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平成14年広審第80号
件名

押船松進丸被押台船松福貨物船ピア リーダー衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年10月31日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(竹内伸二、勝又三郎、佐野映一)

理事官
横須賀勇一

受審人
A 職名:松進丸一等航海士 海技免状:三級海技士(航海)(履歴限定)

損害
松進丸押船列・・・松福の船首部に破口と凹損、浸水
ピ 号・・・右舷後部外板に破口、浸水

原因
ピ 号・・・船員の常務(新たな危険)不遵守(主因)
松進丸・・・動静監視不十分、警告信号不履行、船員の常務 (衝突回避措置)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、ピア リーダーが、松進丸被押台船松福の前路に向けて転針し、新たな衝突のおそれのある関係を生じさせたことによって発生したが、松進丸被押台船松福が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年12月26日18時40分
 備讃瀬戸西部 六島南東方沖合

2 船舶の要目
船種船名 押船松進丸 台船松福
総トン数 157トン
全長 32.65メートル 105.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関  
出力 2,942キロワット  
船種船名 貨物船ピアリーダー  
総トン数 3,873トン  
全長 105.60メートル  
機関の種類 ディーゼル機関  
出力 2,868キロワット  

3 事実の経過
 松進丸は、2基2軸の押船兼引船で、松福の凹状船尾に船首をかん合して油圧ピンで連結し、全長123.0メートルの押船列(以下「松進丸押船列」という。)とし、瀬戸内海の土砂積出地から伊勢湾の中部国際空港建設現場に土砂を運搬していたところ、年末年始の期間中同工事現場が休業となることから、乗組員の休養のため、船長M及びA受審人ほか7人が乗り組み、土砂1,000トンを積み船首2.2メートル船尾2.3メートルの喫水となった松福を押し、船首3.0メートル船尾4.8メートルの喫水をもって、平成13年12月25日17時20分愛知県常滑港沖合を発し、山口県平生港に向かった。
 M船長は、船橋当直をA受審人、二等航海士及び自らの3人がそれぞれ単独で行う4時間交替制とし、翌26日13時30分鳴門海峡南口で昇橋して操船指揮をとり、当直中の二等航海士に補佐させながら同海峡を通航したあとも引き続き在橋し、播磨灘西部を経て備讃瀬戸東航路(以下、海上交通安全法に定められた備讃瀬戸東航路、同南航路及び同北航路については、「備讃瀬戸」を省略する。)を西行した。
 16時00分A受審人は、小豆島の地蔵埼西方5海里付近の東航路内で二等航海士から船橋当直を引き継ぎ、日没前の同時50分押船列が表示しなければならないマスト灯2個を垂直に連携しないでマスト灯1個のみを掲げたほか、舷灯及び船尾灯並びに松福の船首部に舷灯をそれぞれ表示し、M船長の操船指揮のもとに東航路及び北航路を西行し、18時10分ごろ北航路西端まで1海里ばかりとなったところでM船長が降橋し、その後単独で船橋当直に従事した。
 18時17分A受審人は、二面島灯台から353度(真方位、以下同じ。)1,300メートルの地点で北航路を出たとき、針路を247度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、備後灘航路第7号灯浮標(以下「第7号灯浮標」という)を左舷船首2度ばかりに見て10.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
 ところで、A受審人は、昭和63年から外航貨物船の三等航海士として乗船した際2回ほど備後灘西部を航行したことがあり、平成13年11月9日一等航海士として松進丸に乗り組んだあと自らの当直中に同海域を1回航行した。そして、六島南方では、主航路である海図記載の推薦航路線から四国北岸諸港や福山港などの瀬戸内海北部諸港に向かう航路が分岐していたが、それまで同海域を通航した際、六島南東方から北上する船を見かけたことがなかったことから、第7号灯浮標の南側を東行する船舶はほとんど南航路に向かうものと考えていた。
 定針後A受審人は、窓及びドアを閉め、操舵室後部のいすに座って前路の見張りを行っていたところ、数隻の西行船が自船の左舷側を追い越すのを認め、18時30分ごろ転針地点の第7号灯浮標に近づいていたので手動操舵に切り替え、舵輪後方に立って操舵しながら、操舵スタンド左舷側に設置された3海里レンジのレーダーをときどき覗いて同灯浮標付近に多数の航行船の映像を認め、それらの映像に表示される短い航跡からその進行方向を判断しながら見張りにあたった。
 18時34分A受審人は、六島灯台から103度1.6海里の地点に達したとき、左舷前方に紅灯を見せて無難に航過する態勢で接近する東行船群中、左舷船首10度2.1海里のところにピア リーダー(以下「ピ号」という。)の白、白、紅3灯を初認し、同船が真鍋島、佐柳島間に向かう航路の分岐点付近に達していたが、他の東行船とともに南航路に向かい、転針して北上する船はいないと思い、その後船首方向約1海里の最も近い同航船や、針路目標の六島灯台及び第7号灯浮標に気を奪われ、同船に対する動静監視を十分に行わないで続航した。
 こうして18時37分半A受審人は、六島灯台から119度1.2海里の地点で、それまで無難に航過する態勢であったピ号が、左舷船首27度1,450メートルとなったとき、左転を始め、間もなくその舷灯が緑灯に変わって自船の前路を横切る態勢となり、新たな衝突のおそれのある関係が生じたが、依然として六島灯台や第7号灯浮標に気を奪われてピ号の動静監視を十分に行っていなかったので、このことに気付かず、直ちに警告信号を行わず、機関を後進にかけて行きあしを止めるなど衝突を避けるための措置をとることなく進行中、同時40分少し前ピ号が行った発光信号を認めるとともに左舷船首至近に迫った黒い船影を視認し、直ちに機関を全速力後進にかけたが及ばず、18時40分六島灯台から142度1,770メートルの地点において、松進丸押船列は、原針路のまま9.0ノットの速力となったとき、松福の船首が、ピ号の右舷後部に後方から80度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風力4の西北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期にあたり、付近には弱い北東流があった。
 また、ピ号は、船尾船橋型の貨物船で、日本、大韓民国間の不定期貨物輸送に従事し、平成13年6月末から毎月3回ほど岡山県水島港に寄港していたところ、船長K及び一等航海士Nほか13人が乗り組み、空倉のまま、船首1.10メートル船尾3.95メートルの喫水をもって、同年12月25日17時10分大韓民国光陽港を発し、水島港に向かい、翌26日早朝関門海峡を通航し、瀬戸内海を東行した。
 15時55分N一等航海士は、来島海峡西口で操舵手とともに船橋当直に就き、K船長の操船指揮のもとに同海峡を通航し、16時35分来島海峡航路を出て間もなく、同船長が水島港到着1時間前に報告するよう告げて降橋し、その後操舵手と2人で船橋当直にあたり、海図記載の推薦航路線の右側をほぼこれに沿って東行した。
 N一等航海士は、5箇月前にピ号に乗船したあと瀬戸内海を幾度も航行し、東行して水島港に向かう際は第7号灯浮標の南方で左転して推薦航路線を横切り、その後使用海図に記入されていた031度の針路で真鍋島、佐柳島間を北上していた。
 18時24分N一等航海士は、六島灯台から222度3.3海里の地点で、針路を第7号灯浮標南方500メートルに向首する065度に定めて当直操舵手に手動で操舵させ、機関を全速力前進にかけ、13.5ノットの速力で進行し、同時31分半左舷船首5度3.0海里に松進丸押船列の航海灯を初めて認め、これを第7号灯浮標を左舷側に見て西行する動力船と判断し、そのころ同押船列の前後に数隻の西行船が0.2ないし1海里の間隔で航行していたので左転の時機をうかがいながら続航した。
 18時36分少し過ぎN一等航海士は、レーダーで船位を確かめて使用海図に記入し、間もなく真鍋島、佐柳島間に向かう031度の針路線上に達することを知り、同時37分半六島灯台から152度1.3海里の地点に達し、第7号灯浮標を左舷船首方0.3海里に見るようになったとき、左舷船首25度1,450メートルとなった松進丸押船列が左舷側650メートルばかりを無難に航過する態勢で西行中であったが、その前路を横切ることができると考え、同押船列の通過を待たず、左舵20度を令して左転を開始した。
 間もなくピ号は、松進丸押船列を右舷船首方に見るようになって新たな衝突のおそれのある関係が生じ、その後舵などの抵抗により次第に速力が低下しながら回頭するうち、18時39分半至近に迫った同押船列を見て危険を感じたN一等航海士が、短音2回の汽笛信号を数回吹鳴したあと昼間信号灯を同押船列に向けて点滅するとともに左舵一杯を令して回頭中、327度を向首して速力が約11.0ノットとなったとき、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、松進丸押船列は、松福の船首部に破口と凹損を生じて空所に浸水し、ピ号は、右舷後部外板に破口を生じて2番貨物倉に浸水したが、のちいずれも修理された。

(原因)
 本件衝突は、夜間、備讃瀬戸西部の六島南東方沖合において、両船が備後灘の推薦航路線の右側をほぼこれに沿って航行中、東行するピ号が、真鍋島、佐柳島間の水路に向け転針する際、左舷を対し無難に航過する態勢で西行する松進丸押船列の通過を待たないで、その前路に向けて転針し、新たな衝突のおそれのある関係を生じさせたことによって発生したが、松進丸押船列が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、六島南東方沖合において、推薦航路線の右側をほぼこれに沿って西行中、第7号灯浮標南側の東行船群中に左舷を対し無難に航過する態勢で接近するピ号を認めた場合、同灯浮標付近が真鍋島と佐柳島との間に向かう航路の分岐点にあたる海域であったから、同船が同航路に向かうかどうか判断できるよう、その動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、東行船はすべて南航路に向かい、転針して北上する船はいないものと思い、転針目標の六島灯台や第7号灯浮標に気を奪われ、同船に対する動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、ピ号が北上しようとして自船の前路に向けて左転したことに気付かず、警告信号を行うことも、衝突を避けるための措置をとることもしないまま進行して同船との衝突を招き、松福の船首部に破口と凹損を、ピ号船橋楼前の右舷後部外板に破口をそれぞれ生じさせ、松福の空所及びピ号の貨物倉に浸水させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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