(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年5月5日00時08分
伊予灘北西部
2 船舶の要目
船種船名 |
押船三ッ子丸 |
バージちゃぱりと |
総トン数 |
358トン |
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全長 |
32.00メートル |
102.50メートル |
幅 |
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18.00メートル |
深さ |
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8.80メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
2,942キロワット |
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船種船名 |
貨物船ポハンパイオニア |
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総トン数 |
1,863トン |
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全長 |
86.344メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
2,188キロワット |
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3 事実の経過
三ッ子丸は、鋼製押船で、船長O及びA受審人ほか3人が乗り組み、船首5.2メートル船尾5.5メートルの喫水をもって、ばら積みの塩9,000トンを載せ、船首6.64メートル船尾7.52メートルの喫水となった非自航式鋼製バージちゃぱりとの船尾凹部に船首を嵌合して全長123メートルの押船列(以下「三ッ子丸押船列」という。)とし、平成14年5月4日16時00分広島県安芸郡音戸町三ツ子島を発し、関門海峡経由で新潟県姫川港に向かった。
A受審人は、22時00分沖家室島南西方沖合で昇橋し、前直のO船長から引き継いで単独2直6時間交替制の船橋当直に就き、所定の灯火を掲げ、機関を速力10ノットばかりの全速力前進にかけ、平郡水道の推薦航路線(以下「平郡水道航路線」という。)に沿って自動操舵により西行した。
22時45分ごろA受審人は、平郡水道第2号灯浮標を右舷側至近に見て南下を始め、それまで4ないし5海里あった視程が霧模様となって時折1海里近くに狭められるようになり、23時半右舷方の天田島と左舷方の平郡水道第1号灯浮標とのほぼ中間を航過したとき、霧が立ち込めて視程が約150メートルの視界制限状態となったが、霧中信号を行わず、そのころ右舷前方の鼻繰瀬戸及び左舷船尾方近距離のところからそれぞれ接近する他船を3海里レンジのレーダーで探知し、機関の回転数を少し下げて8.5ノットの対地速力としただけで、安全な速力に減じなかった。そして、同人は、O船長から視界が2,000メートル以下になったら報告するよう指示されていたが、2隻の動静が気になり、手動操舵に切り替え操舵輪左側のレーダー監視にあたっていたので、視界模様を報告する余裕がないまま南下を続けた。
ところで、A受審人は、平郡水道航路線に沿って平郡水道第1号灯浮標で西行する予定であったが、2隻の他船に挟まれるような状況から転針することができずに南下を余儀なくされ、その後それらが遠ざかったところで、今度は右舷前方に同航路線沿いを東行する3隻の映像を探知したことから、平郡水道航路線に戻ることを断念し、関門海峡に続く船首方の推薦航路線(以下「伊予灘航路線」という。)に寄せることとし、23時42分少し前鼻繰島灯台から182度(真方位、以下同じ。)2.4海里の地点で、GPSプロッタにより右舷前方6海里の伊予灘航路第2号灯浮標を確かめ針路をほぼ同灯浮標に向く264度に定め、引き続き8.5ノットの対地速力で手動操舵により進行した。
23時58分A受審人は、鼻繰島灯台から222.5度3.6海里の地点に達し、3隻の東行船が右舷方を通過したころ、針路を伊予灘航路線に沿う282度に転じた。このとき、同人は、左舷船首9度2.9海里のところに、ポハン パイオニア(以下「ポ号」という。)の映像を初めて認め、反航の状態であることを知ってその動静を監視しながら続航した。
A受審人は、ポ号の方位にほとんど変化がないまま、翌5日00時01分鼻繰島灯台から228度3.8海里の地点に至ったとき、同船を左舷船首10度2.0海里に認めるようになり、ポ号と著しく接近することを避けることができない状況となったが、少し右転すれば相手船も右転してくるものと思い、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めることなく、同じ速力のまま5度ばかり右転した。
その後、A受審人は、ポ号の映像がレーダー画面の中心部に寄ってくるので小角度の右転を小刻みに繰り返しながら進行し、00時07分同船が450メートルに迫って危険を感じ、汽笛により長音1回、続いて短音1回を鳴らしたのち、右舵一杯として左舷側のウイングに出て見張ったところ、間もなく左舷船首近くにポ号の白、緑2灯を視認して驚き船橋に戻った。
一方、自室で休息していたO船長は、自船の汽笛を聞いて急ぎ昇橋したところ、船首至近にポ号の灯火を認め、機関を中立に操作したが及ばず、00時08分鼻繰島灯台から240度4.3海里の地点において、三ッ子丸押船列は、右転中の船首が320度を向いたとき、ほぼ原速力のまま、その左舷船首部が、ポ号の右舷船尾部に後方から30度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風はなく、潮候は上げ潮の中央期にあたり、視程は約150メートルであった。
また、ポ号は、船尾船橋型貨物船で、船長B及び二等航海士Hほか11人が乗り組み、ベンゼン約2,994トンを載せ、船首5.3メートル船尾5.8メートルの喫水をもって、同月4日09時05分大韓民国ウルサン港を発し、瀬戸内海経由で岡山県水島港に向かった。
H二等航海士は、23時30分鼻繰島灯台から255度10.3海里の、伊予灘航路第1号灯浮標南方沖合の地点で、甲板手を伴って昇橋し、そのころ濃霧で船首部付近がやっと見えるくらいの視界制限状態であったが、前直のB船長から厳重な見張りを行うよう指示されただけで、同船長と交替して船橋当直に就き、所定の灯火のほか紅色回転灯1灯を掲げ、針路を平郡水道航路線に向かう087度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で進行した。
定針後、H二等航海士は、霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもなく東行を続け、23時48分鼻繰島灯台から250度7.5海里の地点に達したとき、6海里レンジのレーダーで、右舷船首2度6.0海里に三ッ子丸押船列の映像を初めて認め、反航の状態であることを知ってその動静を監視しながら続航した。
23時58分H二等航海士は、鼻繰島灯台から245度5.9海里の地点で、三ッ子丸押船列を右舷船首6度2.9海里に認め、同押船列の方位にほとんど変化がないまま、翌5日00時01分鼻繰島灯台から243度5.4海里の地点に至ったとき、三ッ子丸押船列を右舷船首5度2.0海里に認めるようになり、同押船列と著しく接近することを避けることができない状況となったが、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めることなく、手動操舵に切り替えて甲板手を操舵にあたらせ、少しばかり左転して針路を080度に転じた。
H二等航海士は、その後三ッ子丸押船列の映像がレーダー画面の中心部に近づき、00時06分半同押船列が700メートルに迫ったとき、短音5回を吹鳴し、その汽笛を聞き昇橋してレーダー映像を確認したB船長から左舵一杯の指示を受けるとともに、自ら機関を後進に操作したが及ばず、ポ号は、左転中の船首が350度を向き、行きあしが約8.5ノットに落ちたころ、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、ちゃぱりとは、左舷船首部に、ポ号は、右舷船尾外板にそれぞれ破口を伴う凹損を生じたが、のちいずれも修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、両船が霧のため視界制限状態となった伊予灘北西部を航行中、西行する三ッ子丸押船列が、霧中信号を行わなかったうえ、安全な速力とせず、レーダーで前路に認めたポ号と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、東行するポ号が、霧中信号を行わなかったうえ、安全な速力とせず、レーダーで前路に認めた三ッ子丸押船列と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、霧のため視界制限状態となった伊予灘北西部を航行中、レーダーで前路に認めたポ号と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、また、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかるに、同人は、少し右転すれば相手船も右転してくるものと思い、速やかに針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて行きあしを止めることもしないまま進行してポ号との衝突を招き、ちゃぱりとの左舷船首部及びポ号の右舷船尾部に、それぞれ破口を伴う凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。