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平成14年横審第24号
件名

ケミカルタンカー鹿川丸乗組員死亡事件

事件区分
死傷事件
言渡年月日
平成14年7月16日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(小須田 敏、黒岩 貢、花原敏朗)

理事官
井上 卓

受審人
A 職名:鹿川丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:鹿川丸一等航海士 海技免状:三級海技士(航海)
指定海難関係人
C 職名:D海運株式会社運航管理者

損害
司厨長が急性ベンゼン中毒により死亡

原因
貨物油倉内に入る際の安全措置不十分
運航管理者・・・乗組員に対する教育不十分

主文

 本件乗組員死亡は、貨物油倉内に入る際の安全措置が不十分で、高濃度のベンゼン蒸気を吸引したことによって発生したものである。
 運航管理者が、貨物油倉内に入る際の安全措置について、乗組員に対して十分な教育を施さなかったことは、本件発生の原因となる。
 受審人Aの四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 受審人Bの三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年5月30日08時20分
 横須賀港

2 船舶の要目
船種船名 ケミカルタンカー鹿川丸
総トン数 497.64トン
登録長 59.54メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,323キロワット

3 事実の経過
(1)船体構造
 鹿川丸は、昭和54年12月愛媛県越智郡上浦町の大三島ドック株式会社において、近海区域を航行区域とする船首尾楼甲板付き平甲板船尾船橋型の油送船として建造され、平成3年8月積載対象貨物に液体化学薬品を加え、平成9年11月航行区域を限定近海区域に変更した液体化学薬品ばら積船兼油タンカーで、上甲板下が船首側から順に船首海水タンク、1番燃料油タンク、船首空所、スロップタンク、1番から4番までの貨物油倉、船尾空所、2番燃料油タンク及び貨物ポンプ室に区画され、1番から3番までの同倉の二重底部にバラストタンクが、4番貨物油倉の同底部に清水タンクがあり、船尾楼上甲板下に機関室及び操舵機室などがそれぞれ設けられていた。また、船首楼甲板下には甲板長倉庫及び荷役用具庫が、船尾楼上甲板上には2層の乗組員居住区及び航海船橋がそれぞれ配置されていた。
(2)貨物油倉
 各貨物油倉は、それぞれ高さ約3メートル幅約10メートルのステンレス鋼製で、上甲板上に高さ約0.4メートル幅約6メートルの膨張槽を有し、船体中心線の縦通隔壁により左右のタンク(以下「タンク」という。)に仕切られていた。各タンクは、その膨張槽上に高さ約0.6メートル直径約0.9メートルの油密ハッチ及び高さ約0.6メートル直径約0.6メートルのアレージホールをそれぞれ1個ずつ有し、油密ハッチからタンク底部に降りる垂直はしごを備え、また、同ハッチのコーミングから船体中央部のマスト上部に接続するベント管を設けていた。
 各貨物油倉の容量は、1番が263立方メートル、2番と3番がそれぞれ334立方メートル及び4番が259立方メートルであった。
(3)貨物油管等
 鹿川丸は、専ら上甲板上のマニホルドから呼び径150ミリメートル(以下「ミリ」という。)のドロップ管を経て各タンクに直接落とし込む方法で積荷を行い、各タンク内の縦通隔壁船尾寄りに設けたサクションウェルから吸込口、揚荷支管、揚荷主管、貨物油ポンプ及び上甲板上のマニホルドを経て陸上施設に送る経路で揚荷を行っていた。
 各タンク内の吸込口に呼び径200ミリのタンク吸入弁(以下「吸入弁」という。)1個及び船首尾方向に延びる揚荷主管と縦通隔壁を貫通して船横方向に延びる揚荷支管との接続部に呼び径250ミリの中間弁をそれぞれ1個取り付け、両舷ないしは片舷のみの揚荷主管及び貨物油ポンプを用いて揚荷が行えるように配管され、また、4番両舷タンク内の揚荷主管から直接上甲板上に至る呼び径150ミリのバイパスラインを設けていた。
 貨物油ポンプは、主機によって駆動される歯車ポンプで、貨物ポンプ室内の船横方向に2基並べて装備され、揚荷主管との接続部に呼び径250ミリのポンプ吸入弁(以下「元弁」という。)及びこし器を設け、主に左舷側同ポンプで粘性の高い液体を、右舷側同ポンプでベンゼンなどの粘性の低い液体を揚荷するようにしていた。
 各タンク及び貨物ポンプ室の換気装置として風量毎分87立方メートルの送風ファンを同室内に装備していたが、通風系統内に多量の錆が生じていたため、いつのころからか同ファンによる各タンク内への送風を控えるようになっていた。
(4)受審人等
 A受審人は、D海運株式会社(以下「D海運」という。)に入社後、平成5年4月四級海技士(航海)の免状を取得し、同8年9月甲種危険物等取扱責任者(液体化学薬品)の認定を受け、同13年5月船長兼安全担当者として鹿川丸に乗船した。
 B受審人は、昭和59年2月三級海技士(航海)の免状を取得し、平成元年D海運に入社し、その後事情により一時退職したものの、同11年8月同社に戻るとともに甲種危険物等取扱責任者(液体化学薬品)の認定を受け、同13年1月一等航海士兼荷役作業等実務責任者として鹿川丸に乗船した。
 C指定海難関係人は、平成10年D海運に入社し、鹿川丸ほか499トン型の液体化学薬品ばら積船2隻の運航管理に当たった。
(5)ベンゼン蒸気の人体への影響
 ベンゼンは、水に溶けにくい芳香臭のある無色の毒性を有する液体で、蒸気比重が2.8で空気よりも重く、この蒸気を吸引すると、悪心(おしん)、嘔吐(おうと)、めまい、頭痛、脱力感、歩行のよろめき及び麻酔などの症状が起こり、長時間の暴露を続けると意識を失い、死亡するおそれがあった。
 作業環境におけるベンゼン蒸気許容濃度は、成人の健康な作業者が1日8時間ずつ週5日連続して作業しても、その健康に影響を与えないと認められる時間加重平均濃度が0.5百万分率(以下「ppm」という。)、1回15分以下の短時間作業を毎回1時間以上の間隔で1日4回以下繰り返す場合において認められる短時間暴露限界が2.5ppmとされていた。
(6)ベンゼン揚荷後のタンク洗浄
 鹿川丸は、ベンゼン揚荷後のタンク洗浄として、油密ハッチやアレージホールからホースを用いて各使用タンクにそれぞれ約1トンの清水を入れ、更に同ハッチなどを閉鎖して内部温度が約60度になるまで同タンク内に蒸気を噴射し、その後貨物油管内洗浄も兼ねて揚荷時の経路でスロップタンクに洗浄水を移送していた。
 貨物油管内洗浄の仕上げとして、各吸入弁及び両元弁を閉鎖し、各タンク内の中間弁を開放して蒸気を約20分間送り込み、バイパスラインの上甲板上のフランジ部から空中にこれを放出したのち、元弁を開放し、揚荷主管及びこし器内に残る洗浄水を電動式ビルジポンプでスロップタンクに移送していた。
 そして、貨物油管内を乾燥させるために各吸入弁を開放し、乗組員が各タンク内に入ってサクションウェルに流れ出た残水約20リットルの拭取り作業(以下「残水処理作業」という。)を行い、新たな積荷に備えていた。
(7)貨物油倉内に入る際の安全管理
 鹿川丸の運航会社であるD海運は、液体化学薬品の輸送に携わった経験を有する者を採用する一方、司厨部員については、賄い作業の合間に離着岸作業やタンク洗浄などに従事する旨の雇用契約を結んで採用していた。また、同社は、乗組員の職務、貨物に関する情報、貨物の取扱い及び安全対策などを記載したオペレーションマニュアルで、貨物油倉などの閉鎖区域に入る際には、適切なガス検知管を用いて有毒性蒸気などがないことを確認のうえ、入口に適切な人員を配置し、連続かつ有効に通気することなどを定め、更に嗅覚麻痺(きゅうかくまひ)を生じさせる物質や他の臭(にお)いによって消されてしまう毒性物質もあるため、危険な蒸気の存在を臭いにより検知することは信頼性が薄く、危険であると注意を促していた。
 C指定海難関係人は、乗組員が液体化学薬品の輸送に携わった経験を有していたので、定期的に訪船するなどしてオペレーションマニュアルで定めていた貨物油倉内に入る際の安全措置などについて、乗組員に対して十分な教育を施していなかった。
 鹿川丸は、ベンゼン揚荷後にタンク洗浄を実施したものの、中間弁などの操作の手違いや船体傾斜等からベンゼンを含む液体が揚荷主管内に残り、それが吸入弁の開放とともに貨物油倉内に流れ出てベンゼン蒸気を発生させるおそれがあったから、残水処理作業のために同倉内に入る際には、オペレーションマニュアルに従い、毒性ガス検知管を用いて同蒸気が発生していないことを確認するなどの安全措置を十分に講じる必要があった。
(8)本件発生に至る経緯
 鹿川丸は、A及びB両受審人ほか5人が乗り組み、平成13年5月29日京浜港川崎区塩浜から同区浮島の日石化学株式会社専用桟橋まで、2番及び3番貨物油倉にベンゼン570キロリットルを載せて輸送したのち、横須賀港に回航する目的で、空倉のまま、船首1.0メートル船尾4.0メートルの喫水をもって、同日17時00分同桟橋を発した。
 A受審人は、発航後B受審人に2番及び3番貨物油倉のタンク洗浄並びに貨物油管内洗浄作業を任せ、自らは単独で船橋当直に就き、横須賀港新港ふ頭3号岸壁に翌朝着岸するつもりで、18時30分京浜港横浜区第5区に投錨した。
 B受審人は、左舷側に2度ないし3度傾斜している状況下、いつものようにタンク洗浄及び貨物油管内洗浄作業の指揮に当たり、右舷側の揚荷主管及び貨物油ポンプを使用してベンゼンを揚荷したため、同じ経路で洗浄水をスロップタンクに移送し、左舷側の元弁を開放することがないまま19時20分同作業を終え、その後貨物油管内を乾燥させるために各吸入弁を開放したとき、どの時点において弁操作に手違いを生じて漏れ出たものか、多量のベンゼンを含む液体約200リットルが4番左舷タンク内に流れ出たことに気付かなかった。
 翌30日A受審人は、各タンクの残水処理作業を行わせることとしたが、前日にタンク洗浄及び貨物油管内洗浄作業を終えていたので、貨物油倉内にベンゼン蒸気が発生していることはないものと思い、B受審人に毒性ガス検知管を用いて同蒸気が発生していないことを確認するよう指示することなく、07時30分抜錨して横須賀港新港ふ頭3号岸壁に向かい、08時10分横須賀港西防波堤灯台から真方位211度1,190メートルの地点で同岸壁に右舷係留したのち、食堂において入港の事務手続きに取り掛かった。
 B受審人は、いつものように船首側の貨物油倉から残水処理作業を開始することとしたが、臭いがなければ同倉内にベンゼン蒸気が発生していることはないものと思い、毒性ガス検知管を用いて同蒸気が発生していないことを確認することなく、機関長、一等機関士及び操機長に1番及び2番両舷タンク並びに3番右舷タンクの同作業に当たらせた。
 着岸作業終了後B受審人は、3番左舷タンク及び4番両舷タンクの残水処理作業に着手することとしたものの、依然として毒性ガス検知を行わなかったので、4番左舷タンクに流れ出た前示液体から高濃度のベンゼン蒸気が発生していたことに気付かず、4番右舷タンクに次席一等航海士を入らせ、自らが3番左舷タンクに入った。
 司厨長Eは、朝食の後片付けを終えたのち、安全靴と安全帽を着用して船首楼甲板で着岸作業に当たり、更に残水処理作業を行うつもりで、同作業用の20リットル缶とスポンジを携えて4番左舷タンクに入った。
 B受審人は、08時20分少し前3番左舷タンクの残水処理作業を終えたとき、4番左舷タンク入口から中に入る態勢の次席一等航海士を認めたので、様子を見るために同タンク入口から内部を覗いたところ、既にタンク底部に降り立っていたE司厨長にふらつくなどの異状が認められたため、直ちにタンク外に出るように指示したものの、時既に遅く、08時20分E司厨長は、4番左舷タンク内垂直はしご付近の貨物油管にもたれかかるようにして倒れた。
 当時、天候は晴で風力2の南風が吹いていた。
 B受審人は、直ちに4番左舷タンク内に入ってE司厨長を救出しようとしたものの、異臭に気付いて上甲板上に逃れ、船長にこのことを知らせたのち、次席一等航海士とともに自蔵式空気呼吸具を装着して再び同タンク内に降り立ち、同司厨長の身体にロープを巻き付けて上甲板上に引き上げ、ほどなく到着した救急車にE司厨長を引き渡した。
 E司厨長(昭和22年12月24日生)は、横須賀共済病院に搬送されたが、同年6月10日死亡し、急性ベンゼン中毒による死亡と検案された。
(9)事後の措置
 鹿川丸は、同30日13時10分ごろの横須賀海上保安部によるガス検知等の結果、4番左舷タンク入口付近に25ppmから30ppmのガス濃度及び同タンク内に約200リットルの液体が確認され、その後港外に移動して再度タンク洗浄を実施した。
 D海運は、平成13年9月26日国土交通省関東運輸局東京海運支局に再発防止のために、安全教育及び訓練の実施、安全衛生記録の作成、作業従事者の指定及び閉鎖区域内での作業上の注意事項などを定め、その内容について乗組員に周知徹底を図る措置を講じた旨の報告書を提出したものの、同年11月5日同省関東運輸局長宛に運送事業の廃止届書を提出した。


(原因)
 本件乗組員死亡は、ベンゼン揚荷に伴うタンク洗浄後、残水処理作業のために貨物油倉内に入る際、毒性ガス検知管を用いて同倉内にベンゼン蒸気が発生していないことを確認するなどの安全措置が不十分で、高濃度の同蒸気を吸引したことによって発生したものである。
 安全措置が十分でなかったのは、安全担当者である船長が、ベンゼン揚荷に伴うタンク洗浄後、残水処理作業のために貨物油倉内に乗組員を入らせる際、荷役作業等実務責任者である一等航海士に対して、毒性ガス検知管を用いて同倉内にベンゼン蒸気が発生していないことを確認するよう指示しなかったことと、一等航海士が、同検知管を用いて確認をしなかったこととによるものである。
 運航管理者が、オペレーションマニュアルに定めていた貨物油倉内に入る際の安全措置ついて、乗組員に対して十分な教育を施さなかったことは、本件発生の原因となる。

(受審人等の所為)
 A受審人は、ベンゼン揚荷に伴うタンク洗浄後、残水処理作業のために貨物油倉内に乗組員を入らせる場合、荷役作業等実務責任者である一等航海士に対して、毒性ガス検知管を用いて同倉内にベンゼン蒸気が発生していないことを確認するよう指示すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、タンク洗浄などを行っているので貨物油倉内にベンゼン蒸気が発生していることはないものと思い、一等航海士に対して、毒性ガス検知管を用いて確認するよう指示しなかった職務上の過失により、貨物油倉内に同蒸気が発生していないことの確認が行われず、同倉内に入った乗組員が高濃度のベンゼン蒸気を吸引して急性ベンゼン中毒に陥り、死亡するに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 B受審人は、ベンゼン揚荷に伴うタンク洗浄後、残水処理作業のために貨物油倉内に乗組員を入らせる場合、毒性ガス検知管を用いて同倉内にベンゼン蒸気が発生していないことを確認すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、臭いがなければ貨物油倉内にベンゼン蒸気が発生していることはないものと思い、毒性ガス検知管を用いて同蒸気が発生していないことを確認しなかった職務上の過失により、ベンゼン蒸気が発生していることに気付かないまま同倉内に乗組員を入らせ、前示の事態を生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 C指定海難関係人が、オペレーションマニュアルに定めていた貨物油倉内に入る際の安全措置について、乗組員に対して十分な教育を施さなかったことは、本件発生の原因となる。
 C指定海難関係人に対しては、本件後、再発防止のために乗組員に対する安全教育及び訓練の実施等を定め、その内容について乗組員に周知徹底を図る措置を講じたことに徴し、勧告しない。

 よって主文のとおり裁決する。





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