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平成14年那審第20号
件名

貨物船第八住徳丸貨物船ニッセイ マル衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年10月8日

審判庁区分
門司地方海難審判庁那覇支部(金城隆支、坂爪 靖、平井 透)

理事官
平良玄栄

指定海難関係人
A 職名:第八住徳丸機関長

損害
住徳丸・・・右舷側中央部に大破口、転覆、のち沈没
一等航海士が遺体で発見、船長及び甲板長が行方不明
ニ 号・・・船首外板に大破口と凹損

原因
住徳丸・・・狭視界時の航法(信号、レーダー、速力)不遵守
ニ 号・・・狭視界時の航法(信号、レーダー、速力)不遵守

主文

 本件衝突は、第八住徳丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、ニッセイ マルが、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年6月29日05時50分
 静岡県石廊埼東方沖合

2 船舶の要目
船種船名 貨物船第八住徳丸 貨物船ニッセイマル
総トン数 499トン  
国際総トン数   1,258トン
全長 74.993メートル 73.350メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 1,450キロワット

3 事実の経過
 第八住徳丸(以下「住徳丸」という。)は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、船長M、A指定海難関係人、一等航海士C、一等機関士N及び甲板長Yの5人が乗り組み、鉱滓1,600トンを積載し、船首3.6メートル船尾4.6メートルの喫水をもって、平成13年6月28日16時00分茨城県鹿島港を発し、山口県徳山下松港に向かった。
 住徳丸の船橋当直は、00時から04時までと12時から16時までを甲板長、04時から08時までと16時から20時までO一等航海士及び08時から12時までと20時から24時までを船長でそれぞれ行う3直制としていた。また、同船の機関当直は、00時から06時までと12時から18時までを一等機関士及び06時から12時までと18時から24時までを機関長でそれぞれ行う2直制としていたが、機関長及び一等機関士が船橋当直を行うことはなかった。
 翌29日05時35分少し過ぎ住徳丸は、神子元島灯台から057度(真方位、以下同じ。)7.6海里の地点に達したとき、レーダーで正船首4.0海里のところにニッセイ マル(以下「ニ号」という。)の映像を認めたが、そのときすでに霧により視界が制限された状態となっていたものの、安全な速力に減じず、220度の針路で、機関を全速力前進にかけ、10.5ノットの対地速力で、霧中信号を行わないまま進行した。
 住徳丸は、05時39分少し前神子元島灯台から058度7.0海里の地点で、正船首3.0海里のところにニ号の映像を認め、針路を205度に転じ、同時42分少し過ぎ、ニ号との距離が2.0海里となり、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを停止せずに続航した。
 住徳丸は、05時50分少し前左舵をとったが及ばず、05時50分神子元島灯台から069度5.4海里の地点において、船首が180度に向いたとき、その右舷側中央部に、ニ号の船首が直角に衝突した。
 A指定海難関係人は、これより先05時30分に目覚め、衝撃を感じて着替えをしたのち昇橋して衝突したことを知った直後、船橋内右舷側に立っていたM船長が「駄目だ。」と言ったのを聞いた。A指定海難関係人は、直ちにボートデッキに下りたが、数秒後住徳丸は転覆し、海中に投げ出された。
 当時、天候は霧で風力3の南西風が吹き、視程は100メートルであった。
 また、ニ号は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、船長R及び一等航海士Oほか8人が乗り組み、空倉のまま、船首1.5メートル船尾3.5メートルの喫水をもって、6月27日12時10分岡山県片上港を発し、千葉港に向かった。
 翌々29日04時00分O一等航海士は、石廊埼西南西方沖で船橋当直に就き、甲板手を見張りに当たらせ、機関を全速力前進にかけて16.5ノットの対地速力で、自動操舵により進行した。
 05時00分O一等航海士は、神子元島灯台から154度2.5海里の地点に達したとき、針路を040度に定めたところ、折からの霧により視程が900メートルに狭められ、視界が制限された状態となったことを認めたが、このことを船長に報告せず、甲板手に命じて操舵を手動に切換え、機関を微速力前進に減じ、7.4ノットの対地速力で、霧中信号を行わないまま続航した。
 05時35分少し過ぎO一等航海士は、神子元島灯台から075度3.9海里の地点で、4海里レンジとしたレーダーで、正船首4.0海里のところに住徳丸の映像を初めて探知した。
 05時39分少し前O一等航海士は、神子元島灯台から072度4.3海里の地点で、正船首3.0海里のところに住徳丸の映像を認め、自船が右転すれば互いに左舷を対して航過できるものと思い、右舵5度を令し、住徳丸の映像を左舷船首方に見るようになったので舵中央を令し、わずかに右転を続けながら進行しているうち、濃霧となり視程が100メートルに狭められた。
 05時42分少し過ぎO一等航海士は、住徳丸が2.0海里に接近したとき、同船の映像が船首輝線に近づいていることを知ったが、レーダーによる動静監視を十分に行わなかったので、同船と著しく接近することを避けることができない状況であったことに気付かず、依然、自船が右転すれば住徳丸と左舷を対して無難に航過できるものと思い、右舵15度を令したものの、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを停止せずに続航した。
 05時46分O一等航海士は、住徳丸の映像の方位が変らないまま接近したのを認め、機関を停止し、右舵20度を令して回頭中、ニ号は、船首が090度に向いたとき、4.0ノットの速力で前示のとおり衝突した。
 R船長は、衝突の衝撃で目を覚まし、直ちに昇橋して事後の措置に当たった。
 衝突の結果、住徳丸は、右舷側中央部に大破口を生じて貨物倉に浸水し、右舷側に大傾斜して転覆し、のち沈没した。
 海中に投げ出されたA指定海難関係人とN一等機関士は、ニ号に救助されたが、C一等航海士(昭和25年8月7日生、四級海技士(航海)免状受有)は、船橋内で遺体で発見され、M船長(昭和23年4月4日生、五級海技士(航海)免状受有)及びY甲板長(昭和13年9月3日生)は行方不明となった。
 ニ号は、船首外板に大破口と凹損を生じたが、のち修理された。

(原因)
 本件衝突は、霧のため視界が制限された静岡県石廊埼東方沖合において、南西進する住徳丸が、霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもしなかったばかりか、前路に探知したニ号と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを停止しなかったことと、北東進するニ号が、霧中信号を行わず、レーダーによる動静監視が不十分で、前路に探知した住徳丸と著しく接近することを避けることができない状況となったとき、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを停止しなかったこととによって発生したものである。

(指定海難関係人の所為)
 A指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図





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