日本財団 図書館




 海難審判庁裁決録 >  2002年度(平成14年) > 遭難事件一覧 >  事件





平成13年門審第50号
件名

漁船第二十三福寿丸遭難事件

事件区分
遭難事件
言渡年月日
平成14年8月28日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(西村敏和、上野延之、島 友二郎)

理事官
関隆彰

受審人
A 職名:第二十三福寿丸船長 海技免状:五級海技士(航海)(履歴限定)
B 職名:第二十三福寿丸甲板長 海技免状:五級海技士(航海)(履歴限定)
指定海難関係人
C 職名:第二十三福寿丸漁ろう長

損害
操舵室前面の窓ガラス及び保護ガラス破損、各種機器に濡損
甲板長が左眼を失明

原因
水路調査不十分、操船(減速措置)不適切

主文

 本件遭難は、水路調査及び減速措置が不十分であったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年12月24日22時40分
 対馬海峡東水道

2 船舶の要目
船種船名 漁船第二十三福寿丸
総トン数 75トン
登録長 27.05メートル
5.65メートル
深さ 2.40メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 511キロワット

3 事実の経過
 第二十三福寿丸(以下「福寿丸」という。)は、2そうびき沖合底びき網漁業に従事する船首船橋型の鋼製漁船(主船)で、A及びB両受審人並びにC指定海難関係人ほか7人が乗り組み、操業の目的で、船首1.4メートル船尾4.2メートルの喫水をもって、平成11年12月24日01時45分山口県下関漁港を発し、1航海4ないし5日の予定で、従船の第二十四福寿丸とともに福岡県沖ノ島北方の漁場に向かい、06時00分同漁場に到着して操業を始めた。
 ところで、福寿丸は、船体の前部に長さ4.0メートル幅3.0メートルの船橋があり、船体中央から船尾にかけては漁ろう甲板となっていて、両舷側にトロールウインチ及びロープリールなどの漁ろう機械が設置され、船尾端にはギャロースがあって、その両側に船尾ローラが設置されていた。
 船橋は、前部が操舵室及び後部が無線室となっていて、操舵室の前面には、船首端から5.5メートル後方に位置し、厚さ8ミリメートル(以下「ミリ」という。)の強化ガラスが入った縦56.0センチメートル(以下「センチ」という。)横36.0センチの窓が5面あり、そのうち中央及び両端を除く2面が旋回窓となっており、さらに、各窓の外側(船首側をいう。)には、波浪の衝撃による窓ガラスの破損を防止するため、鋼製の枠に縦29.0センチ横37.5センチ厚さ15ミリの強化ガラス(以下「保護ガラス」という。)が差し込まれ、各窓の下半分が二重構造となっていた。
 また、C指定海難関係人は、平成2年から福寿丸に漁ろう長として乗り組んで操業全般の指揮を執り、一方、A受審人は、平成7年から船長として乗り組んで運航全般の指揮を執り、自らと甲種甲板部航海当直部員の認定を受けた同指定海難関係人とで、適宜交替して船橋当直に就くことにし、自動操舵装置を備えていなかったので、甲板員1人を2時間交替で手動操舵に就けていた。
 C指定海難関係人は、沖ノ島北方でのいか漁が不漁であったので、3回目の揚網を終えたところで操業を止め、れんこ鯛の漁場である長崎県五島列島北西海域に移動することにし、15時00分沖ノ島灯台から012度(真方位、以下同じ。)16.5海里の地点を発進し、自ら手動操舵に就き、西風による圧流を考慮して、針路を240度に定め、漁ろう甲板での作業に支障を及ぼさないよう、機関を極微速力前進とし、2.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、対馬海峡東水道(以下「東水道」という。)に向けて移動を開始した。
 C指定海難関係人は、低気圧の接近に伴い、同日早朝には壱岐・対馬地方に強風、波浪注意報が発表され、西寄りの風浪が強まって海上は大時化となることが予想できたので、これまでの荒天航海時と同様に、船体の上下動(以下「ピッチング」という。)を軽減して船首の波浪への突っ込みを防止するため、船尾からロープ(以下「抵抗ロープ」という。)を引きながら航行する方法を採ることにし、漁ろう甲板で揚網作業の指揮に当たっていたA受審人に対して、移動距離が長いうえ、風浪を船首方向から受けることになることから、いつもはコンパウンドロープ約400メートルを引いていたところ、大時化に備えて、これよりも長く繰り出すよう指示した。
 指示を受けたA受審人は、漁獲物の選別・格納作業に先立ち、漁ろう甲板で抵抗ロープの準備作業に取り掛かり、左舷側のロープリールに巻いていた直径55ミリのコンパウンドロープ約400メートルと直径22ミリのワイヤロープを中芯とした直径50ミリの積巻ロープ約150メートルとを繋いで抵抗ロープの全長を約550メートルとし、更にコンパウンドロープ部分を沈めて抵抗を大きくするため、先端に直径22ミリの錨鎖約2メートルを取り付け、左舷船尾ローラから繰り出して左舷船尾ボラードに係止し、約30分を要して同作業を終えた。
 15時30分C指定海難関係人は、沖ノ島灯台から009度15.3海里の地点において、機関回転数を全速力と半速力の中間に当たる毎分780に上げ、抵抗ロープが海面下約60メートルまで沈んだ状態となって、通常航海時の速力が9.0ノットであるところ、6.5ノットの曳航速力で引き始め、間もなく昇橋してきたA受審人と船橋当直を交替して、休息をとった。
 17時00分A受審人は、漁獲物の格納作業を終えて昇橋してきた甲板員を手動操舵に就け、自らは引き続き在橋して操船の指揮を執り、18時30分から甲板員を2時間交替とし、次第に強くなってきた西寄りの風浪を右舷船首方から受けながら、左方に15度圧流されて225度の実航針路で東水道の中央部に向かい、第二十四福寿丸も、同様に船尾から抵抗ロープを引きながら、福寿丸の後方約1,000メートルのところを同航した。
 A受審人は、東水道付近が沖合底びき網漁業の禁漁区となっているため、水深及び海底の起伏について調査したことがなかったものの、沖ノ島周辺の漁場での水深が約100メートルあり、これまで荒天下で何度も抵抗ロープを引いて東水道を航行し、その際、同ロープが海底に接触するようなことがなかったので、東水道も水深が約100メートルあって、同ロープが接触するような浅所はないものと思い、 備付けの海図第1200号(対馬海峡及び付近)などにより、進路上の水深を調査するなど、水路調査を十分に行わなかったので、東水道の中央部に当たる、若宮灯台から301度10.9海里付近に、抵抗ロープが接触するおそれのある、水深が45メートルの七里ケ曽根が存在していることに気付かず、また、C指定海難関係人もそのことを知らなかった。
 A受審人は、東水道の中央部を続航し、22時00分若宮灯台から320度10.7海里の地点に達したころ、西寄りの風が一段と強くなり、波高が約4メートルにも達するようになったことから、機関回転数を毎分740に下げて少し減速し、そのころ、七里ケ曽根まで約4海里のところに接近していたが、依然として同曽根の存在に気付かず、6.0ノットとなった曳航速力で、これに向けて進行した。
 22時30分A受審人は、若宮灯台から303度10.8海里の地点において、C指定海難関係人に「波が高いのでお願いします。壱岐島が近いですから。」とだけ引き継ぎ、船橋当直を交替して降橋し、B受審人は、同時刻前直の甲板員から針路などの引き継ぎを受けて手動操舵に就いた。
 船橋当直に就いたC指定海難関係人は、航海灯の明かりが反射して見える波頂が、かなり高くて急峻になっていたので、 いつでも機関の操作ができるよう、操舵室右舷側の機関遠隔操縦装置の後方に立っていたものの、漁場の移動を急ぐあまり、減速せずに続航した。
 やがて、福寿丸は、七里ケ曽根に差し掛かって抵抗ロープが海底に接触するようになり、22時35分若宮灯台から301度10.8海里の地点に達したころ、同ロープが海底に絡んで急激に緊張し、船尾から約150メートルのところの積巻ロープ先端部が切断した。
 間もなく、C指定海難関係人は、波浪との出会い周期が短くなり、ピッチングが大きくなって、船首が頻繁に波浪に突っ込むようになるなどの異常を認めたものの、それが抵抗ロープの切断により増速状態となったことによるものとは思い及ばず、 速やかに減速して波浪への船首の突っ込みを防止する措置(以下「減速措置」という。)をとることなく、操舵中のB受審人に対して「気を付けろ。」と言って注意を喚起しただけで進行した。
 一方、B受審人も、波しぶきが操舵室前面の窓に頻繁に当たるようになり、それまで抵抗ロープを引いていたことで保針性が良かったものが、当て舵をとる頻度が増したことに気付き、当て舵を繰り返しながら保針することに専念した。
 こうして、福寿丸は、減速措置がとられないまま続航中、22時40分若宮灯台から298度11.1海里の地点において、船首が大きな波浪の谷間に突っ込み、船首を越えた波浪が操舵室前面を直撃したことにより、前面の窓ガラス及び保護ガラスがともに破損して操舵室に大量の海水が流入し、各種機器が冠水して航行不能となった。
 当時、天候は曇で風力6の西風が吹き、 波高は約4メートルに達し、壱岐・対馬地方に強風、波浪注意報が発表されていた。
 A受審人は、衝撃を感じて直ちに昇橋し、事後の措置に当たった。 福寿丸の後方を同航中の第二十四福寿丸は、福寿丸の灯火が消えたことで事故の発生を知り、曳航準備のため、自船の抵抗ロープを巻き揚げたところ、福寿丸と同様に同ロープが切断していたが、難を免れることができ、翌25日00時00分ごろ福寿丸の曳航を開始し、同日10時00分ごろ下関漁港に入港した。
 その結果、福寿丸は、操舵室前面の窓ガラス及び保護ガラス5面のうち、左舷端の1面を残して4面がともに破損し、各種機器に濡損を生じたが、のち修理され、操舵中のB受審人が、飛散したガラス片により左眼を失明した。

(原因)
 本件遭難は、夜間、荒天下の対馬海峡東水道において、波浪を船首方向から受ける状況のもと、ピッチングを軽減して船首の波浪への突っ込みを防止するため、海面下約60メートルまで沈んだ抵抗ロープを船尾から引きながら漁場を移動する際、水路調査が不十分で、同水道中央部に存在する七里ケ曽根の浅所に向けて進行したばかりか、波浪との出会い周期が短くなり、ピッチングが大きくなって船首が波浪に突っ込むようになるなどの異常を認めた際、減速措置が不十分で、船首が大きな波浪の谷間に突っ込み、船首を越えた波浪の直撃を受けて操舵室前面の窓ガラス及び保護ガラスが破損し、操舵室に大量の海水が流入して航行不能となったことによって発生したものである。

(受審人等の所為)
 A受審人は、夜間、荒天下の対馬海峡東水道において、波浪を船首方向から受ける状況のもと、ピッチングを軽減して船首の波浪への突っ込みを防止するため、海面下約60メートルまで沈んだ抵抗ロープを船尾から引きながら漁場を移動する場合、対馬海峡東水道は沖合底びき網漁業の禁漁区となっていて、同水道における水深の状況など水路事情をよく知らなかったのであるから、抵抗ロープが海底に接触することのないよう、備付けの海図によって進路上の水深を確認するなど、水路調査を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、同水道の水深が約100メートルあり、抵抗ロープが接触するような浅所は存在しないものと思い、水路調査を十分に行わなかった職務上の過失により、同水道中央部に水深の浅い七里ケ曽根が存在していることに気付かないまま進行し、抵抗ロープが同曽根に接触して切断したことによって増速状態となり、ピッチングが大きくなって船首が波浪の谷間に突っ込み、船首を越えた波浪が操舵室前面を直撃したことにより、同室前面の窓ガラス及び保護ガラスがともに破損して操舵室に大量の海水が流入し、各種機器への冠水を招いて航行不能に陥り、操舵中のB受審人の左眼を失明させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 C指定海難関係人が、夜間、荒天下の対馬海峡東水道において、波浪を船首方向から受ける状況のもと、ピッチングを軽減して船首の波浪への突っ込みを防止するため、海面下約60メートルまで沈んだ抵抗ロープを船尾から引きながら漁場を移動中、波浪との出会い周期が短くなり、ピッチングが大きくなって、船首が頻繁に波浪に突っ込むようになるなどの異常を認めた際、速やかに減速して船首の波浪への突っ込みを防止する措置をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
 以上のC指定海難関係人の所為に対しては、事故後、荒天航海時においては十分に減速するとともに、抵抗ロープの両端を船尾にとってU字形にし、同ロープの沈みを少なくするなどの改善措置を講じていることに徴し、 勧告しない。
 B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。 





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION