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平成14年広審第79号
件名

油送船南風貨物船第十八明悦丸衝突事件
二審請求者〔補佐人土井三四郎〕

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年10月17日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(高橋昭雄、勝又三郎、佐野映一)

理事官
横須賀勇一

受審人
A 職名:南風船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:第十八明悦丸船長 海技免状:三級海技士(航海)

損害
南 風・・・右舷船尾外板を圧壊
明悦丸・・・船首外板に亀裂を伴う凹損

原因
南 風・・・動静監視不十分、追い越しの航法(避航動作)不遵守(主因)
明悦丸・・・動静監視不十分、警告信号不履行、追い越しの航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、第十八明悦丸を追い越す側の南風が、動静監視不十分で、第十八明悦丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第十八明悦丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Bを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成14年2月16日15時30分
 瀬戸内海備後灘

2 船舶の要目
船種船名 油送船南風貨物船 第十八明悦丸
総トン数 996トン 612トン
全長 81.90メートル 77.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,618キロワット 735キロワット

3 事実の経過
 南風は、船尾船橋型鋼製油送船で、A受審人ほか7人が乗り組み、海水バラスト480トンを載せ、次航積荷の予定で空倉のまま、船首0.90メートル船尾4.00メートルの喫水をもって、平成14年2月16日12時10分愛媛県松山港を発し、三重県四日市港に向かった。
 ところで、A受審人は、船橋当直を4時間交替の3直制として各直を航海士と甲板部員との2人体制で維持し、自らも出入航時及び狭水道通航時の操船のほかに毎0時から4時までの当直を行っていた。発航後に次航積荷のキシレンの積載に備えて約3時間余りを要するタンククリーニングを行う予定であったので、出港後相当直の操舵手をタンクのガスフリー作業に当たらせた。そして、自らは単独で船橋当直に当たって安芸灘南部を東行し、梶取ノ鼻付近に差しかかったところで、前方約1.6海里に先航する第十八明悦丸(以下「明悦丸」という。)を初めて視認した。その後、来島海峡通峡に備えて機関長を昇橋させて機関操作に当たらせ、自船より僅かに速力の遅い明悦丸の後方を速力を調整しながら来島海峡西水道を経て、14時38分同船に続いて右舷側至近に来島海峡航路第8号灯浮標を航過した。
 こうして、来島海峡通航後、14時40分A受審人は、竜神島灯台から143度(真方位、以下同じ。)1.4海里の地点で、針路を備後灘推薦航路線(以下「推薦航路線」という。)に沿う056度に定め、機関を航海常用回転数毎分250より低い毎分240回転にかけて11.5ノットの対地速力(以下、速力は対地速力である。)としたとき、左舷船首55度約650メートルのところにほぼ同じ針路で先航する明悦丸を認めるようになり、その後同船を追い越す態勢で推薦航路線の南側をこれに沿って手動操舵により進行した。14時56分少し過ぎ燧灘沖ノ瀬灯標(以下「沖ノ瀬灯標」という。)を右舷正横0.7海里に通過し、15時04分左舷側300メートル余り離して明悦丸に並航するようになり、その後同船を追い越し僅かながらもその距離が開く状況であった。
 ところで、明悦丸にほぼ並航したころ、A受審人は、昇橋してきた前示操舵手からタンクガスフリーが済んだ旨の報告を受けて、タンク洗滌作業に取りかかることにし、これを受けて在橋中の機関長も下橋した。間もなく一等航海士が、作業開始の連絡を受けて昇橋し作業の段取りを打ち合わせたのち下橋し、その後甲板長以下乗組員に指示して船橋当直者と食事係1人を除く全員を甲板上に集合させ、マンホールの開放やホースの取り付け等のタンク洗滌作業の準備に取りかかった。タンク洗滌は、主機駆動によるカーゴポンプを使用して行われるもので、先ずいったん主機回転数を下げてカーゴポンプのクラッチを入れ、その後に所要の回転数にして同ポンプを運転させる運びとなるもので、船橋で機関室及びポンプ制御盤のある船橋前甲板からの連絡を受けて回転数の操作が行われようになっていた。
 ところが、15時25分A受審人は、カーゴポンプを稼動させるにあたり機関室から準備完了の連絡を受けて主機回転数を毎分160に下げようとしたが、そのとき左舷船尾12度300メートルのところに明悦丸が自船の針路とほんの少し交叉した針路でその距離が僅かながらも増大する状況で後続していたものの、減速すると明悦丸が自船に追突するおそれが生じる状況であったから、その航行を妨げることのないよう、同船から十分に遠ざかるまであるいは大きく右転するなどしてその進路を避ける必要があった。しかし、減速する前に付近の他船の動静を確かめるつもりでレーダーを覗いたものの一見しただけで、目視などよって特に追い越した明悦丸の動静監視を十分に行わなかったので、その状況に気付かず、機関回転数を毎分160回転に下げて約7.7ノットの速力とし、続いて船橋前甲板からポンプ稼働準備完了の連絡を受けて、同時27分ポンプ運転時の所要回転数である毎分210回転として約10.0ノットの速力としたとき、左舷船尾23度100メートルのところに明悦丸が迫っており、その後同船が自船に追突する態勢で接近する状況となったが、依然として同船に対する動静監視が不十分で、これに気付かないまま続航し、15時30分高井神島灯台から250度3.6海里の地点において、南風は、同じ針路速力のまま、その右舷船尾に明悦丸の船首が左舷後方から2度の角度で衝突した。
 当時、天侯は晴で風力2の南寄りの風が吹き、潮候は下げ潮の中央期で、衝突地点付近海域には微弱な北西流があった。
 また、明悦丸は、砂利運搬に従事する船尾船橋型鋼製貨物船で、B受審人ほか5人が乗り組み、山土(比重約1.5)1,094立方メートルを積載し、船首4.00メートル船尾4.20メートルの喫水をもって、同月16日10時30分広島県佐伯郡大柿町土砂積出地を発し、愛知県常滑市中部国際空港埋立地に向かった。
 B受審人は、船橋当直を自らを含め一等航海士及び甲板長の3人による単独4時間交替の3直制で行い、出航操船に当たったのち甲板長に船橋当直を行わせ、そのまま在橋して書類整理を行いながら安芸灘北西部を東行した。来島海峡航路西口付近で操船指揮を執ったころ、後方に同航する南風を初めて認め、同船に先航して来島海峡西水道を経て、14時37分半来島海峡航路第8号灯浮標を右舷側に航過した。その後再び甲板長に船橋当直を行わせ、書類整理を行うかたわら折からの南寄りの風や潮流の影響による北方寄りの偏位を適宜修正させながら推薦航路線の南側をほぼこれに沿って東行した。
 こうして、14時56分B受審人は、沖ノ瀬灯標から326度0.9海里の地点に達したところで、甲板長と交替して単独でその後の船橋当直に当たり、針路を058度に定めて自動操舵としたとき、右舷正横少し後400メートルのところに南風を認めるようになり、機関を全速力前進にかけたまま11.0ノットの速力で進行した。その後南風としばらくの間ほぼ並航状態が続いた後、やがて同船が僅かながら先航する状況となった。
 ところが、15時25分B受審人は、南風が右舷船首10度300メートルに替わり、両船間の距離が僅かながらも増大する状況であったので、そのままの針路速力で進行しても同船と衝突のおそれが生じないものと思い、引き続き南風が自船の進路を避けるかどうか判断することができるよう、自船から十分に遠ざかるまでその動静監視を十分に行うことなく、事前にチェックしていた通航予定の鳴門海峡の潮流を確かめさらに用を足すために一時下橋し船橋を無人状態とした。その結果、そのころ南風が減速して間もなく両船間の距離が狭まり始め、さらに同時27分右舷船首21度100メートルに同船を認め得るようになり、その後同船に追突するおそれがある態勢で接近する状況となったが、これに気付かず、速やかに警告信号を吹鳴しさらに行きあしを止めるなり大きく転舵するなりして衝突を避けるための協力動作を行わないまま続航中、同時30分少し前再昇橋するなり右船首至近に南風の船尾部が迫っているのを認め、驚いて操舵を手動に切り替え右舵一杯としたが間に合わず、明悦丸は、ほぼ原針路原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、南風は右舷船尾外板を圧壊し、明悦丸は船首外板に亀裂を伴う凹損を生じたが、のちいずれも修理された。

(主張に対する判断)
 本件は、両船が来島海峡西水道を相前後して通峡したのち備後灘推薦航路線の南側を東行中、南風が明悦丸を追い越し、その後明悦丸が減速した南風の後方から衝突したもので、南風側補佐人及び理事官の各主張について以下検討する。
 初めに、南風側補佐人は、「南風の減速前の速力は、12.6ノットであり、14時48分両船が並航し、15時13分南風は明悦丸から0.6海里先航したところで減速したものである。」とし、明悦丸を追い越す関係は終了して、新たに明悦丸が南風を追い越す関係が発生したものである。そして、同減速前速力は、補佐人自らが提出した証拠「内航船舶明細書抜粋写」中に掲載の航海速力12.5ノットが客観的航海速力であることと、機関日誌記載の当時の主機回転数260とプロペラピッチ1,535ミリメートルにより算出した理論速力値12.92ノットであることとを根拠にして、12.6ノットであったと主張するので、以下この点について検討する。
 補佐人は、減速前の速力認定にあたって、海上試運転成績書中の速力試験データ値並びにA受審人が供述した当時の主機回転数毎分240及びGPS表示速力11.5ノットの各証拠を無視した。因みに、同速力試験による主機回転数毎分246(主機負荷2/4)で10.578ノット及び同282(主機負荷3/4)で12.136ノットのデータ値から、補佐人が主張する260回転で11.184ノットと算出され、当時の喫水や風潮流などの外力の影響を考慮したうえで、A受審人の当時240回転でGPS表示速力値11.5ノットであった旨の供述は間違いないものと認められる。更に両船が並航した時刻について、南風側機関長の供述調書写中及び明悦丸側B受審人の質問調書中に午後3時ころであった旨の一致した記載をも勘案すると、補佐人の減速前速力12.6ノット及び同速力に基づいた両船並航時刻14時48分の主張にはいずれも理由がない。
 また、補佐人は、南風減速時の両船前後の船間距離について、追越し船として他船を追い越し後に減速する際には、船員であれば当然に追越し船との距離を測るものであるから、A受審人が質問調書中で減速するときレーダーを見て追い越した明悦丸が後方0.75海里以上離れた旨の供述記載は具体性・合理性があって認め得るものであるとし、その船間距離は0.6ないし0.75海里であったと主張する。
 ところで、当時の好天時の昼間において、当直者が減速にあたり後方確認を行う際には、追い越した船舶が後続中という認識があれば、先ず目視により追い越し後の後続船の状況を見張ったうえで、必要であればレーダーでその距離なりを確かめるというのが経験則上船員が行う常務と考えられる。しかし、A受審人は、質問調書中の供述記載で「レーダーで明悦丸を後方0.75海里以上離れたことを確かめた。」としながら、当廷において「減速する際にレーダー映像を見たが目で確かめたかどうか分からない。減速するとレーダー映像の船とどのような関係になるかを考えていなかった。レーダーを見たのでその後大丈夫と思っていた。」旨を供述したが、同受審人が後続中の明悦丸を意識した見張りを行ったか否か疑問である。事故後、同受審人が後方の見張り不十分であった旨を供述しているとおり、明悦丸に対する動静監視不十分であったことは明らかである。また、当廷での同受審人の「減速模様について、主機回転数毎分160で約2分間続いてその約1.5倍の時間を210回転で航行し衝突した。」旨の供述から、両船の船間距離は300メートルと算出される。
 よって、同調書中の追い越したレーダーで明悦丸を後方0.75海里以上離れていた旨の供述記載を採って、減速時の船間距離が0.6ないし0.75海里であったとする補佐人側の主張は甚だ不合理であり認められない。
 次に、理事官は、南風が後方からほぼ同じ針路で明悦丸を200メートル隔て並航し先航した状況をもって追い抜き態勢であったとし、同態勢では両船間に追い越し関係は成立せず、衝突5分少し前南風が明悦丸の前路約250メートルのところでしかもその距離が増す状況の下で減速したことにより衝突の危険すなわち新たな衝突のおそれを生じさせたものであると主張するので、以下この点について検討する。
 そこで、来島海峡を通航したのち、後航船側の南風が先航船側の明悦丸の正横後2点を超える後方から同船に追いつく態勢において、追越し船の航法が適用されるか否かにつき、先ず両船間の航過距離が安全に替わるものかどうかを検討する。
 両船間の航過距離が、200メートル離れた状態であると認定したことには異論のないところである。しかし、追越し船航法の適用すなわち衝突のおそれが存在するのか否かについては、同航過距離が被追越し船側明悦丸にとって被追越し船の立場として許容される必要最小限度内かによる。それは、両船の大きさ、接近速力、操縦性能及び相互作用、水域の広域及び水路状況、被追越し船側の第三船等に対する転針予想等の諸要素を総合的に勘案されて判断されるものである。
 しかるに、以上の諸要素を勘案して当時の状況を鑑みると、認定された両船間の航過距離が、追越し船航法が適用される範囲内のものであることは、両受審人及び補佐人とも一致した認識であった点からも明らかなとおりである。
 以上の点から、明悦丸を追い抜いた南風がその前路近距離で減速したことにより新たな衝突のおそれが発生したものであるとする理事官の主張を採らない。

(原因)
 本件衝突は、備後灘西部において、来島海峡西水道を相前後して通峡した両船が備後灘推薦航路線の南側を東行中、南風が、追い越し後の明悦丸に対する動静監視が不十分で、同船から十分に遠ざかることを待たずに減速し、その進路を避けなかったことに因って発生したが、明悦丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったこともその一因をなすものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、来島海峡西水道を相前後して通峡後、備後灘推薦航路線の南側を先航する明悦丸を追い越す態勢で東行中、同船を追い越した後にタンク洗滌作業を開始しようとして減速する場合、追越し船側として被追越し船側である明悦丸から十分に遠ざかるまでその進路を避けなければならない立場であったから、減速により追い越した同船と衝突のおそれの有無を判断できるよう、目視によるなどしてその動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、減速するに際してレーダーを一見しただけで減速後は船橋前の甲板上での作業に気を取られ、後続中の明悦丸の動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、明悦丸から十分に遠ざかることを待たずに減速したうえ後方から近づく同船に気付かず、その進路を避けないまま進行して、同船との衝突を招き、南風の右舷側船尾外板を圧壊及び明悦丸の船首外板に亀裂を伴う凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B受審人は、備後灘西部を推薦航路線に沿ってその南側を南風と相前後して東行中、自船を追い越した南風に後続する態勢となった場合、南風が追い越し後も十分に遠ざかるまで自船の進路を避けるかどうかを判断できるよう、その動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、自船を追い越した南風が右前方300メートルに替わり両船の船間距離が僅かながらも増大する状況となったことから、そのままの針路速力で進行しても同船と衝突のおそれが生じないものと思い、その動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、その後潮汐を確かめさらに船橋を一時無人状態にして航行を続け、その間に南風が減速したことにより自船が同船に追突するおそれがある態勢で接近する状況となったことに気付かず、速やかに警告信号の吹鳴及び衝突を避けるための協力動作のいずれも行わないまま進行して、同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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