(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年4月19日14時41分
長崎県相浦港
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船博幸丸 |
漁船とく丸 |
総トン数 |
4.9トン |
1.3トン |
登録長 |
11.66メートル |
7.34メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
90 |
25 |
3 事実の経過
博幸丸は、一本釣り漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人が1人で乗り組み、前日取り付けた無線電話を調整する目的で、船首0.4メートル船尾1.0メートルの喫水をもって、平成14年4月19日14時26分長崎県高島漁港を発し、同県相浦港に向かった。
ところで、博幸丸は、操舵室のいすに腰をかけて半速力を超える速力で航行すると船首が水平線を越えて浮上し、前方に両舷で10度ばかりの死角が生じる状況にあり、小型の船舶はその死角に入って視認できなくなるおそれがあった。
A受審人は、発航後間もなく機関を18ノットの全速力前進にかけ、ときおり操舵室の天井から上半身を出して死角を補う見張りを行いながら東行し、14時34分少し過ぎ相浦港に至り、同時38分ころ機関を半速力前進に減じたが、速力を十分に減じて安全な速力とすることなく、12.5ノットの対地速力で操舵室のいすに腰をかけ、矢坪島、焼島及び鶴子島に挟まれた狭い水路を航過し、同時40分少し過ぎ相浦港1号防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)から038度(真方位、以下同じ。)1,280メートルの地点に達したとき、針路を064度に定め、手動操舵で進行した。
A受審人は、定針して間もなく、右舷船首2点300メートルばかりのところに高島、相浦間を海上タクシーとして稼働している地元の交通船(以下「第三船」という。)が左転しながら出航するのを認め、14時40分半第三船の右方5度ばかりの右舷船首31度270メートルのところに同船に後続するとく丸を視認できる状況にあったが、見張りを十分に行うことなく、第三船が岸壁寄りを航行する態勢であり、岸壁には数隻の停泊船がいたことから、これと右舷対右舷で航過することとし、同船に留意していたのでとく丸に気付かず、原針路のまま続航した。
14時40分半少し過ぎA受審人は、第三船を180メートルばかりに見る態勢となったとき、とく丸が第三船との見通し線に入って、これを視認できない状況となり、そして第三船が岸壁から20メートルばかり離し、これに沿う針路としたのを認め、同船と15メートルばかりの船間距離が保持できるほぼ反方位の080度に転針した。
ところでA受審人は、間もなく多数の船舶が係留し、それらが出入航する狭い水域の相浦港奥に至るのであるから、十分な見張りを行う必要があり、死角を補うために船首を振ると他船との危険が生じるおそれがあったので、速力を十分に減少し死角を補って航行すべき状況にあった。
転針直後A受審人は、とく丸が第三船の右舷方に出て、徐々に左転し90メートルばかりに接近したとき、自船に向首する態勢となり、衝突の危険が生じたが、依然として安全な速力とすることなく高速力のまま進行し、同船が死角に入っていて、このことに気付かず、衝突を避けるための措置がとれずに続航し、第三船と右舷を対して航過して間もなく、14時41分防波堤灯台から045度1,550メートルの地点において、原針路、原速力のまま、博幸丸の右舷船首がとく丸の右舷後部に前方から小角度で衝突した。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は下げ潮の中央期であった。
A受審人は、衝撃音で衝突に気付き、直ちに現場に引き返し、事後の措置に当たった。
また、とく丸は、刺網漁業に従事するFRP製漁船で、船長Iが1人で乗り組み、船首0.1メートル船尾0.2メートルの喫水をもって、同日13時00分長崎県浅子漁港を出航し、相浦漁業協同組合前の岸壁に至って間もなく所用を終え、14時39分半相浦港同岸壁を発し、浅子漁港に向かった。
ところで、とく丸は、喫水線上から舷縁上端までが0.6メートルばかりで、その右舷前部には刺網の巻き上げ機が取り付けられており、後部には高さ1.3メートルばかりのスタンド式の操縦台と高さ3メートルばかりのマストが設置されていたが、5トンばかりの船舶のすぐ後方を航行したときは、前方から来航する他船にとっては視認し難い状況にあった。
I船長は、操縦台について後進で離岸したのち回頭し、14時40分少し前防波堤灯台から053度1,640メートルの地点で機関を6.0ノットの微速力前進にかけ、針路を岸壁に沿う304度に定めて進行した。
I船長は、定針したころ前方100メートルばかりに第三船が離岸して回頭しているのを認め、同船の後方を航行することとし、ほぼ同速力であったことから同船を40メートルばかりの間隔で追尾していたところ、14時40分半少し前第三船が左転を始めたので、これと少し横の間隔をとるつもりで、少し遅れて転針することとしたが、博幸丸を外す針路とすることなく、同時40分半少し過ぎゆっくりと左転して西方に向首し、第三船の右舷方15メートルばかりに開く態勢としたとき、90メートルばかりに接近した博幸丸に向首する針路として衝突の危険が生じたが、直ちに衝突を避けるための措置をとらず、同時41分直前左舵をとったとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、博幸丸は、右舷船首外板に擦過傷を生じ、とく丸は、右舷後部外板に破口を生じるとともに相手船に押圧されて転覆し、のち廃船とされ、I船長(昭和2年4月8日生、一級小型船舶操縦士免状受有)が溺死するに至った。
(原因)
本件衝突は、長崎県相浦港において、博幸丸が、安全な速力で航行しなかったばかりか、見張り不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことと、とく丸が、転じた針路が適切でなかったばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったこととによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、高速力で航走すると死角が生じる博幸丸で出入航船の多い相浦港港奥を航行する場合、死角を補うため船首を振ると他船との危険が生じるおそれがあったから、見張りが十分にできるよう、減速して安全な速力で航行すべき注意義務があった。しかるに、同人は、減速することなく死角が生じる速力で航行した職務上の過失により、とく丸に気付かず、同船との衝突を招き、博幸丸の右舷船首外板に擦過傷を生じさせ、とく丸の右舷後部外板に破口を生じさせ、そして同船を転覆させてI船長を溺死させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。