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平成14年第二審第1号
件名

油送船第八宏福丸プレジャーボート隆盛衝突事件〔原審横浜〕

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成14年10月31日

審判庁区分
高等海難審判庁(田邉行夫、山崎重勝、東 晴二、吉澤和彦、山田豊三郎)

理事官
川本 豊

受審人
A 職名:第八宏福丸船長 海技免状:六級海技士(航海)(旧就業範囲)
指定海難関係人
B 職名:隆盛同乗者

損害
宏福丸・・・右舷船首部外板に擦過傷
隆 盛・・・右舷側後部外板を破損、転覆し、のち廃船
船長及び同乗者1人が溺水により死亡、同乗者1人が呼吸不全(入院加療)

原因
隆 盛・・・狭い水道の航法(右側通行)不遵守(主因)
宏福丸・・・見張り不十分、警告信号不履行(一因)

二審請求者
受審人A、補佐人峰 隆男

主文

 本件衝突は、東京都荒川の航路筋において、下航する隆盛が、右側端に寄って航行しなかったばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、上航する第八宏福丸が、見張り不十分で、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年11月27日11時05分
 京浜港東京区第3区荒川

2 船舶の要目
船種船名 油送船第八宏福丸 プレジャーボート隆盛
総トン数 80トン  
全長 31.45メートル 7.39メートル
機関の種類 ディーゼル機関 電気点火機関
出力 330キロワット 84キロワット

3 事実の経過
(1)衝突地点付近の荒川
 荒川は、河口から1.5海里ばかり上流で同川の東側を流れる中川と合流し、合流部の上流550メートルに両川をまたいで営団地下鉄東西線鉄橋(以下「東西線鉄橋」という。)が架けられ、同鉄橋の上流600メートルに葛西橋があり、同橋までが京浜港東京区第3区となっていた。
 東西線鉄橋は、川幅450メートルの荒川に6基の橋脚(以下、右岸から順に番号を付す。)が設けられ、1番及び6番の両橋脚がいずれも川岸に接して立ち、各橋脚の間隔は、同川のほぼ中央部にあたる3番及び4番の間が150メートル、その両側の2番及び3番の間並びに4番及び5番の間が80メートルであった。なお、右岸から3番橋脚までの間と左岸から4番橋脚までの間はそれぞれ水深が浅いため、第八宏福丸(以下「宏福丸」という。)程度の船舶は、3番及び4番の両橋脚の間を通る航路筋(以下「34航路」という。)のみが航行可能であったが、隆盛は、2番及び3番の両橋脚の間を通る航路筋(以下「23航路」という。)をも航行可能であった。
 当時、東西線鉄橋の下流至近では、同鉄橋に平行して架かる荒川横断橋梁(仮称)架設工事が行われており、中川との合流部付近から同鉄橋との間の荒川左岸から4番橋脚付近にかけて、同工事に従事する作業船及び土砂運搬船等が数隻錨泊しており、これらの船舶は赤旗などをもって、伸出していた錨索の位置を表示していた。
(2)本件発生に至る経緯
 宏福丸は、主として千葉港及び京浜港川崎区の各精油所から東京都荒川及び同隅田川を航行して、東京都内の各油槽所への灯油や軽油の運搬に従事する、船尾に操舵室を有する平甲板型鋼製油タンカーで、A受審人ほか2人が乗り組み、灯油150キロリットルを積み、船首1.4メートル船尾2.1メートルの喫水をもって、平成12年11月27日09時25分千葉港千葉区第4区の極東石油工業株式会社の桟橋を発し、東京都板橋区舟渡の新河岸川左岸に設けられた渡辺鉱油 株式会社の桟橋に向かった。
 A受審人は、東京湾から荒川を経て隅田川及び新河岸川を順次さかのぼる予定で、離岸操船を終えたのち一旦休息を取ることとし、機関長に荒川河口付近までの操船を委ねて降橋した。
 10時50分A受審人は、荒川河口付近で昇橋し、東京都江東区荒川砂町水辺公園の東側岸線と東西線鉄橋との交点(以下「基点」という。)から179度(真方位、以下同じ。)2.1海里の地点で、機関長と操船を交替し、機関を全速力前進時より50回転少ない毎分回転数370とし、弱い下向流に抗して7.9ノットの対地速力で、通常の操舵位置に立って舵輪を左手で持ち、手動操舵により進行した。
 11時00分A受審人は、基点から173度1,330メートルの地点で針路を004度に定めて続航した。
 11時04分少し前A受審人は、「34航路」の右側端を航行中、左舷船首13度700メートルに、「23航路」を航行していた隆盛が左転し、その後衝突のおそれがある態勢で接近するのを視認できる状況であったが、右舷前方に停泊中の前示作業船等やその錨索を示す赤旗等の監視に気を奪われ、身体を少し移動し、見通しの妨げになっている窓枠等を避けるなど左舷船首方の見張りを十分に行わなかったので、隆盛の接近に気付かなかった。
 11時04分少し過ぎA受審人は、隆盛が「34航路」の東西線鉄橋北側部分の右側に達し、その後も同じ針路のまま同航路の左側に向けて接近したが、依然見張りが不十分でこれに気付かず、警告信号を行わなかった。
 11時05分わずか前A受審人は、左舷船首至近に迫った隆盛を初めて認め、機関を後進としたものの効なく、11時05分基点から110度280メートルの地点において、宏福丸は、原針路、原速力のまま、その右舷船首部が隆盛の右舷側後部に前方から24度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候はほぼ低潮時にあたり、上流から下流に向かう微弱な水流があった。
 また、隆盛は、船体中央部に操舵室を有する、最大搭載人員8人のFRP製プレジャーボートで、船長Sが1人で乗り組み、釣り仲間のB指定海難関係人を右舷側後部暴露甲板に乗せ、同乗者Cを操舵室内左舷側のいすに腰掛けさせ、ハゼ釣りの目的で、船首0.36メートル船尾0.75メートルの喫水をもって、同日10時58分葛西橋上流で荒川右岸の桟橋を発し、京浜港東京区第2区にある竹芝桟橋と日の出桟橋との間に注ぐ古川の河口に向かった。
 S船長は、操舵室内右舷側に装備された舵輪後方の操舵席に腰掛けて操船にあたり、後進したのち、11時00分基点から010度1,320メートルの地点で、針路を185度に定め、機関を半速力前進にかけ、下向流に乗じて9.2ノットの対地速力で、手動操舵によって進行した。
 B指定海難関係人は、前進したときから下を向いて釣りの仕掛けを作り始め、自身の身体の傾き具合から隆盛が転針したことや、頭上の陰りから橋の下を通過したことを知るのみであった。
 S船長は、宏福丸と左舷側を対して航過する態勢で、「23航路」を進行していたが、11時04分少し前基点から024度280メートル地点で、宏福丸が左舷船首11度700メートルに接近したとき、「34航路」の左側に向けて針路を160度に転じ、その後衝突のおそれがある態勢で進行した。
 11時04分少し過ぎS船長は、「34航路」の東西線鉄橋北側部分の右側に至ったが、「34航路」の右側端に寄らないで左側に向けて斜航し、宏福丸との衝突を避けるための措置をとらないで進行し、同針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、宏福丸は右舷船首部外板に擦過傷を生じ、隆盛は右舷側後部外板に破損を生じるとともに転覆し、のち廃船となった。S船長(昭和4年12月13日生、四級小型船舶操縦士免状受有)及びC同乗者(昭和3年11月7日生)は転覆した船内に閉じ込められ、溺水により死亡し、B指定海難関係人は来援した作業船に救助されたものの、12日間の入院加療を要する呼吸不全を負った。

(航法の適用)
 本件衝突は、東西線鉄橋下流の荒川の「34航路」において、上航中の宏福丸と下航中の隆盛が衝突したもので、以下適用する航法について検討する。
 本件発生地点は、海上衝突予防法に定める、海洋に接続する航洋船が航行できる水域及び港則法施行令に定める、荒川の葛西橋下流の水域に該当するから、海上衝突予防法及び港則法が適用される水域である。
 さらに、東京都は、水上における船舶の通航安全と危険防止を図ることを目的とし、東京都水上取締条例を定め、同条例第11条には、「船舶、舟又はいかだの行き違いの困難な場所においては、水流、潮流に逆航するものがその進路を譲らなければならない。」と規定しているが、宏福丸及び隆盛両船の大きさ、性能等から「34航路」が「行き違いの困難な場所」とは認められないので、本件では本条を採らない。
 本件に関し、港則法には適用すべき航法規定がないが、海上衝突予防法に第9条「狭い水道等」の定めがあり、本件には同条を適用する。

(原因の考察)
1 A受審人が、「34航路」において、衝突の危険がある態勢で接近する隆盛に対し、避航を促す警告信号を行っていれば、運動性能のよい隆盛がこれに気付いて宏福丸の進路を避け得たもので、警告信号を行わなかったことは原因となる。
2 衝突の約45秒前、隆盛が「23航路」を離れて「34航路」の東西線鉄橋北側部分 の右側に達したのちも、左側に向けて同じ針路で続航した時点で、A受審人が、隆 盛を認めたとしても、水流に抗して「34航路」の右側端を航行中、転舵や急速な 減速の措置をとることは、自船が新たなる危険な状況に陥るおそれがあり、これらの措置をとらなかったことをもって原因としない。
3 最大速力9.45ノットの宏福丸が7.9ノットの対地速力、最大速力約19ノットの 隆盛が9.2ノットの対地速力で減速航行をしていたもので、当時、弱いながらも水 流のある「34航路」を通航する際の操舵性能の維持等を考慮し、両船が当該速力 をもって航行したことを原因としない。

(原因)
 本件衝突は、東京都荒川の「34航路」において、下航する隆盛が、右側端に寄って航行しなかったばかりか、「34航路」の右側からその左側に向けて斜航し、宏福丸との衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、右側端を上航中の宏福丸が、見張り不十分で、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。

(受審人等の所為)
 A受審人は、東京都荒川の「34航路」を上航する場合、下航する隆盛を見落とさないよう、前路の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、右舷側で錨泊している作業船及び土砂運搬船、並びにそれらの船舶が伸出した錨索を示す赤旗などに気を奪われ、身体を少し移動し、見通しの妨げになっている窓枠等を避けるなど前路の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、隆盛が「34航路」の右側から左側に向け、衝突の危険がある態勢で接近したことに気付かず、警告信号を行わないまま進行して隆盛との衝突を招き、宏福丸の右舷船首部外板に擦過傷を生じさせ、隆盛の右舷側後部外板に破損を生じさせるとともに転覆させ、船内に閉じ込められたS船長及びC同乗者を溺水による死亡に至らせ、B指定海難関係人に12日間の入院加療を要する呼吸不全を負わせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する

(参考)原審裁決主文平成14年1月11日横審言渡
 本件衝突は、東京都荒川に架かる営団地下鉄東西線鉄橋付近の狭い水道において、隆盛が、徐行しなかったばかりか、無難に航過する態勢の第八宏福丸に対し、新たな衝突のおそれを生じさせたうえ、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、第八宏福丸が、徐行しなかったばかりか、見張り不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。


参考図





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