(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年7月4日05時25分
相模灘
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船大寶丸 |
油送船ブエナグラシア |
総トン数 |
368トン |
2,096.00トン |
全長 |
55.328メートル |
86.50メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
2,405キロワット |
3 事実の経過
大寶丸は、シリング ラダーを装備し、専ら茨城県鹿島港と名古屋港間に就航する船尾船橋型の液体化学薬品ばら積船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか2人が乗り組み、塩酸520トンを載せ、船首2.55メートル船尾3.80メートルの喫水をもって、平成13年7月3日16時15分鹿島港を発し、名古屋港に向かった。
ところでA受審人は、平素、船橋当直に当たるB指定海難関係人及び一等航海士に対し、視程が2海里以下に狭められたときには、速やかに報告すること、霧中信号を行うこと、安全な速力に減じることなどの注意事項を指示したうえ、その内容を記載した縦0.8メートル横1.0メートルの掲示板を操舵室左舷側壁前部に取り付けていたところ、そのころ視界制限状態下の静岡県下田港沖合の相模灘で大型船舶の衝突事故が発生したことから、鹿島港出航に当たり、運航会社の担当者を交え、乗組員全員と視界制限状態時における運航についての打合せを行い、その際、B指定海難関係人及び一等航海士に対し、改めて平素の注意事項を厳守するように指示した。
A受審人は、船橋当直を自らを含め、B指定海難関係人及び一等航海士の3人による単独4時間交替制とし、19時30分当直に就いて房総半島東岸沿いに南下し、23時30分千葉県勝浦港南方沖合4海里の地点に差し掛かったころ、一等航海士に当直を委ねることとし、その付近の視界が良好で、進路に当たる海域にも濃霧注意報の発表がなく、鹿島港出航前に視界制限状態時における注意事項を改めて指示していたので、周囲の状況などを引き継いだだけで降橋し、自室に退いて休息した。
翌4日03時25分B指定海難関係人は、洲埼灯台南南西方沖合11海里のところで昇橋し、航行中の動力船の灯火が表示されていることを確認したのち、一等航海士から、周囲の状況及び視界が制限されて視程が2海里以下に狭められたときには速やかに船長に報告することなど、視界制限状態になった際の注意事項を引き継いで当直に就き、伊豆大島灯台北方沖合に向かった。
04時43分半B指定海難関係人は、伊豆大島灯台から338度(真方位、以下同じ。)2.1海里の地点で、針路を静岡県伊豆半島南東端と神子元島間の水路に向く234度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて10.0ノットの対地速力で進行した。
定針後間もなく、B指定海難関係人は、霧が急速に広がって視程が900メートルに狭められ、視界制限状態となったが、このことをA受審人に速やかに報告せず、霧中信号を行ったり、安全な速力に減じたりする措置がとられないまま、引き続き航行中の動力船の灯火を表示して相模灘を西行した。
B指定海難関係人は、操舵室中央部に設置した操船用コンソール左舷のレーダーを6海里レンジとして周囲の見張りに当たり、05時09分半同レーダーで、左舷船首2度5.9海里にブエナ グラシア(以下「ブ号」という。)の映像を初めて探知し、同時11分半伊豆大島灯台から259度4.6海里の地点に達し、同船が左舷船首1度5.2海里となったとき、依然その映像を船首輝線の少し左側に認めたので、互いに左舷を対して航過するつもりで、自動操舵のまま、針路を250度に転じ、このころ霧がますます深まって視程が300メートルになったが、なおもA受審人に報告しないで進行した。
こうして大寶丸は、05時20分少し前伊豆大島灯台から258度5.9海里の地点に差し掛かったとき、ブ号が左舷船首14度2.0海里となり、その後同船と著しく接近することが避けられない状況となったが、A受審人は、B指定海難関係人からの報告が得られず、昇橋してレーダー監視に当たることができなかったので、この状況に気付かないまま、針路を保つことができる最小限の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもできずに続航した。
05時22分B指定海難関係人は、伊豆大島灯台から257度6.4海里の地点に達し、ブ号が左舷船首9度1.1海里となったとき、その映像がレーダー画面の船首輝線左側を中心部に向かって接近してくることから、更に針路を270度に転じて進行した。
B指定海難関係人は、間もなくブ号の映像がレーダー画面中心付近の海面反射に入って識別できなくなったので、レーダーから顔を上げて左舷前方を注視していたところ、05時24分半船影を視認し、急いで操船用コンソール中央の舵輪に駆け寄り、手動操舵に切り替えて右舵一杯をとり、機関を中立運転としたが、及ばず、05時25分伊豆大島灯台から258度6.8海里の地点において、大寶丸は、船首が290度を向いたとき、原速力のまま、その左舷後部に、ブ号の左舷船首が前方から65度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風力1の南西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期にあたり、視程は300メートルで、日出は04時34分であった。
A受審人は、自室のベッドで就寝中、衝突の衝撃で目を覚まし、急いで昇橋して事後の措置に当たった。
また、ブ号は、船尾船橋型の液化ガス運搬船で、船長R及び一等航海士Pほか14人が乗り組み、空倉のまま、船首3.30メートル船尾4.50メートルの喫水をもって、同月2日12時00分大韓民国ウルサン港を発し、関門海峡及び豊後水道を経由して千葉県千葉港に向かった。
翌々4日04時00分P一等航海士は、神子元島南東方3海里の地点で昇橋し、航行中の動力船の灯火を表示していることを確認したのち、甲板員を伴って船橋当直に就き、伊豆半島東岸沖合の相模灘を北上し、同時30分爪木埼灯台から122度5.2海里の地点で、針路を伊豆大島灯台北方沖合に向く040度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて13.6ノットの対地速力で進行した。
P一等航海士は、05時00分ごろ霧のため視程が900メートルに狭められ、視界制限状態となったが、霧中信号を行ったり、安全な速力に減じたりする措置をとらないまま、操舵スタンドの右舷側に設置したARPA付きレーダーを6海里レンジとして周囲の見張りに当たり、同時09分半伊豆大島灯台から245度9.8海里の地点に達したとき、右舷船首12度5.9海里に大寶丸の映像を初めて捉え、引き続きレーダーで同船を監視し、航行中の動力船の灯火を表示したまま続航した。
05時11分半P一等航海士は、大寶丸が16度右転し、同時20分少し前伊豆大島灯台から253度7.7海里の地点に差し掛かったとき、同船が右舷船首16度2.0海里となり、その後同船と著しく接近することが避けられない状況となったが、ARPAの最接近距離が0.3海里となっていたので、互いに右舷を対して無難に航過するものと判断してレーダーから目を離し、レーダーにより同船に対する動静監視を十分に行わなかったので、このことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもしないまま、視程が更に300メートルに狭められた状況下、同じ針路、速力で進行した。
P一等航海士は、05時24分レーダーを見ると大寶丸の映像がレーダー画面中心付近の海面反射の中に入って識別できなかったので、顔を上げて右舷前方を注視していたところ、同時24分半船影を視認し、甲板員に右舵一杯を命じ、機関を停止したが、及ばず、ブ号は、船首が045度を向いたとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
R船長は、自室のベッドで就寝中、衝突の衝撃で目を覚まし、急いで昇橋して事後の措置に当たった。
衝突の結果、大寶丸は、船橋左舷側を圧壊してレーダーをはじめとする航海計器などに破損を生じたうえ、機関室左舷外板に大破口を生じ、同室に激しく浸水して航行不能となり、来援したサルベージにより千葉県館山港に引き付けられ、ブ号は、船首楼前部及び球状船首前部に圧壊を、左舷船首から左舷後部にかけての外板及びブルワークに亀裂を伴う凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。また、大寶丸の乗組員はブ号に移乗し、全員救助された。
(原因)
本件衝突は、両船が、霧のため視界制限状態となった伊豆半島東方沖合の相模灘を航行中、西行する大寶丸が、安全な速力とせず、レーダーで前路に認めたブ号と著しく接近することが避けられない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、北上するブ号が、安全な速力とせず、レーダーによる動静監視が不十分で、前路に認めた大寶丸と著しく接近することが避けられない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。
(受審人等の所為)
B指定海難関係人が、単独の船橋当直に当たって伊豆半島東方沖合の相模灘を西行中、霧のため視界制限状態となった際、速やかに船長に報告しなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、勧告しない。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。