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平成14年門審第80号
件名

油送船第五若島丸漁船清漁丸衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年12月17日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(西村敏和、河本和夫、米原健一)

理事官
関 隆彰

受審人
A 職名:清漁丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
清漁丸・・・球状船首部が脱落、船首部に損傷
第五若島丸・・・左舷中央部に凹損及びハンドレールなどに曲損

原因
清漁丸・・・居眠り運航防止措置不十分

主文

 本件衝突は、清漁丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、錨泊中の第五若島丸を避けなかったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年6月6日05時00分
 宮崎県油津港

2 船舶の要目
船種船名 油送船第五若島丸 漁船清漁丸
総トン数 198トン 9.93トン
全長 49.30メートル  
登録長 45.12メートル 11.86メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 320キロワット

3 事実の経過
 第五若島丸は、専ら山口県岩国港の製油所から九州各地の給油所に重油を輸送する船尾船橋型の鋼製油送船で、船長K(四級海技士《航海》免状受有)ほか3人が乗り組み、A重油500キロリットルを積載し、船首2.3メートル船尾3.4メートルの喫水をもって、平成13年6月5日09時45分岩国港を発し、宮崎県油津港に向かった。
 K船長は、航海中の船橋当直を、自らと一等航海士が各4時間30分及び甲板長が3時間交替の単独3直制とし、自らが発航操船に続いて船橋当直に就き、一等航海士、甲板長の順で同当直に就け、瀬戸内海から豊後水道を南下して日向灘に至った。
 翌6日01時00分K船長は、一等航海士と船橋当直を交替して休息をとり、02時00分油津港入港まで約1時間となったところで再び昇橋して同航海士と交替し、自ら手動操舵に就いて操船に当たり、着岸予定時刻が08時00分であったことから、時間調整のため油津港内で錨泊することにし、裸碆灯台の南東方約650メートルを通過して油津港東口導灯の針路線に乗り、投錨用意を令して港内に向け西行した。
 K船長は、油津港東防波堤北側(内側)の狭い海域での錨泊を避けて、同防波堤の南側の海域で錨泊することにし、02時50分油津港東防波堤灯台(以下「東防波堤灯台」という。)から184度(真方位、以下同じ。)380メートルの地点において左舷錨を投じ、錨鎖を3節繰り出し、前後部のマストに錨泊中であることを示す白色全周灯各1個を表示したほか、他船に対して自船の存在及び錨泊していることを容易に認識させることができるよう、200ないし300ワットの作業灯を点灯して船首尾甲板及び前部甲板を照明し、船首が西南西風に立った状態で錨泊した。
 こうして、K船長は、自らはそのまま在橋して乗組員に休息をとらせ、04時の定時船内巡視を行い、船内及び錨泊の状態並びに各灯火などに異状のないことを確認し、周囲に航行する漁船などを認めなかったことから、一旦降橋して自室で待機していたところ、05時00分前示錨泊地点において、第五若島丸は、船首を247度に向けて錨泊していたとき、その左舷中央部に、清漁丸の船首が前方から57度の角度で衝突した。
 当時、天候は曇で風力2の西南西風が吹き、潮候は上げ潮の末期に当たり、視界は良好で、日出時刻は05時09分であった。
 K船長は、衝突の衝撃を感じて直ちに昇橋し、事後の措置に当たった。
 また、清漁丸は、まぐろはえなわ漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人ほか2人が乗り組み、操業の目的で、船首0.8メートル船尾2.0メートルの喫水をもって、同月3日02時00分油津港を発し、鹿児島県奄美大島西方約90海里の東シナ海の漁場に向かった。
 翌4日04時40分A受審人は、同漁場に到着して全長約70キロメートルに及ぶはえ縄を投縄し、12時00分から揚縄に取り掛かり、20時00分揚縄を終えたが、海水ポンプが不調であじの生き餌が死にかかっていたため、きはだまぐろの掛かりが良くなかったことから、一旦操業を切り上げて生き餌を補給することにし、同時30分同漁場を発進し、油津港に向けて帰途に就いた。
 A受審人は、船橋当直を自らと2人の甲板員による3時間交替の単独3直制とし、5日19時00分船橋当直を甲板員に引き継いで休息をとり、6日01時00分鹿児島県志布志湾口の火埼灯台に並航したころ再び船橋当直に就き、法定の灯火を表示して宮崎県都井岬沖合に向け北上し、04時00分日向野瀬灯標の南方約3海里の地点に差し掛かったとき、船橋当直を交替する時刻となったが、油津港入港まで1時間弱であるので、そのまま船橋当直を続けることにし、次直の当直者と船橋当直を交替せずに続航した。
 A受審人は、日向野瀬灯標の東方を通過して宮崎県大島の西方を北上し、04時41分目井津港南沖防波堤灯台(以下「沖防波堤灯台」という。)から178度1,500メートルの地点において、針路を010度に定め、機関を回転数毎分1,350の7.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、油津港に向け自動操舵によって進行した。
 A受審人は、操舵室左舷側で座いすに座り、背をもたせ掛けて船橋当直に当たり、目井津漁港の南沖防波堤東方をこれに沿って北上中、同防波堤の北端付近に差し掛かったとき、左舷前方から3隻の漁船が相次いで南下してきたので、これらに注意を払いながら続航し、04時48分少し過ぎ沖防波堤灯台から070度310メートルの地点において、3隻の漁船と順次左舷を対して通過し終え、視線を船首方に移したところ、正船首方に作業灯により甲板上を明るく照射した第五若島丸を視認し、同時49分わずか前3海里レンジとしたレーダーで正船首1.3海里のところに同船の映像を探知して、同船が油津港東防波堤の南側で錨泊していることを認めた。
 04時50分少し過ぎA受審人は、東防波堤灯台から189度2,500メートルの地点に達したとき、座いすに座ったまま長時間船橋当直を続けたことに加え、第五若島丸のほかには他船を認めなかったことと、間もなく油津港に入港できることとの安堵感から眠気を催すようになったが、あと約5分で鍋島碆に並航して港内に入り、乗組員を入港配置に就けることにしているので、それまでは眠気を我慢できるものと思い、休息中の乗組員を起こして船橋当直を交替するなど、居眠り運航の防止措置をとらずに、座いすに座ったまま船橋当直を続けていたところ、間もなく居眠りに陥った。
 04時55分少し過ぎA受審人は、東防波堤灯台から188度1,430メートルの、鍋島碆に並航して乗組員を入港配置に就ける地点に至ったが、居眠りしていてこのことに気付かず、そのころ、日出直前で周囲が少し明るくなって、第五若島丸の灯火はもとより、同船の船体が視認できる状況のもと、錨泊中の第五若島丸が正船首1,050メートルとなり、その後も同船に向首したまま衝突のおそれのある態勢で接近していたが、このことにも気付かず、同船を避けることなく進行した。
 こうして、A受審人は、居眠りしたまま続航し、04時58分東防波堤灯台から187度810メートルの地点に達して、第五若島丸まで430メートルのところに接近したが、依然として同船を避けることなく進行中、清漁丸は、原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。
 A受審人は、衝突の衝撃で目が覚め、事後の措置に当たった。
 衝突の結果、第五若島丸は、左舷中央部に凹損及びハンドレールなどに曲損を、清漁丸は、球状船首部が脱落するなど船首部に損傷をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
 本件衝突は、夜間、宮崎県油津港において、入港する清漁丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、錨泊灯を表示したほか、作業灯により各甲板を照明して錨泊中の第五若島丸を避けなかったことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、宮崎県油津港に入港するに当たり、前路で錨泊中の第五若島丸を認めて航行中、眠気を催した場合、休息中の乗組員を起こして船橋当直を交替するなど、居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、あと約5分で乗組員を入港配置に就けるので、それまでは眠気を我慢できるものと思い、居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、座いすに座ったまま船橋当直を続けて居眠りに陥り、錨泊中の第五若島丸に向首したまま、同船を避けることなく進行して衝突を招き、清漁丸の球状船首部が脱落するなどの損傷を、第五若島丸の左舷中央部に凹損及びハンドレールなどに曲損をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して、同受審人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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