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平成13年第二審第32号
件名

貨物船せとぶりっじ引船公陽丸被引台船安田55号衝突事件〔原審横浜〕

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年12月25日

審判庁区分
高等海難審判庁(佐和 明、宮田義憲、山崎重勝、田邉行夫、山田豊三郎)

理事官
伊藤 實

受審人
A 職名:せとぶりっじ船長 海技免状:一級海技士(航海)
B 職名:せとぶりっじ水先人 水先免状:東京水先区水先免状
C 職名:公陽丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
せとぶりっじ・・・球状船首上部に小破口
安田55号・・・右舷側前部外板に破口、浸水

原因
安田55号・・・動静監視不十分、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(主因)
せとぶりっじ・・・船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

二審請求者
補佐人岸本宗久

主文

 本件衝突は、公陽丸被引台船安田55号が、動静監視不十分で、航路筋の入口に向けて航行するせとぶりっじの運航を妨げたばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、せとぶりっじが、衝突を避けるための措置が遅れたことも一因をなすものである。
 受審人Cの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Bを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年7月29日07時07分
 京浜港東京区

2 船舶の要目
船種船名 貨物船せとぶりっじ  
総トン数 48,342トン  
全長 276.52メートル  
機関の種類 ディーゼル機関  
出力 30,596キロワット  
船種船名 引船公陽丸 台船安田55号
総トン数 14トン  
全長 15.80メートル 30.00メートル
  12.00メートル
深さ   2.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関  
出力 147キロワット  

3 事実の経過
(1)せとぶりっじ
 平成5年3月に進水した航行区域を遠洋とする垂線間長261.00メートル、幅32.20メートル、深さ21.20メートルの船尾船橋型コンテナ運搬船で、船首端から操舵室前面壁までの距離が210メートル、同室の幅が22.0メートルで、両側にそれぞれ5.0メートルのウイングが左右に張り出していた。
 同船は、操縦性能表等によると、ノーマルロードコンディション時(平均喫水12.02メートル、トリム0.52メートル以内)において、海上が静穏、水深が喫水の2倍以上の条件のもと、港内全速力前進、半速力前進、微速力前進及び極微速力前進としたときの速力が、それぞれ12.8ノット、11.6ノット、9.5ノット及び7.5ノットで、港内全速力前進時において、舵角を35度右にとったときの旋回縦距が940メートル、旋回横距が630メートルであり、また、最短停止距離が954メートルであった。
 航海計器は、2基のレーダー(1基はARPA装備)、GPS測位装置、ドプラー式ログ、コースレコーダー及びエジンロガーなどがそれぞれ作動していたが、コースレコーダーは調整が行われておらず、エンジンロガーも時刻表示が2分進んでいた。
(2)公陽丸
 昭和47年6月に進水した航行区域を平水とする船首船橋型鋼製引船で、船首端から操舵室前面壁までの距離が3.5メートル、同壁から後方40センチメートル(以下「センチ」という。)の操舵室中央部に操舵輪が設置され、操舵位置の天井部に長さ53センチ幅65センチのスライド式開口部が設けられていた。そして、操舵室の後部が機関室になっており、船首端から約8メートル船尾方の機関室屋上に曳航用フックが設置されており、長さ41メートルの曳航索により専ら安田55号を曳航し、公陽丸船首端から安田55号船尾端までの全長は約78メートルであった。
 また、航海計器等は、レーダー及び自動操舵装置が装備されておらず、磁気コンパス1基が操舵室前部の中央に設置されていた。
(3)安田55号
 安田55号は、前部甲板上に50トン型可動クレーンを搭載し、後部甲板上左舷側に古コンテナを利用した作業員用の休憩室が設けられている作業台船であった。
(4)せとぶりっじ船長
 A受審人は、昭和42年に遠洋区域を航行する船舶に航海士として乗船し、平成7年5月から船長職を執り、同12年1月20日せとぶりっじに船長として乗船した。
(5)せとぶりっじ水先人
 B受審人は、平成9年12月18日に東京水先区の水先免許を取得して翌10年1月1日から水先業務に従事し、本件発生までに東京西航路(以下西航路という。)を嚮導(きょうどう)した船舶数は、1,000隻を超えていた。
(6)公陽丸船長
 C受審人は、昭和27年に漁船の甲板員として乗り組み、その後小型貨物船の甲板員を経て同33年から船長職を執り、同53年に引船を購入して船舶所有者兼船長として乗船した。そして、平成4年10月に公陽丸を購入し、船長職を執っていた。
(7)せとぶりっじの船橋配置等
 当時、A受審人指揮のもと抜錨及び入港配置に就き、三等航海士が見張り及びテレグラフの操作等に、機関長が機関の操作等に、操舵手が手動による操舵にそれぞれ当たり、B受審人が水先人として嚮導に従事し、また、船首部には一等航海士ほか乗組員3人を配していた。
(8)公陽丸の操船状況
 公陽丸は、C受審人が操舵室内の操舵輪後部に置いた高さ73センチの踏み台に腰をかけ、天井開口部から顔半分上を出して単独で見張りを兼ねて手動による操舵に当たり、必要なときは踏み台に立って天井開口部から顔を出して見張りを行っていた。
(9)発生水域の状況
 本件は、西航路南入口と東京灯標との間の、東京西第2号灯浮標(以下灯浮標の名称については「東京西」を省略する。)の東方250メートルばかりの地点で発生したものであるが、航路入口には、約400メートル隔てて第3号灯浮標と第4号灯浮標とが設置されており、両灯浮標の南東方約1,200メートルの地点に約700メートル隔てて第1号灯浮標と第2号灯浮標とが設置されていた。
 そして、西航路南入口から第1号灯浮標と第2号灯浮標に至る水路は、その両側に防波堤が存在するうえ、両側の水深が浅いことから、同航路に入出航する大型コンテナ船等にとっては海上衝突予防法第9条でいう航路筋(以下「航路筋」という。)となっていた。
 一方、西航路南入口東方の中央防波堤外側埋立地南側においては、新たな埋立工事が進捗中で、これに伴い、東京都港湾局が同作業にかかわる企業や水先人組合などと船舶航行安全協議会を設け、同工事に当たる作業船等が港奥と工事現場とを往来する際は、第1号灯浮標と第2号灯浮標の南側を航行すること及び入出航する大型船舶の前路を横切る際には注意して安全を期すことなどを指導しており、B及びC両受審人はこのことをよく承知していた。
 また、西航路に入出航する船舶に対しては航行管制が行われ、その信号が東京灯標信号所や大井信号所などにおいて表示されており、早朝の航路筋入口付近は、1回目の入航管制に合わせて西航路に向かう大型船舶などで輻輳(ふくそう)し、当時7隻の大型船舶が東京灯標近くを入航中であった。
(10)本件発生に至る経過
 せとぶりっじは、A受審人ほか日本人船員4人及びフィリピン人船員17人が乗り組み、コンテナ貨物24,775.3トンを載せて北米西岸オークランド港から京浜港に至り、平成12年7月28日16時00分同港東京区の、東京灯標から084度(真方位、以下同じ。)1.3海里の地点に錨泊した。
 翌29日06時15分A受審人は、東京区大井コンテナふ頭1号岸壁に着岸するため、乗組員を入港配置につけて抜錨作業を行ったのち、同時45分船首尾とも10.76メートルの喫水をもって同錨地を発し、乗船したB受審人に嚮導を委ねて西航路に向かった。
 06時50分B受審人は、機関を極微速力前進にかけ、続いて微速力前進、半速力前進として東京灯標に向け西行し、この間、同灯標の南西方を航行していた大型コンテナ船ハンジン ブサン(以下「ハ号」という。)を嚮導中の水先人とトランシーバーで西航路への入航順を相談し、自船が先航する大型コンテナ船オーシャン レモン(以下「オ号」という。)とハ号との間に入って入航することにした。
 06時54分ごろB受審人は、ハ号に先航するため、東京灯標の北側を通過して西航路に向かう進路とし、06時59分半同灯標から075度1,050メートルの地点に達したとき、針路を280度に定め、機関を12.8ノットの港内全速力前進にかけ、8.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)から徐々に速力を増しながら進行した。
 07時01分B受審人は、先航するオ号西方の第1号灯浮標南側に、船首を南に向けて停留している公陽丸被引台船安田55号(以下「公陽丸引船列」という。)を初めて視認し、同引船列が埋立地に向けて航路筋入口付近を横断するため、大型船舶の通過を待っているものと判断した。
 B受審人は、東京灯標に並航したとき右舵10度を指示し、07時03分同灯標から004度440メートルの地点に達して速力が10.0ノットとなったとき、針路を第1号灯浮標と第2号灯浮標の間に向首する285度に転じ、更に速力を増しながら続航した。
 そのころB受審人は、左舷船首14度1,850メートルのところに、船首を北東に向けて航路筋入口付近を横断する態勢となった公陽丸引船列を認め、左舷前方を先導航行中の進路警戒船兼引船のあさぎりに対して同引船列の動向を確認するようトランシーバーで指示し、折り返し、あさぎりから、公陽丸引船列が航路筋入口付近を横断し始めた旨の報告を受け、同引船列が横断を続けると航路筋への入航が妨げられるので、注意喚起のため自ら汽笛長音1声を吹鳴したうえ、あさぎりに対して同引船列の横断を中止させるよう指示した。
 一方、A受審人は、せとぶりっじが前進を開始してしばらくしたのち、第1号灯浮標南側において船首を南に向けて停留中の公陽丸引船列を初認し、その後先導中のあさぎりが先導コースから離れて東京灯標付近に赴き、西航路に向かって航行する押船列の行きあしを止めさせ、再び先導コースに復帰するため全速力で航行しているのを見届けていたところ、B受審人が汽笛を吹鳴したので左舷前方を確認し、公陽丸引船列が航路筋入口付近を横断し始めたことに気付いた。
 07時04分A受審人は、東京灯標から332度600メートルの地点に達したとき、公陽丸引船列が横断を中止せず、自船の運航を妨げる態勢のまま左舷船首12度1,400メートルに接近したのを認めたが、B受審人が汽笛による注意喚起を行い、あさぎりが汽笛で警告信号を発しながら公陽丸引船列に向かい、B受審人とあさぎり船長とがトランシーバーで緊密に連絡をとりあっていたことから、同受審人に嚮導を任せておけば大丈夫と思い、B受審人に対して速やかに機関を停止して減速措置をとるよう指示しなかった。
 そのころ、B受審人は、注意喚起や進路警戒船の警告にもかかわらず、公陽丸引船列の方位が明確に変化しないまま運航を妨げる態勢で接近していることを認めたが、大型船舶通過直後の横断を行うため、航路筋入口側端部から中央部まで徐々に進出したのち停留して待機する作業船などを見かけたことがあったことから、そのうち同引船列もそのような措置をとるものと思い、速やかに機関を停止して減速するなど、衝突を避けるための措置をとることなく、同引船列の動向を見極めることができないまま、引き続き港内全速力前進として徐々に速力を増しながら進行した。
 07時05分少し前B受審人は、汽笛を連吹するほか拡声器により停船を呼びかけながら公陽丸引船列に接近したあさぎりから、同引船列が停船要請を無視して航行を続けているとの報告を受け、同時05分東京灯標から315度850メートルの地点において、11.0ノットの速力となり、同引船列が左舷船首7度920メートルに接近したとき、機関停止及び右舵一杯を指示したものの、同引船列がなおも接近したことから危険を感じ、同時05分半全速力後進を指示した。
 A受審人は、自船の機関が後進にかけられたので、針路信号として汽笛短音3回を吹鳴し、その後汽笛による警告信号を続けた。
 07時07分せとぶりっじが325度に向いたとき、東京灯標から311度1,620メートルの地点において、その船首が約8ノットの残速力で、安田55号の右舷側前部に後方から80度の角度で衝突した。
 当時、天候は曇で風力3の南南西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期で、視程は良好であった。
 また、公陽丸は、C受審人が1人で乗り組み、船首尾とも0.50メートルの喫水となった安田55号を船尾に引き、船首1.00メートル船尾2.20メートルの喫水をもって、同日06時00分東京都大田区京浜大橋東側の、東京西防波堤仮設灯台から245度1.3海里にある係留地を発し、その北西方500メートルばかりの、京浜運河東岸に寄せ、安田55号にクレーン操縦員2人を乗せて同時15分同地を発し、中央防波堤外側埋立地(その2)南側の作業現場に向かった。
 大井信号所の南側を通過したころC受審人は、同信号所が入航信号を表示しており、西航路に向けて次々と入航する大型船舶を視認し、これらの通過を待ってから第1号と第2号灯浮標南側の航路筋入口付近を横断することとし、減速しながら第1号灯浮標南側に近づいたのち、06時50分機関を微速力前進としたり停止したりしながら船位を保持し、船首が南に向く態勢で漂泊を開始した。
 C受審人は、操舵室内の操舵輪後部に置いた踏み台の上に立ち、同室天井の開口部から顔を出して周囲の状況を見張っていたところ、06時54分東京灯標の東方に、同灯標に向けて西行するせとぶりっじの船首右舷側を初認したほか、同灯標の西側を航路筋入口に向けて北西進するオ号及び同灯標の南側にハ号をそれぞれ認めた。
 C受審人は、せとぶりっじがいずれ東京灯標の南側を迂回して航路筋入口に向かう態勢になるものと予測して、オ号が自船の前を通過した直後に航路筋入口付近を横断することとし、オ号の通過を待って機関回転数を毎分630に上げて左回頭し、07時03分東京灯標から283度1,880メートルの地点において、針路を045度に定め、6.2ノットの曳航速力で進行を開始した。
 そのころ、C受審人は、右舷船首46度1,850メートルのところに、東京灯標の北側から航路筋入口に向かう態勢となったせとぶりっじを視認でき、そのまま横断を続けると同船の運航を妨げる状況であったが、同船の前路を余裕を持って通過することができるものと思っていたので、同船に対する動静監視を十分に行うことなく、その状況に気付かないで続航した。
 その後C受審人は、せとぶりっじやあさぎりの吹鳴する汽笛を機関の騒音で聞き取れないまま、踏み台に腰をかけて操舵室天井開口部から顔半分を出した状態で前方の見張りに当たり、07時04分せとぶりっじが右舷船首48度1,400メートルのところに接近していたが、依然として動静監視が不十分で、同船の運航を妨げる状況になっていることに気付かず、行きあしを止めたり転針したりするなど、衝突を避けるための措置をとらずに進行した。
 07時05分少し前C受審人は、東京灯標から294度1,750メートルの地点に達したとき、汽笛を連吹するとともに拡声器で横断を中止するよう警告するあさぎりを右舷側近くに認め、また、右舷船首50度850メートルに接近したせとぶりっじの船首を視認したものの、驚いて気が動転し、とにかく第2号灯浮標の東側に出るしかないと考え、機関回転数をほぼ全速力前進の毎分750に上げ、8.0ノットの曳航速力で、あさぎりの警告を無視して原針路のまま続航中、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、せとぶりっじは球状船首上部に小破口を生じ、安田55号は右舷側前部外板に長さ約2.7メートル幅0.8メートルの破口を生じて浸水したが、のちそれぞれ修理された。また、衝突により大傾斜した安田55号甲板上に設置されていた休憩室用の中古コンテナが、床との接合部分が切断して海中に落下し、2人のクレーン操縦員も海中に転落したが、のちあさぎりなどによって救助された。

(航法の適用)
 本件は、京浜港東京区において、西航路南東方の航路筋入口に向けて航行するせとぶりっじと同航路筋入口付近を横断する公陽丸引船列とが衝突したものであるが、京浜港は、港則法で定める特定港であるから、海上衝突予防法(以下、「予防法」という。)の検討に先立ち、港則法の適用の有無について検討する。
 公陽丸は、50トン型可動式クレーンを搭載した作業台船の安田55号を曳航し、主に京浜港東京区の埋立地や隅田川で護岸工事などに従事するほか、ときおり千葉港などへの航海をしており、同引船列を港則法第3条でいう雑種船とすることは相当でなく、本件に港則法第18条第1項(雑種船の航法)の適用はない。
 また、京浜港は、港則法による命令の定める船舶交通が著しく混雑する特定港であるが、安田55号を曳航して船首端から安田55号の船尾端までの全長が約78メートルとなった公陽丸引船列を、総トン数500トン以下である船舶であって雑種船以外のもの、すなわち、小型船とするのは相当でなく、本件に港則法第18条第2項(小型船の航法)の適用もない。
 そして、本件に関して他に港則法の適用すべき航法がないので、予防法の適用について検討する。
 本件が発生した第1号灯浮標及び第2号灯浮標南東側海域は、その南側及び東側に航行可能な水域が広がっていることから、予防法第9条でいう航路筋に当たらない。
 また、両船が互いに進路を横切る態勢で接近して衝突したものであるが、当時、せとぶりっじが、速力を増しながら航路筋入口に向かって進行中であったこと、及び西航路の航行管制に従って、大型船舶が次々と航路筋入口に向けて入航中であったことを勘案すれば、予防法第15条(横切り船)を適用することは相当でない。
 従って、本件衝突について、他に適用する航法規定がないので、予防法第38条及び39条を適用し、船員の常務で律するのが相当である。

(原因の考察)
 本件発生海域は、西航路に入出航する大型船舶や埋立工事現場に向かう作業船等で輻輳し、東京都港湾局の船舶航行安全協議会において、港奥と埋立工事現場とを往来する作業船等に対し、入航中の大型船舶の前を横切るに際しては、十分注意して安全を期すよう指導が行われていた。
 C受審人は、このことを十分に承知していたうえ、朝1回目の航行管制に合わせて入航する大型船舶が集中していたことなどから、公陽丸引船列が、航路筋入口付近を横断中に、入航する大型船舶の運航を妨げることのないよう、それら大型船舶の動静監視を十分に行わなかったことが本件発生の原因となる。
 また、せとぶりっじは、機関を港内全速力前進にかけて西航路南東方の幅700メートルの航路筋入口に向けて航行中、本件発生の4分前に、左舷前方1,850メートルに、航路筋入口付近を横断する態勢で動き始めた公陽丸引船列を認め、汽笛による注意喚起や進路警戒船による警告を行った。
 しかしながら、公陽丸引船列が停止したり転針したりするなどの措置をとらず、本件発生の3分前にはその方位に明確な変化がないまま1,400メートルに接近する状況となっており、このときせとぶりっじが速やかに機関を停止して減速するなどの措置をとっておれば、衝突を避けることができていたところ、衝突を避けるための措置が遅れたことが本件発生の原因となる。

(原因)
 本件衝突は、西航路南東方の航路筋入口付近を横断する公陽丸引船列が、動静監視が不十分で、航路筋入口に向けて航行中のせとぶりっじの運航を妨げたばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、せとぶりっじが、航路筋入口付近の横断を開始した公陽丸引船列に対し、汽笛による注意喚起や進路警戒船による警告を行っても、同引船列が横断を中止しなかった際、速やかに機関を停止して減速するなど、衝突を避けるための措置が遅れたことも一因をなすものである。
 せとぶりっじの運航が適切でなかったのは、船長が、嚮導中の水先人に対して速やかに減速措置をとるように指示しなかったことと、水先人が速やかに機関を停止して減速するなど、衝突を避けるための措置が遅れたこととによるものである。

(受審人の所為)
 C受審人は、西航路南東方の航路筋入口付近を横断する場合、東京灯標東側から西航路に入航する態勢で西行するせとぶりっじを認め、同船が大型船舶で、航路筋入口に向かうことを承知していたのであるから、同船の運航を妨げる状況となるかどうか判断できるよう、その後の動静監視を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同受審人は、同船を一見して東京灯標の南側を迂回して西航路に向かうので、その前路を余裕を持って横断することができるものと思い、その後の動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、せとぶりっじの運航を妨げる状況となったことに気付かないまま横断を続けて同船との衝突を招き、せとぶりっじの球状船首上部に小破口を、安田55号の右舷側前部外板に破口をそれぞれ生じさせたほか、同台船に乗り込んでいたクレーン操縦員2人を海中に転落させるに至った。
 以上の、C受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により同法第5条第1項第2号を適用して、同人の一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
 A受審人は、水先人嚮導のもと、西航路に向けて東京灯標北側を西行中、航路筋入口付近を横断する態勢の公陽丸引船列に対し、汽笛による注意喚起や進路警戒船による警告を行っても、同引船列が横断を中止せず、運航を妨げる態勢で接近するのを認めた場合、水先人に対して速やかに機関を停止して減速措置をとるよう指示すべき注意義務があった。ところが、同受審人は、水先人と進路警戒船とが緊密に連絡をとりあっていたことなどから、同水先人に嚮導を任せておけば大丈夫と思い、速やかに機関を停止して減速措置をとるよう指示しなかった職務上の過失により、衝突を避けるための措置をとるのが遅れて同引船列との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B受審人は、西航路に向けて東京灯標北側を西行中、航路筋入口付近を横断する態勢で航行を開始した公陽丸引船列に対し、注意喚起や進路警戒船による警告を行ったものの、横断を中止せず、運航を妨げる態勢で接近するのを認めた場合、速やかに機関を停止して減速するなど、衝突を避けるための措置をとるべき注意義務があった。ところが、同受審人は、大型船舶の通過直後の横断を行うため、航路筋入口側端部から中央部まで徐々に進出したのち停留して待機する作業船などを見かけたことがあったことから、同引船列もそのうちそのような措置をとるものと思い、速やかに機関を停止して減速するなど、衝突を避けるための措置をとらなかった職務上の過失により、同引船列との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上の、B受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成13年10月4日横審言渡
 本件衝突は、小型船である公陽丸引船列が、動静監視不十分で、小型船及び雑種船以外の船舶であるせとぶりっじの進路を避けなかったことによって発生したが、せとぶりっじが、早期に衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Cの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Bを戒告する。


参考図
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