(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年1月12日09時43分
大王埼南南西方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船孝美丸 |
貨物船ティンドゥフォン |
総トン数 |
4.27トン |
2,075.00トン |
全長 |
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88.60メートル |
登録長 |
10.65メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
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2,190キロワット |
漁船法馬力数 |
70 |
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3 事実の経過
孝美丸は、一本つり漁業に従事するFRP製漁船で、船長Nが1人で乗り組み、くろむつ漁の目的で、喫水不詳のまま、平成14年1月12日06時10分三重県和具漁港を発し、同県大王埼南南西方沖合約9海里の漁場に向かった。
07時00分N船長は、水深約300メートルの前示漁場に至り、船体後部に設けた操舵室に汽笛を格納したまま、船尾甲板上の高さ5メートルのスパンカマストに、縦4メートル底辺2メートルの台形状の緑色スパンカを掲げ、左舷船尾舷縁に腰掛け、主機及び操舵を遠隔操作として船首が風上に立つよう操船に当たり、同漁場に先着した甚生丸(総トン数1.7トン、船長H、四級小型船舶操縦士免状受有)及び同時10分に到着した佐吉丸(総トン数2.75トン、船長C、一級小型船舶操縦士免状受有)の2隻の僚船とともに、操舵室のスピーカーから聞こえる船間連絡を聞きながら、サンマの切り身を餌とした釣針12本を縦に取り付けた幹縄を海底まで降ろし、1回の巻揚げに約10分間を要する手動の巻揚げローラーを使用して操業を始めた。
09時26分N船長は、大王埼灯台から195.5度(真方位、以下同じ。)9.3海里の地点で、針路を338度に定め、機関を微速力前進にかけ、船首が風で左右に振られれば、右手で機関と操舵の遠隔操作によって修正に当たり、前示両僚船との船間距離を約150メートルないし200メートルに保ち、左手に海底まで降ろした幹縄を持って魚のあたりを見るとともに、時々周囲を見回して見張りを行いながら、1.4ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
定針時にN船長は、右舷船首65度3.3海里のところに、船首を南西方に向けて自船に接近するティン ドゥ フォン(天都峰、以下「天都峰」という。)を認めたが、まだ遠かったので気にもとめず、一番北側に位置した甚生丸の左舷船尾方約150メートルに佐吉丸、右舷船尾方同距離に孝美丸がおり、佐吉丸と孝美丸とが約200メートル離れた位置関係で操業を続けた。
09時37分N船長は、大王埼灯台から196.5度9.1海里の地点に至り、天都峰が右舷船首69度1.1海里に接近したとき、同船の方位がわずかに後方に替わっているものの、依然、自船に向かって接近していることを認め、同船と著しく接近することを避けるため、潮上りを兼ねて移動することとし、同じ針路、速力で続航しながら、幹縄の巻揚げを開始した。
09時41分N船長は、大王埼灯台から197度9.0海里の地点に達したとき、天都峰が右舷正横後2度670メートルのところに接近し、同船がこのまま進行すれば、自船の後方約380メートルを無難に航過する状況であったが、その後自船及び2隻の僚船の前路に向けて針路を大きく右に転じた天都峰を見た城山船長から「貨物船が接近しているから気をつけろ。」と無線により連絡を受けたものの、幹縄を巻き揚げていてマイクを持つことができず、同船長に応答しないまま同縄の巻揚げを続けた。
09時42分半N船長は、大王埼灯台から197度9.0海里の地点で、他船から見れば、船首をわずかに左右に振っているものの、短時間ではほとんど停留しているように見える状態の微速力で進行していたとき、前路を無難に航過する態勢の天都峰が、右舷船首65度190メートルのところで急に左転し、自船に対して新たな衝突のおそれを生じさせたが、幹縄の巻揚げを済ますことに気を取られ、このことに気づかず、直ちに機関を全速力前進にかけるなど同船との衝突を避けるための措置をとらないまま、幹縄の巻揚げを続行中、09時43分大王埼灯台から197度9.0海里の地点において、孝美丸は、原針路、原速力のまま、船体中央やや後部右舷側に、天都峰の船首が前方から69度の角度で衝突して乗り切った。
当時、天候は晴で風力3の北北西風が吹き、潮候は下げ潮の末期にあたり、視界は良好であった。
衝突を目撃したC及びH両船長は、直ちに衝突地点に赴くとともに、無線により付近の僚船に連絡して事後の措置に当たった。
また、天都峰は、船尾船橋型の鋼製ケミカルタンカーで、船長R(R、以下「R船長」という。)及び三等航海士W(W、以下「W航海士」という。)ほか中華人民共和国人14人が乗り組み、メチルエチルケトンなど塩化ビニル原料の化学薬品2,978トンを積載し、船首5.30メートル船尾5.70メートルの喫水をもって、同月11日06時10分千葉港を発し、同共和国福州港に向かった。
W航海士は、翌12日08時00分甲板員1人とともに昇橋して船橋当直を引き継ぎ、09時00分大王埼灯台から133度4.6海里の地点で、レーダーにより船位を求めて航海日誌に記載するとともに、針路を227度に定め、機関を全速力前進にかけ、11.3ノットの速力で、自動操舵によって進行した。
09時26分W航海士は、大王埼灯台から180度6.4海里の地点に差し掛かったとき、左舷船首方3.4海里付近に数隻の漁船を初めて認め、平素からR船長に漁船群には接近しないよう指示を受けていたことから、その動静を確認して避航動作をとることとし、操舵室前面で双眼鏡を使用して監視に当たっていたところ、極微速力で北方に向けて移動している3隻の漁船(以下「漁船群」という。)を認め、引き続き漁船群の動静監視を行いながら続航した。
09時35分W航海士は、大王埼灯台から190.5度7.8海里の地点に至ったとき、レーダーによって船位を確認するとともに、漁船群との接近状況を確認したところ、同時36分同灯台から191.5度8.0海里の地点で、漁船群のうち一番近いところにいた孝美丸を左舷船首1度1.3海里に認めるとともに、他の2隻も正船首わずか左に認めたので、漁船群を右方に替わすこととし、レーダーから離れて再び操舵室前面に移動した。
09時37分W航海士は、大王埼灯台から192.5度8.2海里の地点に達し、孝美丸が正船首1.1海里に接近したとき、甲板員を手動操舵に就かせて左舵10度を令し、針路を223度に転じ、引き続き同人を操舵に当たらせ、漁船群を正船首わずか右に見ながら、同じ速力で進行した。
09時41分W航海士は、大王埼灯台から195度8.8海里の地点に差し掛かり、孝美丸が右舷船首27度670メートルに接近したとき、このまま進行すれば、同船を自船の右方に約380メートル離して無難に航過する状況であったが、漁船群のうち2隻の船首が左右に振れているのを見て、それぞれ反転して南下を始めたものと思い込み、慌てて甲板員に右舵25度を令し、針路を265度に転じ、その後正船首わずか左に認めた漁船群の一番北側に位置していた甚生丸との船間距離を確認することに気を取られ、他の2隻についての動静監視を十分に行わないまま、同じ速力で続航した。
09時42分半W航海士は、大王埼灯台から196.5度8.9海里の地点に達したとき、孝美丸が左舷船首42度190メートルのところにおり、このまま進行すれば、一番北側に位置していた甚生丸を左方に約100メートル離して漁船群の前路を無難に航過する状況であったが、前路に数個の漁業用浮子及び他の漁船群を認め、慌てて甲板員に左舵25度を令し、針路を227度に転じたところ、孝美丸に向首することになり、同船に対して新たな衝突のおそれを生じさせたが、孝美丸に対する動静監視不十分で、このことに気づかず、甚生丸を右舷船首方に見ながら進行中、天都峰は、同針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突後R船長は、W航海士から衝突した旨の報告を受けて直ちに昇橋し、事後の措置に当たった。
衝突の結果、孝美丸は船体中央やや後部で前後に分断され、付近で操業中の漁船によって和具漁港に引きつけられたが、のち廃船とされ、天都峰は船首部水線の上部及び下部に擦過傷を生じた。また、N船長(昭和4年1月1日生、一級小型船舶操縦士免状受有)が、右顔面打撲傷を負い、孝美丸の船体が分断されると同時に海中に投げ出され、同漁船に救助されたが溺水吸引による窒息で死亡した。
(原因)
本件衝突は、大王埼南南西方沖合において、漁船群を避航しながら西行中の天都峰の進路と、操業しながら微速で北上中の孝美丸との進路が交差する際、天都峰が、動静監視不十分で、無難に航過する態勢の孝美丸に対し、転針して新たな衝突のおそれを生じさせたことによって発生したが、孝美丸が、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
よって主文のとおり裁決する。