるように指示するなどの居眠り運航の防止措置を十分にとることなく、同航海士に船橋当直を引き継ぎ、自室に降りて休息した。
19時25分B指定海難関係人は、伊勢湾第1号灯浮標南南東方2.4海里の地点で昇橋し、一等航海士と交替して単独の船橋当直に就き、その後伊良湖水道を通航して伊勢湾に入り、航行安全センターから指示があるまで四日市港南方で待機することとなっていた錨地に向け北上するうち、北西風が強まるとともに、雪まじりの雨のため視程が1海里前後となったので、予定錨地より少し手前の三重県千代崎港沖合に投錨することとし、このことをA受審人に報告しないまま、21時32分野間埼灯台から211度(真方位、以下同じ。)3.5海里の地点で、針路を322度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、8.6ノットの対地速力で進行した。
ところが、B指定海難関係人は、航行安全センターから送られた伊勢湾沿岸の漁業状況図などを見て、千代崎港沖には陸岸から約1.3海里沖までのり養殖施設が設置されていることを知っており、同施設の沖に投錨するつもりでGPSプロッタに表示された海岸地形を見て船位を確認しながら、操舵スタンド後方の椅子に腰掛けて見張りにあたるうち、22時00分野間埼西方4.5海里の地点に達したころ、周囲に他船を見かけなくなり、連日の土砂運搬作業による軽い疲労と夕食時に飲んだアルコールの影響もあって眠気を催すようになったが、1時間ほどで投錨地点に至り、その後ゆっくり休むことができるので、A受審人に知らせて昇橋を求めるなど居眠り運航の防止措置がとられないまま、眠気を我慢して椅子に腰掛けながら当直にあたるうち、いつしか居眠りに陥った。
こうして、久栄丸押船列は、のり養殖施設がある千代崎港沖合に向かって続航し、22時52分千代崎港南防波堤灯台から078度2.1海里の地点で、鈴鹿市漁業協同組合所属ののり養殖業者が管理するのり養殖施設まで1,000メートルに接近したものの、依然としてB指定海難関係人が居眠りをしていたので、速やかに減速して投錨する措置がとられないまま、さらに同施設に近づき、22時56分同灯台から063度1.9海里の地点において、原針路、原速力のまま、鈴鹿市下簑田地先ののり養殖施設に進入した。
B指定海難関係人は、依然椅子に腰掛けて居眠りを続け、のり養殖施設に進入したことに気付かず、22時57分投錨予定時刻になって昇橋した一等航海士に起こされて船橋前面の窓から前方を見たところ、みぞれが降る中に陸岸の明かりを認め、GPSやレーダーで船位を確認することも、同施設の周囲に約500メートル間隔で設置されていた白色点滅灯を確かめることもしないまま、直ちに投錨することとし、一等航海士をはしけの船首甲板に赴かせ、手動操舵に切り換えるとともに機関を停止し、次いで後進にかけてほぼ行きあしがなくなったとき、23時00分千代崎港南防波堤灯台から053度1.9海里の地点で、前示のり養殖施設内の水深約10メートルのところに、はしけの船首から左舷錨を投下し、錨鎖を約50メートル延出して錨泊した。
当時、天候はみぞれで風力5の北北西風が吹き、潮候は下げ潮の末期にあたり、視程は約2海里であった。
投錨時、自室で休息していたA受審人は、錨鎖が伸出する音で目が覚め、四日市港沖の予定錨地に錨泊したものと思って引き続き休息した。
一方、B指定海難関係人は、レーダーやGPSにより投錨地点を確認することも、錨泊したことをA受審人に報告することもせず、のり養殖施設内に投錨したことに気付かないまま、自室で休息した。
翌26日04時30分ごろA受審人は、のり養殖業者が船体を叩く音で目覚めた乗組員に起こされ、周囲を見てのり養殖施設内に投錨していることを知り、事後の措置にあたった。
その結果、久栄丸及びはしけには損傷がなく、のり養殖施設内に設置されたのり筏40台が損傷した。
(原因)
本件のり養殖施設損傷は、夜間、伊勢湾において、沿岸一帯にのり養殖施設が設置された三重県四日市港南方沖合の錨泊予定海域に向け航行中、居眠り運航の防止措置が不十分で、のり養殖施設内に進入したことによって発生したものである。
運航が適切でなかったのは、船長が、船橋当直者に対し、居眠り運航の防止措置について十分に指示しなかったことと、船橋当直者が船長に報告しないまま眠気を感じた状態で当直を続けたこととによるものである。
(受審人等の所為)
A受審人は、夜間、三重県吉津港から四日市港沖合の待機錨地に向け航行中、平素夕食時に飲酒する習慣のある次直のB指定海難関係人が当直交替時刻になっても昇橋せず、同指定海難関係人に代わって昇橋した一等航海士と交替して降橋する場合、同航海士に対して、その後同指定海難関係人と当直を交替する際に、同指定海難関係人が引き続き眠そうであれば船長に報告すること及び引き継ぐことになっても、眠気を感じたら必ず船長に知らせるように指示するなど居眠り運航の防止措置を十分にとるべき注意義務があった。しかるに、同人は、B指定海難関係人が乗組員の作業について指導・監督する立場にあったので、居眠り運航の防止について強いて注意するまでもない立場であると思い、同航海士に、同指定海難関係人との当直交替時における指示を与えるなどして居眠り運航の防止措置を十分にとらなかった職務上の過失により、船橋当直に就いた後眠気を感じた同指定海難関係人からその旨の報告が受けられず、同指定海難関係人が居眠りに陥ったまま進行し、千代崎港沖合ののり養殖施設の一部を損傷させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B指定海難関係人が、夜間、単独で船橋当直に従事し、沿岸一帯にのり養殖施設が設置された四日市港南方沖合の待機錨地に向け航行中、疲労と夕食時に飲んだアルコールの影響もあって眠気を感じた際、船長に報告しなかったことは本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、今後居眠り防止措置をとる旨の申立に徴し、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。