(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成12年11月28日06時15分
大分県関埼北東方権現碆
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船第八幸徳丸 |
総トン数 |
498トン |
全長 |
69.02メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
3 事実の経過
第八幸徳丸(以下「幸徳丸」という。)は、専ら石材及び砂利の運搬に従事する船尾船橋型貨物船で、A受審人ほか4人が乗り組み、石灰石1,800トンを積載し、船首3.6メートル船尾5.4メートルの喫水をもって、平成12年11月28日05時00分大分県津久見港を発し、速吸瀬戸を経由して兵庫県明石港へ向かった。
ところで、速吸瀬戸は、太平洋から豊後水道を経て瀬戸内海の伊予灘へ通ずる、大分県関埼と愛媛県佐田岬間の幅約7海里の海峡で、その大分県側は、関埼東方沖合2海里付近から西方へかけて、高島、牛島、権現碆及び平瀬が点在する狭い水路であり、また、権現碆は、潮が満ちるとレーダーで捕捉できない干出岩と暗岩から成り立っていることから、一般船舶は、愛媛県寄りの高島と佐田岬間の広い海域を航行するのが常であった。
出港後、A受審人は、単独で船橋当直に当たり、一旦、高島と佐田岬間に向けて北上したものの、楠屋鼻を航過して臼杵湾に差し掛かったところ、北西の強風が左舷正横方向から連吹するようになり、甲板上に間断なく波飛沫が降り掛かって積荷の石灰石に重大な濡れ損が生じる状況となったので、これを軽減するため、風を左舷前方から受けることとし、05時27分半楠屋埼灯台から057度(真方位、以下同じ。)0.8海里の地点で、権現碆と牛島の間に向けて針路を000度に定め、機関を全速力前進に掛け、11.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、自動操舵によって進行した。
そして、A受審人は、05時55分関埼灯台から157度3.3海里の地点に至ったとき、GPSプロッターの画面を見たところ、やや牛島寄りに向首して北上していたことから、積荷の濡れ損を少しでも軽減するため、自動操舵のまま左に2度転じて針路を358度とし、やや権現碆に寄せ、折からの北西方への順流に乗じて12.0ノットの速力で続航した。
しばらくして、A受審人は、潮流により左方に2度ばかり圧流されて権現碆に著しく接近する状況となったが、風が左舷前方から連吹していたことから、まさか左舷側の権現碆に著しく接近することはあるまいと思い、積荷の濡れ損を軽減することや、荷主に濡れ損した積荷の引き取りを拒否された場合の対策を練ることなどに気をとられ、レーダーを活用して船位の確認を十分に行わなかったので、このことに気付かなかった。
こうして、A受審人は、船位の確認を十分に行わないまま、左方へ圧流されながら進行中、06時15分関埼灯台から045度2,500メートルの地点において、幸徳丸は、原針路、原速力のまま、権現碆に乗り揚げた。
当時、天候は晴で風力6の北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、速吸瀬戸には約3ノットの北流があった。
乗揚の結果、バルバスバウを圧壊し、バウスラスター室左舷側水面下に破口を生じて浸水するに至ったが、積荷を海上投棄して自力離礁し、のち修理された。
(原因)
本件乗揚は、夜間、速吸瀬戸の権現碆と牛島の間を北上中、船位の確認が不十分で、権現碆に著しく接近したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、単独で船橋当直に当たり、速吸瀬戸の権現碆と牛島の間を北上する場合、権現碆に著しく接近することがないよう、レーダーを活用して船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、風が左舷前方から連吹していたことから、まさか左舷側の権現碆に著しく接近することはあるまいと思い、荷主に積荷の引き取りを拒否された場合の対策を練ることなどに気をとられ、船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により、北西方への潮流によって、左方に圧流されて権現碆への乗揚を招き、バルバスバウを圧壊させたほか、バウスラスター室の左舷側水面下に破口を生じさせて浸水させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して、同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。