(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年11月14日13時48分(現地時間)
オマーン国ミナ アル ファハル港
2 船舶の要目
船種船名 |
油送船コスモビーナス |
総トン数 |
136,688トン |
全長 |
319.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
15,857キロワット |
3 事実の経過
(1)救命艇の搭載場所
コスモ ビーナス(以下「コ号」という。)の救命艇は、海面上高さ約15メートルの第1船橋甲板両舷に、それぞれ1隻ずつ搭載されていた。
(2)救命艇
ア 構造等
救命艇は、昭和61年8月にアイ・エイチ・アイ・クラフト株式会社(現株式会社アイ・エイチ・アイ・アムテック以下「アムテック」という。)が製造したGT75F型と称し、長さ7.5メートル幅2.8メートル深さ1.2メートル、出力22キロワットのディーゼル機関を装備した定員35人のFRP製耐火救命艇で、艇体上部は全閉囲式の固定覆いとなっており、その艇首側と艇尾側に縦横共40センチメートル(以下「センチ」という。)の窓が設けられていた。
イ 瞬間離脱装置
瞬間離脱装置は、救命艇が着水したのち離脱する際に使用されるもので、吊上フック、コントロールケーブル及び吊上フック操作レバー(以下「操作レバー」という。)から構成され、操作レバーを艇尾側に引くと、コントロールケーブルを介して艇首側と艇尾側の吊上フックが開放し、ボートフォールのリングが外れるようになっていた。
(ア)吊上フック
吊上フックは、2箇所で、艇首側及び艇尾側の窓から約50センチの甲板上にそれぞれ取り付けられ、フック、ロックピース及びカムレバーピンの3部品から構成されていた。
フックは、フックピンを回転軸にして起倒し、救命艇が格納状態にあるとき、フックは起きた状態で、その下部がロックピースの凹部に嵌合するようになっていた。
ロックピースは、一方の端に偏したロックピースピンを回転軸にして、同軸から最も離れた部分(以下「可動端」という。)が上下し、フックの下部とロックピースの凹部が嵌合状態のとき、可動端は上方に位置していた。
カムレバーピンは、長さ15センチ直径3センチの円柱軸で、艇首尾線と直角に取り付けられ、その中央部分4センチの断面形状が半円形となっており、弧の部分を上にしてロックピースの可動端が掛かっていることにより、フックが起きた状態で支えられ、同ピンを回転させて弧の部分からロックピースの可動端が外れると、フックが倒れる仕組みになっていた。
(イ)コントロールケーブル
コントロールケーブルは、一端がカムレバーピンの腕部に、他端が操作レバーに取り付けられており、操作レバーの操作に応じてカムレバーピンの腕を上下させ、同ピンを90度の範囲で回転させるようになっていた。
(ウ)操作レバー
操作レバーは、操縦席の右側下方に設けられ、吊上フックを開放するときに艇尾側に引き、それ以外のときは誤って操作することのないよう、安全ピンを挿入するようになっていた。
ウ 瞬間離脱装置の復旧
瞬間離脱装置の復旧は、揚艇準備として、艇首側と艇尾側のフックを引き起こし、この状態を保持したまま、操作レバーを艇首側に戻して安全ピンを挿入する手順で行うものであった。
復旧作業にあたっては、フックを十分に引き起こし、操作レバーを艇首側に一杯に戻して同レバーの安全ピンを挿入したのち、カムレバーピンが正常な位置まで回転しているかどうか、これら一連の瞬間離脱装置の復旧状態の確認を十分に行う必要があった。
また、フックが十分に起きていないときは、カムレバーピンの弧の部分がロックピースの可動端と接触するので、操作レバーが容易に動かず、同可動端がカムレバーピンの弧の部分に少ししか掛かっていないことから、救命艇を巻き上げ中、振動により吊上フックが開放するおそれがあった。
(3)救命艇操練
A受審人は、荷役待機時などの機会を利用して、1ないし2箇月毎に定期的に救命艇操練を実施し、本件発生直前の同操練は、平成13年10月7日に実施され、これまで瞬間離脱装置に異常はなかった。
(4)本件発生に至る経緯
コ号は、専ら原油輸送に従事する平甲板船尾船橋型油送船で、A受審人ほか日本人7人及びフィリピン人16人が乗り組み、原油105,072キロトンを載せ、更に積載する目的で、船首13.80メートル船尾14.79メートルの喫水をもって、平成13年11月13日11時00分(現地時間、以下同じ。)アラブ首長国連邦フジャイラ港を発し、オマーン国ミナ アル ファハル港に向かい、22時00分同港に至り錨泊した。
A受審人は、荷役開始までの待機中に救命艇操練を実施することとしたが、操練に慣れているので大丈夫と思い、艇指揮に当たらせる一等航海士Mに対して、揚収時、瞬間離脱装置の復旧状態の確認を十分に行うよう十分な指示をしないで、翌14日13時00分自らが第1船橋甲板で指揮をとり、操練を開始した。
A受審人は、第1船橋甲板左舷側の救命艇に、M一等航海士のほか、三等航海士N、三等機関士P、甲板員F及び訓練生Eを乗艇させ、13時15分海面まで降下した。
M一等航海士は、救命艇が海面まで降下すると同時に瞬間離脱装置を使用してコ号から離れ、しばらくコ号の周囲を航走したのち、コ号左舷側の第1船橋甲板直下に救命艇の右舷側を接舷させ、揚艇準備のため、瞬間離脱装置の復旧に取り掛かった。
M一等航海士は、N三等航海士とE訓練生に艇尾側吊上フックの復旧作業に当たらせ、自らは、艇首側の吊上フックの復旧作業に当たることとし、窓から上半身を乗り出してフックを引き起こしたが、動揺した艇上で窮屈な姿勢になっていたことから、フックが十分に起きていないことに気付かないまま、F甲板員に操作レバーを艇首側に戻すよう合図した。
F甲板員は、操作レバーを艇首側に戻そうと試みたものの、カムレバーピンが正常な位置まで回転しないことから、しばらく経っても同レバーが容易に動かず、加勢したP三等機関士と2人がかりで力任せに同レバーを動かし、無理やり安全ピンを挿入した。
M一等航海士は、F甲板員から安全ピンを挿入した旨の報告を受けたが、瞬間離脱装置の復旧状態を十分に確認しないままA受審人にトランシーバーで同装置の復旧完了を報告した。
こうして、A受審人は、13時40分救命艇の巻き上げを開始し、同時48分上甲板付近まで巻き上げたとき、瞬間離脱装置の復旧状態の確認が不十分で、同装置が不完全な復旧状態になっていたことから、艇首側の吊上フックが開放し、同フックからボートフォールのリングが外れ、艇尾側の吊上フックのみで片吊りになって振れ、間もなく同フックに掛かっていたボートフォールのリングも外れ、救命艇は、約14メートルの高さから海面に落下した。
当時、天候は晴で風力2の北西風が吹き、海面は静穏であった。
その結果、M一等航海士(昭和36年2月6日生)及びP三等機関士(1956年11月28日生)が全身打撲で死亡し、E訓練生及びN三等航海士が脊椎圧迫骨折等並びにF甲板員が右足首捻挫を負った。
(原因)
本件乗組員死傷は、オマーン国ミナ アル ファハル港において、救命艇揚収時、瞬間離脱装置の復旧状態の確認が不十分で、同装置が不完全な復旧状態のまま巻き上げ、吊上フックが開放し、救命艇が海面に落下したことによって発生したものである。
船長が、救命艇操練実施の際、艇指揮の一等航海士に対して、揚収時、瞬間離脱装置の復旧状態の確認を十分に行うように十分な指示をしなかったことは、本件発生の原因となる。
(受審人の所為)
A受審人は、オマーン国ミナ アル ファハル港において、救命艇操練を実施する場合、艇指揮の一等航海士に対して、揚収時、瞬間離脱装置の復旧状態の確認を十分に行うように十分な指示をすべき注意義務があった。ところが、同人は、操練に慣れているので大丈夫と思い、瞬間離脱装置の復旧状態の確認を十分に行うように十分な指示をしなかった職務上の過失により、艇指揮の一等航海士が同装置の復旧状態の確認を十分に行わないまま、同装置が不完全な復旧状態で巻き上げ、吊上フックが開放し、救命艇が海面に落下する事態を招き、一等航海士及び三等機関士を全身打撲で死亡させ、訓練生及び三等航海士に脊椎圧迫骨折等並びに甲板員に右足首捻挫を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。